「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

佐賀県唐津市 「 唐津くんち・六番曳山 『 鳳凰丸 』 」

2013-12-11 05:09:41 | 日記 ・ イベント





六番曳山 鳳凰丸
大石町 ・ 弘化3年 ( 1846年 )




現在は成人女性が曳山をひくことはないが、
第二次大戦中、徴兵された男性に代わり、残された女性が曳山を曳いたという歴史がある。
昭和天皇が病床に伏していた1988年、日本中に自粛ムードが満ちていた中、
祭りの中止を迫る団体と、天皇の病気平癒祈念という点で一致し、例年通り敢行された。
御旅所神幸が行われる11月3日は、晴れの特異日とされている。
2001年の御旅所神幸は降雨で中止されたが、
これは1933年以来、68年ぶりの出来事で、
( 1968年に、御旅所神幸が11月3日となってからは初めて ) であったという。




福岡県直方市 『 火を投げし如くに雲や朴の花 』 野見山朱鳥

2013-12-10 04:59:41 | 文学・文化・映画作品



多賀公園にある 「 野見山朱鳥の歌碑 」











直方駅の近くに、こんもりとした丘の上に多賀神社があり、
その裏手にある多賀公園の中腹に 「 野見山朱鳥の歌碑 」 がある。

野見山朱鳥は直方市に生まれ、直方を拠点に活躍した俳人である。
戦時下、結核療養中に俳句に親しみ、高浜虚子に認められて戦後の俳壇に一気に躍り出た。
朱鳥は 「 ホトトギス 」 同人として活躍したが、師である虚子の 「 花鳥諷詠 」 に満足せず、
次第に写生とは生命を写すことという 「 生命諷詠 」 を主張するようになった。
晩年は独自の活動を行って、日本の俳句史にひとつの足跡を残した。


 火を投げし如くに雲や朴の花

これは昭和21年 ( 1946年 ) 12月に、六百号を迎えた 「 ホトトギス 」 の巻頭を飾った句である。
空に向かって火を投げたように雲が赤く輝いている。
その一方に無心に立つ朴の木の芳しい白い花びらがある。
朱鳥は終生、火を愛した俳人といわれ、火をうたった作品が多い。
また、いったんは画家の道を志して上京したが、病魔に阻まれて挫折した経験を持っている。
その火は絵画的で、優れた情景描写であると同時に、生命感の表出でもあるといわれている。

弧の句碑は、朱鳥が亡くなって二年後の昭和47年 ( 1972年 ) に直方市の多賀公園に建てられたもので、
句碑の裏には 「 苦悩や悲哀を経て来なければ魂は深くならない 」 という一節が刻まれている。
朱鳥は、この魂の叫びを俳句に定着させるかに一生をかけたといってもいいだろう。


野見山朱鳥、本名 : 野見山正男。
大正6年 ( 1917年 ) 直方市に生まれる。
鞍手中学 ( 現・鞍手高校 ) を卒業後、3年間闘病生活を送る。
その後、上京して就職し、その傍らで画家を目指したが、病気が再発する。
昭和17年 ( 1942年 ) から療養生活に入る。
昭和24年 ( 1949年 ) に 「 ホトトギス 」 同人になり、翌年 『 曼珠沙華 』 を発表。
昭和27年 ( 1952年 ) 俳誌 「 菜殻火 ( ながらび ) 」 を主宰した。
昭和45年 ( 1970年 ) 52歳で没する。

主な作品に句集、 『 天 馬 』 『 荊冠 ( けいかん ) 』 『 運 命 』 、
俳論集、 『 純粋俳句 』 『 俳句への招待 』 などがある。
没後、 『 野見山朱鳥全句集 』 が刊行された。



『 purple line 』

2013-12-10 04:57:41 | 朝の風景とその他の風景



purple line




4、5年前くらいだったと思うが、
毎日、柴犬のピースと夕方散歩に出ていた。
その時、たま~に感動する情景に出くわすことがある。
そんなとき動画を撮るのだが、映像はこうして残っていても、
画像はたくさん溜まったフォルダーから消去してしまっているので、
動画だけの投稿になってしまった。

八神純子の 「 パープルタウン 」 ではないが、
こっちは 「 パープルライン 」 なので、よろしく!



