「 九州 ・ 沖縄 ぐるっと探訪 」

九州・沖縄・山口を中心としたグスク(城)、灯台、石橋、文化財および近代土木遺産をめぐる。

長崎県五島市戸岐町 「 糸串鼻灯台 ・ 糸串鼻音無瀬照射灯 」

2016-02-21 02:36:30 | 長崎の灯台




















灯台表番号 / 6173・M5029
ふりがな / いとくしはなとうだい
標識名称 / 糸串鼻灯台
所在地 / 長崎県五島市 ( 糸串鼻 )
北緯 / 32-47-47.0
東経 / 128-48-33.0
塗色 / 白色
灯質 / 群明暗白光 明6秒暗2秒  明2秒暗2秒
光度 / 5600カンデラ
光達距離 / 12.5海里
地上~頂部の高さ / 9.55m
平均水面上~灯火の高さ / 107.3m 
地上~灯火の高さ / 9.3m
業務開始年月日 / 昭和33年3月29日
現用灯器 / 高光度LED灯器 



























灯台表番号 / 6173・2
ふりがな / いとくしはなおとなせしょうしゃとう
標識名称 / 糸串鼻音無瀬照射灯
所在地 / 長崎県五島市 ( 糸串鼻 )
北緯 / 32-47-47.0
東経 / 128-48-33.0
塗色 / 白色
灯質 / 不動白光
光度 / 19,000,000カンデラ
平均水面上~灯火の高さ / 104.75m 
業務開始年月日 / 平成14年3月29日
現用灯器 / LEX-60 


長崎県佐世保市江迎町 ・ 江迎風景 「 灯籠タワー 」

2016-02-21 01:23:38 | 写真














千灯籠まつり ( せんとうろうまつり ) は、
長崎県佐世保市江迎町で毎年8月23日・24日に行われている祭りである。

千灯籠祭りの発祥は戦国時代末期から続いている水かけ地蔵祭りであるが、
祭りの際に家の軒先に灯籠を飾ったり寺院に灯篭を奉納することが盛んになり、
やがて江迎市街地全体に灯籠が多数飾られる現在の姿になり
「 千灯籠 」 と呼ばれるようになったものである。

江迎町が北松炭田からの石炭産出で繁栄した時期は特に盛んに催されたが、
炭鉱閉山と共に一時衰えた。
その後、地元住民らの努力により現在も開催が続けられている。
1989年(平成元年)には、江迎町役場 ( 現佐世保市江迎行政センター ) 裏の高台に
高さ22mの灯籠タワーが作られ、現在まで祭りのシンボルとなっている。
灯籠タワーには、毎年約3300個もの灯籠が飾られている。



福岡県朝倉市 ・ 秋月風景 「 秋月城址 ・ 瓦坂 」

2016-02-20 10:22:53 | 写真


























瓦坂は、かつて秋月城の前面のお堀に造られた大手門(表門)に続く坂道で、
当時はこの奥に 黒門 があったが、
現在は黒門は移築していて、瓦坂から少し離れた所にあります。

この瓦坂は、名前の通り瓦を縦に並べて坂を造ったもので、
土の流れを防ぐ為にこのように造られたものである。



第10位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 マッサージチェア 」

2016-02-20 07:01:00 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

    未明から降りだした雨で仕事が休みになった。
    2日続けて休みになると助かる。
    そんな今日の順位は10位で、
    ラッキーポイントは、
     「 マッサージチェア 」 である。

    疲れがたまりダウン寸前?
    十分に休養をとって回復しよう。


福岡県田川市 「 チョコとケーキのマヌカンピス 」

2016-02-20 02:22:22 | パン ・ ケーキ ・ お菓子














































Mannekenpis の 「 小便小僧 」 がある





白を基調とした清楚な店の中には、甘くて美味しそうな香りが漂う。
自慢のケーキは美味しいのは言うまでもないが、
田川店のオリジナルご当地商品として、
「 ぼたやまクッキー 」 「 ぼたやまあんぱん 」 「 川渡り神幸祭 」 など販売している。
次回は、上のオリジナル商品を紹介したいと思います。


