所在地 / 熊本県天草市楠浦町中田原
架橋 / 明治11年 ( 1878年 )
石工 / 下浦の松次、打田の紋次
長さ / 26.33m 幅 / 3.05m
拱矢 / 6.1m 径間 / 14.8m
単一アーチ
楠浦の眼鏡橋は、楠浦と宮地往還を結ぶために方原川に架けられたもので、
楠浦村の庄屋・宗像堅固の遺徳を後世に伝える二大事業のひとつである。
そして宗像が行なったもうひとつの事業は、楠浦架橋の14年前、
前潟新田の水害を救うために5年余りの歳月と延べ4万5千人を使って、
方原川の流れを変える釜の迫の掘り切りの大工事も成し遂げている。
削河碑は、方原川が「なきごしの海」に曲がる河畔に建てられている。
楠浦の眼鏡橋は普通の橋に比べると、輪石上に積まれる壁石が薄いため、
輪石のアーチ曲線なりに橋全体も大きく弧を描いた形になっている。
橋は明治11年6月11日から工事に着手し、わずか80日で完成したといわれている。
橋の石材には下浦石が使われ、石工や足場枠組大工も下浦の人たちによるもので、
これは地元の人たちの手による架橋だといえる。
橋の周辺は農村地帯で、現在は農家の人たちが農作業に利用するほかは橋を渡る人も少ない。
橋は緑に包まれ、田園風景の中に溶け込んでいる。