『 神の河 』 KANNOKO

2013-12-10 04:56:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







「 神の河 」 を買ったらミニライトのおまけが付いていた。
こうしたちょっとのおまけでもウレシク思う。
同じ買うにしても儲けた気持ちにさせてくれる。

毎日お湯割りで飲んでいるが、
甘~いブランデーのような味がするので、
ちょっぴり塩気が利いたツマミが欲しくなる。



 『 おもちゃの花束 』

2013-12-09 04:53:41 | 絵画と個展




























梶谷克彦&Pouquet 『 おもちゃの花束 』は、
近代の歴史とともに生きたこの建物の空間に、
未来を担う子供たちの象徴である 「 おもちゃ 」 を用いることで、
過去と未来の接点を表現している。
モチーフとしたのは 『 花束 』 。
この街の歴史への感謝と、これからの未来へのエールを込めた花束を、
華やかな色彩の 「 おもちゃ 」 で創作したものである。



福岡県久留米市 ・ 久留米豚骨  「 丸喜ラーメンセンター 」

2013-12-09 04:52:41 | ラーメン・うどん・そば



久留米豚骨ラーメン 「 丸喜ラーメンセンター 」







九州もんは、豚骨バイ!






国道210号線沿いにある 「 マルヨシ 」






スープもすべて飲み干して完食










国道210号線を久留米市街地に向かって走っていると、
「 道の駅 くるめ 」 の手前の右側に、いつも気になっていたラーメン屋がある。
それが今回紹介する 「 丸喜ラーメンセンター 」 である。
スープは豚骨だが、それほどドッカリすることもなく、フツーの豚骨であった。
久留米には多くのラーメン屋が存在するので、いろんな味が楽しめる。


久留米豚骨 「 丸喜ラーメンセンター 」

住所 : 久留米市善導寺町木塚451-3
TEL : 0942-23-3177
営業時間 : 10:00~21:00
定休日 : 年中無休
駐車場 : あり



「 福祉有償運送運転協力者研修 」 セダン型

2013-12-09 04:51:41 | 日記 ・ イベント


















実際の車で、車椅子や杖を使って乗り降りの実技を行った







会場となった 「 ウェルとばた 」







帰りに 「 修了証書 」 をもらった





昨日は、先週の若松の玄海青年の家で行われた 「 福祉車両 」 に続いて、
今回は 「 ウェルとばた 」 で行われた 「 セダン型 」 の運転協力者研修に行って来た。
丁度、土曜日の介護職員初任者で、 「 福祉用具と活用方法 」 という項目で勉強したばかりだったので
スムーズに入って行けた。
何よりも講師を務めた作業療法士の熊添先生の教え方が上手かったのですごく解かりやすかった。
この研修は2回で終了したが、すごく有意義な研修だったと思っている。

こうして習ったことを活かすも活かさないも、
これからは自分のやる気に掛かっていると言っても過言ではないが、
気負い過ぎずに淡々と頑張って行きたいと思っている。


沖縄県南城市知念 「 ナーワンダーグスク 」

2013-12-08 05:05:41 | グスク ( 城 ) ・ 遺跡



グスク入り口にある路標







「 寄満 ( ゆいんち ) 」







路標から入って右側にある石積み







10mほどの高さに積まれた石垣







グスク内にある1mほどの高さの石垣






壁のように見える石積み







グスク内にある 「 男神 」







グスク内にある 「 女神 」







グスク内にある 「 川神 」







按司墓と思われる拝所







崖下には按司墓かノロ墓がある






グスク内にある城門







グスク西側の城門?






迷って出て来たグスク西側にある畑





ナーワンダーグスクは、沖縄南部の聖地として有名な
「 斎場御嶽 ( せーふぁうたき ) 」 の中にある寄満 ( ゆいんち ) の向かい側の
けもの道を入って行った所にあるグスクである。
斎場御嶽自体が聖地であるから、当然ながらナーワンダーグスクも聖地である。
グスク内には 「 男神 」 「 女神 」 「 川神 」 などの神が点在する。

また、城郭と城壁を配備した歴とした攻防を目的としたグスクでもある。
その石垣の高さは10mにもおよび、規模も半端ではない。
しっかりと築かれた石垣に点在する神々と拝所は、
神秘さと特異さを持ち合わせたグスクといえよう。

