「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

「 殿さまキングス & カエルの王女さま 」

2014-01-17 05:19:41 | 日記 ・ イベント


「 殿さまキングス 」









「 カエルの王女さま 」













何故か?愛着のあるカエルを好んで買っている。
そんなカエルの殿様とクイーンの画像と映像を掲載しようと思いながら
延び延びになっていたものを思い出して、急きょの掲載である。
トノサマガエルならぬ殿さまキングスと薔薇に包まれたカエルの王女 。

儲けがなくても、大難が小難、小難が無難で ” 無事帰る ” であれば、「 善しとせねばなるまい 」 。
無事帰るだけでご利益は十分だと思っているのは、ボクだけではあるまい。



1月16日 「 月明かりが綺麗な朝 」

2014-01-16 06:08:41 | 朝の風景とその他の風景








今朝はシンシンとよく冷えた
そんな朝は
月明かりが綺麗な
明るい朝だった




大牟田の近代化産業遺産 ・ 「 三池港閘門 」

2014-01-16 05:11:41 | 近代化産業遺産・土木遺産



幅18.5mまでの船舶が通過できる閘門









5つのギアで開閉するスルーゲート








野球のホームベースのような形をした三池港








閘門以外にも目を惹く石積み








閘門に架かる連絡橋








水門を支える煉瓦の柱には自然石のコーナーストーンが配されている








規則正しく並んだむき出しのギアが美しい








閘門の全景 ( 海側からの遠望 )





所在地 : 福岡県大牟田市新港町1番地
竣工  : 明治41年 ( 1908年 )
閘門扉  : 英国製
Aランク土木遺産




三池港の大きな特徴の1つに閘門がある。
閘門は、船渠内の水位を干潮時でも8.5m以上に保つため内港との間に設けられた水門である。
横幅20.12m、縦幅37.51mで、周辺は花崗岩を積み上げ、底にも同質の石張りを行っている。

これにより、船渠内では1万トン級の船舶の荷役が可能となり、
この閘門には、船渠側に観音開きとなる2枚の鋼鉄製の門扉をついている(明治41(1908)年2月23日据付)。

閘門の扉は1枚の長さ12.17m、高さ8.84m、厚さ1.20m、重さ91.30トンを計り、
英国テームズ・シビル・エンジニアリング社製で、
扉の接するところは水漏れ防止のために南米から取り寄せたグリーンハートと呼ばれる
船虫や水に強く堅くて沈む木材を使用していた(現在はゴムとステンレスに変更)。

門扉の開閉も当初のまま水流ポンプによって操作されている(駆動ベルトはコットンベルトからゴムベルトへ変更)。
昭和27(1952)年と昭和58(1983)年に門扉の修理を行なっているが、
構造は当初の姿をよくとどめている。



また、閘門の両側には、大潮時の潮流緩和と、
船舶の閘門通過を容易にする目的の補助水堰(スルースゲート)が今なお当時のまま利用されている。
船渠内の係船岸壁は延べ421mで、1万トン級船舶3隻が同時に係留でき、
岸壁には、スキップ式(移動式)石炭船積機を2基(のちに3基となる)を設置し、
積込能力は1時間に250トンで、一昼夜5,000トンまで可能となった。

この三池港完成前には、三池炭鉱専用鉄道も明治38(1905)年三池港まで延長され、
坑口(生産現場)から港(搬出所)まで連続した石炭運搬が可能となり、
さらに関連して、倉庫や貯炭場が整備され、
明治41(1908)年、長崎税関三池税関支署や三井港倶楽部などといった各種施設が建設され、
港が整備されていった。


有明海は遠浅で干満の潮位差が最大5.5mと大きく、
干潮時には沖あい数kmにわたり干潟が出現する所がある。
このため大型船の来航が難しく、三池炭の搬出は大牟田川河口から小型運搬船と艀(はしけ)により、
対岸の長崎県島原半島南端の口之津港(南島原市)まで約70kmを海上運送し(まる1日間要する)、
ここで積み替え人夫(最盛期には1,500名を超えたという)の手で大型船に積み込んでいた。

こうした課題を解決するため、大型船に直積みできる港を大牟田に構築することになった。
大牟田に港を築港する計画は古くは官営三池炭鉱時代からあったが、
築港と炭鉱鉄道敷設との構想は、コスト面で実現が難しく、
官営期では大牟田川河口の横須浜が基点とされていた。


明治31(1898)年5月、欧米視察の途に就いた團琢磨(三井鉱山合名会社専務理事)らは、
ニューキャッスルやリバプールなど各地で港湾施設や積込方式を視察し、
翌年帰国後、築港適地の選定調査にとりかかった。

同年10月、当時の三井家事業グループの本社に当る三井商店理事会に
築港計画案が出され基本方針が決定され、明治35(1902)年5月着工が承認された。
同年11月3日、潮止めのための堤防構築工事から開始、
明治37(1904)年5月に防波堤工事完成、明治38(1905)年に閘門工事開始、
明治41(1908)年3月末に渠内に入水して竣工した。
4月1日、新港は「三池港」と命名され、6日には勅令第76号により開港場に指定された。



それぞれの海 「 沖縄県石垣島 ・ 石垣港 」

2014-01-16 05:10:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々







ここから
パイカジ ( 南風 ) に乗って
東シナや太平洋に浮かぶ
南の島を目指して
出発だ!