住所  / 田川市川宮1337-3
営業時間  / 9:00~20:00
定休日  / 年中無休
駐車場 / 有
電話  / 0947-42-5380


春告げ鳥 「 ヒバリ 」

2016-02-20 00:17:32 | 花・鳥・虫・魚・猫

昨日の昼休み、今年はじめてヒバリの鳴く声を聞いた。
そこで動画を撮ったが、眩しくて見当でカメラを向けたのがいい加減だったのか?
ヒバリの姿も声も入っていなかった。


むかしむかし、ヒバリは金貸しをやっていました。
そして、まだ地上に暮らしていた太陽に金を貸していました。
やがて太陽は出世して天の神に呼ばれ、
ヒバリに借りた金も利子もはらわずに天へ昇って行ってしまいました。
そこでヒバリはカンカンに怒って、
「 おてんとうさんに金貸した。利取る、利取る。
利子くれ、利子くれ。日イチブ 」 と騒いでいるというのです。

空高く鳴いているヒバリに、こんな話は少々コジツケと思うのですが。
ヒバリは ” 日晴 ” から転化したようである。


ヒバリといえば、まだ熊本に住んでいたころ、
中津競馬場までカネクロシオの応援に行った時に、
内馬場でヒバリが鳴いていたのを聞いて、
「 もう、春だな 」 と思ったことを思い出す。


長崎県五島市戸岐町半泊 「 コッテージ・スモーキー 」

2016-02-19 11:01:47 | 旅行 ・ 温泉













































































































































去年 「 人生の楽園 」 で紹介された 「 コッテージ・スモーキー 」 。
そのテレビを見て、 「 一度は泊まってみたい 」 と思っていた宿である。
それで予約を取って五島に渡り、一宿一飯ではないが、
一泊二食のお世話になったわけである。


佐藤さん夫婦がカリブ海の島で14年暮らし、
そして老後移住したのが長崎県五島列島福江島の
福江市から約30分のところにある半泊 ( はんどまり ) 地区である。
かつてカクレキリシタンがこの地で生活するのに場所が狭く、
半分しかこの地に残らなかったことから 「 半泊 」 になった地名である。


「 コテージ・スモーキー 」 は1組だけ泊まれる贅沢なコテージで、
” 薪ストーブの煙 ” がその名の由来だそうです。
風呂はもちろん、薪で沸かす五右衛門風呂です。
ボクは一人で、半泊の自然と、
コッテージ・スモーキーの自由でスローな贅沢な時間を独占したが、
ここは、プライベートでの生活が満喫できる設備が完備されているので
家族連れや友達と行くのには最適だと思う。

ボクが一人だったので、奥さんが風呂を沸かしてくれ、
自炊するつもりだったけど、料理も作ってくれた。
キビナゴやアジは間伏の西さんから捕れたての物を頂き刺し身にしてくれた。
手料理の鍋や漬物などを当てに久米仙を飲んだが、
どの料理も新鮮で美味しかった。

「 コッテージ・スモーキー 」 では、塩作り体験や
日本蜜蜂の養蜂の体験で採蜜やピザ作り、さらに里山整備味噌作り、
そして五島の半泊湾での釣りやシュノーケリングなどのほか、
山ではトレッキング、山菜採り、椿の実採取などなどが楽しめる。

佐藤さん夫妻とは色んな話をたくさんした。
ご主人とは嵯峨島に一緒に行き、
間伏集落の奥にある糸串鼻灯台まで山道を20分かけて歩いて行った。
海外生活のこと、島のこと、議会のこと、競輪のこと、
沖縄のこと、琉球王朝のこと、土木工事のこと、学校教育のこと、
馬の絵のこと、個展のこと、教会のこと、墓のこと、
それはもう、いろんな方面の話を車の中やストーブの温もりの中でたくさん話した。

「 また、会いたい 」 と思わせる素敵な佐藤さん夫妻だった。
そして、「 またゆっくりと泊まりたい 」 と思ったコッテージ・スモーキーだった。


「 コッテージ・スモーキー 」

住所  / 長崎県五島市戸岐町1224
電話  / 0959-73-0383


第12位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 イベントのチラシ 」

2016-02-19 06:01:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ

      昨日の朝はフロントガラスが凍るほど冷えたのに、
      昼間は、着ている上着を脱がなければならないほど気温が上がった。
      異常なほどの日較差は、株ではないが、まさに ” 乱高下 ” である。
      そして、今朝も冷えたが、
      今夜から明日にかけて雨予報だ。
      その雨で、また寒さがぶり返しそうである。
      わずかに感じた春も雨で 「 仕切り直し 」 だな。
      そんな今日の順位は12位で、
      ラッキーポイントは、
       「 イベントのチラシ 」 である。