このナーワンダーグスクは、今まで巡って来たグスクの中でも特に印象深いグスクである。
それは、今まで400カ所以上グスクの探訪で山に入ったが、
たった一度だけ道に迷ったのが、このナーワンダーグスクである。
何度、来た道を戻っても同じ 「 女神 」 に戻るのである。
まるで 「 狐につままれた 」 ようであった。
それで西にある太陽を見てその方向に向かって歩いて出たのが一番下の写真の場所であった。
なんと驚いたことにグスクの入り口から西に300mほど離れた場所まで来ていたのである。


ナーワンダーグスクへのアクセス
ナーワンダーグスクへは、旧・知念村にある 「 斎場御嶽 」 まで行って、
その御嶽の中にある寄満 ( ゆいんち ) の拝所の反対側に入ると写真の路標がある。
駐車は、 「 斎場御嶽 」 の駐車場 ( 無料 ) が利用できる。



『 東京からの届き物 』

2013-12-08 05:04:41 | パン ・ ケーキ ・ お菓子








































昨日、介護の研修から帰ると東京から荷物が届いていた。
送り主は、東京の某大学の博士からだった。
彼女とは20年以上の付き合いになるが、
いつも意識していない時に ” ヒョイと ” 贈物が届くのである。
「 引っ付き過ぎず、離れ過ぎず 」 の関係だからこんなに続いているのだろうが、
こうして予期せぬ時の届き物はウレシイものである。



沖縄県久高島 「 久高島灯台 」

2013-12-07 07:26:41 | 沖縄の灯台



森の中にツンと立っている







島の運動場からの眺望








灯質が等明暗白光で明3秒暗3秒の灯器







高さが11mの灯台







モダンな造りのため下だけ見ると灯台と思えない








灯台下から沖縄本島 ( 南城市知念 ) 方面を望む







久高島の徳仁港から少しだけ灯台の頭が見える







久高島の徳仁港





灯台表番号 / 7051
ふりがな / くだかしまとうだい
標識名称 / 久高島灯台
所在地 / 沖縄県南城市(久高島)
北緯  / 26-09-20
東経  / 127-53-04 
塗色 / 白色
灯質 / 群閃白光毎6秒に2閃光
光度 / 実効光度3,700カンデラ
光達距離 / 12.0海里
地上~頂部の高さ / 11m 
平均水面上~灯火の高さ / 25m 
地上~灯火の高さ / 10.43m
業務開始年月日 / 昭和47年5月15日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)


久高島灯台は久高島の徳仁港にほど近い丘の上に設置された灯台で、
四角くてモダンな造りは灯台に見えない。
灯台の高さは11mで、等明暗白光で明3秒、暗3秒の割合で点灯している。
そんな灯台の業務開始は昭和47年5月15日である。
多くの灯台や文化財などがこの日から業務開始になったり、
登録されているのは、太平洋戦争後アメリカから沖縄返還になった日だからである。


久高島灯台へのアクセス
久高島灯台へは、安座真港から定期船で久高島に渡ると、港から左手上に灯台が見える。
坂道を登って行くと運動場があるので、そこから灯台へ行ける。


 「 我が家の紅葉 」

2013-12-07 07:25:41 | 日記 ・ イベント























この秋、その色合いで目を楽しませてくれた紅葉だったが、
まるで昔のハズレ馬券のように紅く白く翻りながら ” ひらひら ” と舞って落ちた。
その亡骸は、あたり一面に広がり、
枝から離れてもなおも楽しませてくれる。

「 一粒で二度おいしい 」 ではないが、
一葉で二度楽しませてくれる。
ありがたいことである。



12月7日 「 大雪の朝 」 

2013-12-07 07:18:41 | 朝の風景とその他の風景








今朝は、月は姿を見せなかったが、
北斗七星が真上よりもやや東北に位置し、シーンと静かな朝だった。
そんな今日は 「 大雪 」 である。

大雪(たいせつ)は、二十四節気の第21で、十一月節(旧暦10月後半から11月前半)である。
現在広まっている定気法では太陽黄経が255度のときで12月7日ごろで、
暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とする。
恒気法では冬至から23/24年(約350.02日)後で12月7日ごろになる。
期間としての意味もあり、この日から、次の節気の冬至前日までである。