沖縄県伊是名酒造 『 常 盤 』

2014-01-16 05:09:41 | 泡盛 ・ 焼酎 ・ 酒







伊是名島といえば、島を訪れる人をピラミッドのような独特な形で迎えてくれる伊是名グスク。
その島の島酒、 「 常盤 」 。

いきなりだが 「 常 盤 」 は、すごく飲みやすい泡盛である。

伊是名島の恵まれた自然環境と、人の手による品質管理で造られた泡盛は水へのこだわりが強く、
洗米作業には、米への浸透率の高い井戸水を使い、
モロミを造るための仕込み水は柔らかく甘味ある軟水を使う。
アルコール度数調整に使われる割水は、まろやかな旨みを造る天然水が用いられている。
そんな水にこだわった、常盤の琉球松にちなんだ 「 常盤 」 は、
沖縄本島北西の東シナ海に浮かぶ伊是名島で、創業50年の歴史を持つ伊是名酒造所で造られ、
島の南西に位置する伊是名村字伊是名に居を構えている。
島の歴史と共に歩んできた酒造所である。



北九州市若松区 『 まかり通る 』 小島直記

2014-01-15 05:17:41 | 文学・文化・映画作品



石炭荷役が行われた若松の岸壁













小島直記は、主に政財界で活躍した人の伝記を数多く書いている。
『 まかり通る 』 は、 「 電力の鬼 」 といわれた松永安左エ門の
波乱にとんだ人生の足跡を克明に描写した小島直記の伝記小説の代表作である。

「 サンデー毎日 」 に昭和47年 ( 1972年 ) 1月から翌年10月まで連載された。
松永安左エ門については 『 まかり通る 』 の他にも 『 福沢山脈 』
『 松永安左エ門の生涯 』 など四作品を発表している。

安左エ門は、明治8年 ( 1875年 ) 、壱岐の豪商の長男に生まれ、
15歳で慶應義塾に入ったが、学生生活に疑問を持ち、
義塾の創立者の福沢諭吉を訪ね、 「 人生は学歴や卒業免状で勝負するものではない 」 と自説を述べ、
実業家を目指して熟を中退する。

「 山周商店を訪ねると、番頭、丁稚、仲仕たちが忙しく出入りしていて、
主人の周太郎も客の応接で忙殺されている 」
北九州若松の石炭ブローカー山周商店を訪れた安佐エ門は、
命を張った修羅場もくぐり抜け、真の実業家を目指し、がむしゃらに仕事をする。
その後、九州の電気、鉄道、ガスと次第に事業を拡大していった。

明治初年まで小さな漁村に過ぎなかった若松に一大変革をもたらしたのは、
直方~若松間の筑豊興業鉄道の開通であった。
これによって若松は日本一の石炭積み出し港として栄え、意気盛んな者たちが殺到した。


小島直記 本名 ( 小嶋直記 )は、大正8年 ( 1919年 ) に
八女郡福島町 ( 現・八女市 ) に生まれた。
旧制福岡高校から東京帝国大学経済学部に進み、
海軍主計大尉で終戦を迎えた。
経済調査官を経て、昭和29年 ( 1954年 ) ブリジストンタイヤに入社。
昭和31年 ( 1956年 ) に、 『 人間の椅子 』 が芥川賞候補となる。
昭和40年 ( 1965年 ) ブリジストンタイヤを退社して文筆活動に専念し、
経済小説や人物評伝を著した。

主な著書に、 「 無冠の男 」 「 出世を急がぬ男たち 」
「 逆境を愛する男たち 」 「 小説三井物産 」 などがあり、
『 小島直記伝記文学全集 』 が出ている。



福岡県杷木町 「 武田豆腐工場 」 直売所

2014-01-15 05:16:41 | グルメ




































杷木町の中心部から小石原へ行く県道52号線沿いに 「 武田豆腐工場 」 直売所がある。
ここを通る時には、ほとんどと言っていいくらい立ち寄って 「 とうふまんじゅう 」 を買う。
まんじゅうの他に色んな商品が並んでいるが、ここでは、「 とうふまんじゅう 」 が一番である。
急いでいるとき以外は 「 とうふまんじゅう 」 は買うようにしている。

ラップを被せて30~40秒ほど、レンジでチンして、
まんじゅうを割って少し醤油をたらして食べると、
中の ” オカラ ” とマッチして、これがたまらなく美味しくなる。
それがどこの 「 とうふまんじゅう 」 でもいいのではなく、
不思議と武田の 「 とうふまんじゅう 」 でなければならないのだ。




