



平良は ( ピサラ ) と称し、人の住むにふさわしい地。
綾道 ( アヤンツ ) は 「 美しい道 」 の意味で、それぞれ宮古コトバである。
平良五箇 ( ピサラグカ ) は、旧藩時代の間切りで、
西里、下里、荷川取、東仲宗根、西仲宗根の五村のことである。
この平良五箇の歴史を探して綾道を歩いたので、
これから少しずつ紹介して行きたいと思っている。
祥雲寺は薩摩藩の建議で1611年に山月和尚によって開山された。
当時の寺域はどの程度あったか定かではないが、
1685年になって住職の輪番制 ( 3年交換 ) を設けているところから、
寺域も次第に整備されて来たものと推定される。
『 球陽 』 は1696年の大地震の際、寺の石垣が崩されたことを記しており、
このころすでに祥雲寺の石垣があったことを示している。
18世紀の初頭、宮古では全域にわたって大規模な土木工事が進められており、
このとき祥雲寺の石垣も改めて築かれたものと考察される。
戦災をはじめ都市計画等によって平良の町並みも大きく変貌し、石垣も消滅しつつある。
当時の石垣文化を知る上からも貴重な建造物である。
所在地 : 宮古島市平良西里