雪が激しく降り始めるころ。『暦便覧』では「雪いよいよ降り重ねる折からなれば也」と説明している。
鰤などの冬の魚の漁が盛んになり、熊が冬眠に入り、南天の実が赤く色付くころ。





福岡県みやこ町勝山  「 庄屋塚古墳 」

2013-12-06 04:57:41 | 古墳・ 遺跡



後円部からみた前方部









前方部の石室 ・ 後室 ( 中央部にオーブが見える )








石室の前室から見た後室 ( 中央やや右にオーブが見える )







大きな石で支えられている前室と後室の天井の継手部分







前方部の右側面にある石室の入り口







前方部の光景






庄屋塚古墳の説明版







「 庄屋塚古墳の石室内部 」




庄屋塚古墳は、6世紀中ごろに造られたもので、みやこ町最大の前方後円墳である。
小河川の浸食で形成された微高地上に築かれた二段築成の墳丘は、
築造当時85mほどの規模であったと推定される。

墳丘の大きさは、御所山古墳 ( 約118m ) 、石塚山古墳 ( 約110m ) に次ぐ。
6世紀中ごろの古墳としては豊前地方にとどまらず、福岡県下最大級の規模を誇っており、
被葬者は、後の橘塚古墳や綾塚古墳の被葬者に連なる当地域の首長クラスの系譜に属するものと
考えられる。

この古墳の前方部と後円部には、それぞれ石室があり、
後円部の石室は開口していないが、前方部の石室は昭和39年に発掘調査が行われ、
複室構造の横穴式石室が確認されたものである。
前室からは、須恵器の蓋杯14点などが出土している。




佐賀県唐津市 「 呼子海舟のイカ 」

2013-12-06 04:56:41 | グルメ



イカ刺し







ゲソの天ぷら






呼子のイカが食べられる 「 海舟 」









『 唐津くんち 』 を観たあと、 「 せっかくここまで来たので 」 と、
そこからイカを食べに呼子に向かった。
佐賀は、武雄で数えきれないくらい走ったし、唐津や伊万里は何度か行ったことはあるが、
その他の場所には、なかなか行くことがなかった。
そんな理由 ( ワケ ) で呼子は初めてだった。

呼子海舟で食べた料理は、イカの刺身に茶碗蒸し、
イカの刺身のゲソはいったんテーブルから引かれ、
再びゲソの天ぷらに姿を変えて出て来た時は感動した。
イカシュウマイは、湯気が立つアツアツに誘われて、
思わずパクリと食べてしまった。
「 シマッタ! 」 と思ったのは、シュウマイと茶わん蒸しを食べてしまったあとだった。
「 写真を撮ってなかやん! 」 って思ったが、 ” あとの祭り ” である。

まぁ、 ” くんち ” を観たあとだから、 「 前の祭り 」 でもおかしくないのだが、
” あとの祭り ” になってしまったので、シューマイと茶わん蒸しの画像がない。




薩摩焼酎 「 あらわざ ( 桜島 ) 」

2013-12-06 04:55:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







ラベルの ” あらわざ ” を見て、フッと柔道の荒技を思い浮かべた。
それは肌蹴た柔道着の袖口だけを持って強引に投げを打とうとする光景だ。
そんな ” 荒技 ” を想像していたら、なんと・・・
「 新しい技 」 の 「 あ・ら・わ・ざ 」 であった。
何も知らずに荒技で記事を書いていたら、赤耳どころかそれを通り越して赤面である。
本末転倒になる前に、そんなややこしい 「 あらわざ 」 のことについて書いてみたい。

” あらわざ ” は、IWSC2013 ( インターナショナル ワイン&スピリッツ コンペディション )において、
鹿児島で初めてトロフィー&金賞受賞した芋焼酎である。
南薩摩産さつま芋 「 黄金千貫 ( コガネセンガン ) 」 を原料に、
特許 「 磨き蒸留 」 により生み出された芋焼酎で、
蒸留もろみに対流をおこす独自技術により、
芋特有のコク、旨味、香りなどを、なめらかでかろやかな味わいへと仕上げた
「 磨き蒸留軽ろやか仕立て 」 になっている。
南薩摩伝統の技に新技 ( あらわざ ) を加えた、軽ろやかなおいしさが味わえる。