      周囲に熱意が伝わらずにイライラ・・・
      何事も人に任せず自分自身でこなすことを考えよう。


沖縄県那覇市首里 「 ぎぼまんじゅう 」

2016-02-19 01:41:06 | パン ・ ケーキ ・ お菓子



月桃の葉に包まれ、ひらがなの 「 の 」 の字が書かれた ” ぎぼまんじゅう ”


















































那覇市首里の久場川に店を構える 『 ぎぼまんじゅう 』
( 通称:のまんじゅう、1個税込150円 ) のまんじゅうである。
中華まん風の大きめのあんまんで、
食紅で大きく“の”と書かれた素朴なまんじゅうである。

そんな「 ぎぼまんじゅう 」 を知ってから5年になる。
でも、なかなかそこまで辿りつけなかった。
昔の店は、末吉宮の帰りに歩いて行きかけたが、
途中で 「 ぎぼまんじゅうはもう、売り切れて無いですよ。 」 と言われ引き返した。
2度目は店を探し出せず、3度目は日曜日で定休日だった。
そして4度目にしてやっと買えた。

「 ぎぼまんじゅう 」 の近くにある羽地朝秀の墓は、
3年がかりで5度目にしてたどり着いたのとよく似ている。
それだけに達成した時の喜びや感動も大きいものである。

店内は撮影禁止なので、店内の情景は写せなかったが、
白いまんじゅうに 「 の 」 の字を書きますか?と訊かれて、
「 ハイ! 」 と答えると、見ている目の前で、
朱色の食紅で鮮やかに 「 の 」 の字を書いてくれた。
その “ の ” の字はのしの意味で、
昔からこのまんじゅう一種類で “ の ” を書けばお祝い用、
何も書かないものは法事用、とオールラウンドな用途に使っていたそうである。
お祝いでも何祝い用というのが特に決まってないので、
結婚式や新築祝い、進学祝い、出産祝い、入退院祝い、
どんなことにも使えるからとひいきにしてもらっている方も多いという。
だから、一度に数十個まとめて買って行く人もいて、
開店と同時に行かなければ、手に入らないこともあるとか・・・

やっと手に入れた5個の 「 ぎぼまんじゅう 」 は、
月桃の葉に包まれ、そのまま那覇空港に向かった。


大分県中津市 「 夜明けの飛行機雲 」

2016-02-19 00:03:55 | 朝の風景とその他の風景




























今の現場に行き始めてから、随分と夜明けが早くなった。
それでも家を出るときは真っ暗だが・・・
昨日の朝、東に向かって行っていると、
朝陽に向かって一筋の飛行機雲が線を引いた。

そして現場に着くと国東半島をかすめるように
一筋の飛行機雲が伸びた。



第7位 みずがめ座 ・ 今日のラッキーポイント 「 ベーグル 」

2016-02-18 06:00:41 | 今日の占い ・ 二十八宿とコトバ


     今朝は よく冷えた。
     放射冷却現象でフロントガラスが白くなっていた。
     今朝も 「 ぬるま湯 」 を持っていかなければならないな。

     今日も安全運転。
     無事故無違反で走ろう。
     そんな今日の順位は7位で、
     ラッキーポイントは、
      「 ベーグル 」 である。

     思いつきの行動はヤメテ
     ちゃんと考えて行動しよう。


長崎県五島市富江町 「 勘次ヶ城 ・ ( 山崎の石塁 ) 」

2016-02-18 02:22:22 | 歴史 ・ 墓 ・ 城 ( 本土 )

















































勘次ヶ城は、山崎の海岸際に築かれた倭寇築城の城で、
『 山崎の石塁 』 と呼ばれている。 案内板の説明によると、
山崎石塁の構造は、倭寇が活躍した当時、
明国沿岸に築かれた海賊の築城と同型と云われている。