熊本県山都町 「 夕尺 ( ゆうじゃく ) 橋 」

2014-01-15 05:15:41 | 熊本の石橋





























所在地 / 熊本県山都町金内
架橋 / 不明
石工 / 不明
長さ / 4.3m
幅  / 2.1m  高さ / 1.9m


夕尺橋は、江戸末期に日向往還に架けられた橋である。
橋の規模は小さいが石組みの美しさでは他の橋にひけをとらない。
名前の由来は、かつてこの地区が「 遊雀 」と呼ばれていた事から
その名が付いたとされる。


夕尺橋へのアクセス
夕尺橋へは、御船インターより国道445号線を経由し、
金内橋を過ぎて300mほど行った右側の田んぼの中になる。
駐車は路上駐車になる。


沖縄県浦添市伊祖 「 伊祖の高御墓 」

2014-01-14 06:20:41 | 沖縄の王墓、按司墓、拝所










墓は浦添貝塚横の崖の中腹にある


















伊祖の高御墓は1972年のバイパス道路建設で存亡の危機に直面したが、
住民の粘り強い運動で、計画が大幅に変更され守られた経緯がある。

浦添墓地公園がある丘陵の中腹にあり、
地上より高所にあるので 「 高御墓 」 と呼ばれたようである。
墓はバイパスの伊祖トンネルの ( 眼鏡トンネル ) の真上の丘 ( 東面 ) にあり、
浦添墓地公園から展望台がある方へ入って行く。

墓は岩の横穴の前面を石で積み上げて塞いだもので、墓口は大きい。
歴史的に古い形式のものである。

墓内には三基の石棺があるといわれ、13世紀の英祖王の父・恵祖 ( イーズ ) 世ヌ主や、
先祖の遺骨が納められているという。
恵祖世ヌ主 ( 領主を世の主という ) は、伊祖グスクの城主であり、
晩年に英祖が生まれ、英祖はテダコ ( 太陽子 ) と呼ばれていた。



沖縄県嘉手納町 「 嘉手納港第四号灯標 」

2014-01-14 06:19:41 | 沖縄の灯台







灯台表番号 / 7100.54
ふりがな / かでなこうだいよんごうとうひょう
標識名称 / 嘉手納港第四号灯標
所在地 / 残波岬灯台(沖縄県中頭郡読谷村)の南南東方約9.1km
北緯  / 26-21-40
東経 / 127-44-19 
頭標 / 赤色円すい形頭標1個付
塗色 / 赤色
灯質 / 単閃赤光 毎3秒に1閃光
光度 / 実効光度 5カンデラ
光達距離 / 1.5海里
平均水面上~頂部の高さ / 5.4m 
平均水面上~灯火の高さ / 5.2m
業務開始年月日 / 昭和62年10月1日
光源 / LED(発光ダイオード)
電源 / 自然エネルギー(太陽電池)



熊本市東区 「 健軍自衛隊通り 」

2014-01-14 06:18:41 | 朝の風景とその他の風景








昼間は車でごった返す大通り
そんな情景がウソのような
祝日の朝

朝も道路も空気も
独占だった






熊本県山都町 「 金内橋 」

2014-01-13 20:07:41 | 熊本の石橋
































用水路に架かる小さなアーチ





所在地 / 熊本県山都町金内
架橋 / 嘉永3年 ( 1850年 )
石工 / 宇市 ・ 橋本勘五郎
長さ / 31.0m  
幅  /  5.5m  高さ / 7.4m
二連アーチ橋



金内橋の上部は完全にコンクリートで覆われているが、
河原から眺めると江戸末期に造られたという石組みが見える。
大小二連の目鑑橋の小さなアーチは、用水路に架けられたものである。
その昔、西南戦争の時に薩摩軍がこの場所で休息を取ったと伝えられている。


金内橋へのアクセス
金内橋へは、御船インターから国道445号線を山都町(旧・矢部町)方面に向かい、
矢部ゴルフ場を過ぎて下ったところにある。
駐車は3台まで可能。


その地形 「 熊本県天草市本渡 」

2014-01-13 20:06:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々








福岡空港から飛び立った飛行機は
右手に島原半島を見ながら三池港の上を飛び
天草の上空にさしかかる

雲の間から見える
鬼池から本渡へ続く海岸線
そこで暮らす人を想って
下を眺めた



それぞれの海 「 鹿児島県喜界島 ・ ソーダのような海 」

2014-01-13 20:05:41 | 海 ・ 港 ・ 空 ・ 木々







群青の沖から
寄せ来る波は
ブルーハワイの上を
シュワシュワっと
炭酸水のような波がたつ




今から熊本へ・・・

2014-01-12 08:50:41 | 探訪 ・ ドライブ






今から熊本へ向けて出発します。
明日帰って来ますが、
写真は後日貼り付けます。