海岸線に沿って築かれた石塁は、延長約80m・高さ約4mほどあり、
いくつかの石室も設けられ、
ここに倭寇が貿易や略奪で得た品々の保管場所でもあった。
これを裏付ける数々の出土物が発見されているようである。

勘次ヶ城は、築城年代や築城者については定かでない。
室町時代に朝鮮半島から中国大陸を侵した海賊は、
「倭寇」と呼ばれていたが、富江の豪族田尾氏は、松浦党に属し、
ここを出城として海賊・密貿易(倭寇)で勢力を伸ばしたと云われている。

( 現地案内板より )


福岡県みやこ町豊津 「 特 牛 ・ 石焼ビビンバ定食 」

2016-02-18 01:24:55 | グルメ






















ランチのみの680円の石焼ビビンバ定食。
熱々の石窯に出来たパリパリおコゲを
生卵にブチ込んで食べると半熟になって旨さが増す。
味噌汁まで付いて680円はお得である。
しかも、外は寒かったけれど、汗をかくくらい温もった。

今度はチャンポンかカツ丼を食べてみようかな。



長崎県五島市玉之浦町 「 立谷教会ミニチュア 」

2016-02-18 00:04:41 | 教会













長崎県五島市玉之浦の立谷地区には、
国宝大天主堂の次に建てられたとも言われている木造の教会があった。
当初は、楽廊やステンドグラスがあったリブヴォールト天井になった三廊式の聖堂であった。
そんな教会だったが、老朽化と昭和62年の台風で打撃を受け、自然崩壊してしまった。
教会跡には、平成11年にかつて教会があったことを紹介する案内と、
自然石の祭壇が作られ、マリア像が安置されている。
教会入口の道路脇には、それを知らせるこの教会のモニュメントがある。


沖縄県金武町 「 島ん人ぬ絆 」

2016-02-17 08:22:41 | 音楽 ・ 映画














この 「 島ん人ぬ絆 」 は、去年、金武町に行った時に、
Sさんからプレゼントとして頂いたものである。
その日、SさんとSさんの友達と一緒に 「 ゆんたく 」 にも参加させていただき、
素敵なSさんと千葉から来たKさんなど楽しい仲間と
楽しい時間を過ごさせていただいた。

「 海外移民のことを多くの人に知ってほしい 」 と、
2011年の世界のウチナーンチュ大会に感動した上原顕蔵(けんぞう)さんが
歌の作詞に初挑戦した曲 「 島ん人(ちゅ)ぬ絆 」 のCDである。

移民の苦労や 「 チムグクル 」 を忘れないでほしいとの思いを込めた歌に、
第2回世界若者ウチナーンチュ大会沖縄事務局メンバーらも共感し、
大会でCD200枚を配布することを決めた。
上原さんの感動から生まれた曲が、県内外のウチナーンチュの心を結ぶ。

上原さんは11年の大会で感動し、胸から言葉が湧いた。
「 移民しんかぬ 百年の苦労(あわり) 世界うてぃ 
喜びの花咲かち 御万人(うまんちゅ)し 祝らな 島ん人の絆 」
( 移民の仲間たちの 百年の苦労の末に世界にいる子や孫には
喜びの花が咲いている みなで祝おう しまんちゅの絆を )

詞には「海外移民が古里を思う気持ちを地元の私らも感じていることを伝えたい」との
思いが込められている。






金武区の上の毛(ウィヌモー)に立つ 「 大城孝蔵 」 の銅像





フィリピン移民は、大城孝蔵の功績をおいて語れないといわれるほどです。
孝蔵は弱冠23歳のときに同郷の當山久三に勧められて
移民の監督として初めてフィリピンに渡りました。
当時、孝蔵は東京帝国大学農学実科に籍をおいていたといわれていますが、
学業半ばで移民の世界に身を移すことになります。
 
孝蔵の生誕地は當山久三と同じ金武間切(まぎり)金武村(きんむら)で、
生家は由緒ある家柄でした。
成績も優秀な少年生活を送りました。
當山久三は金武尋常小学校の先生で、孝蔵の恩師でもあったのです。
孝蔵は十代より海外移民には興味をもち、移民研究にも早くから熱心でした。
 
孝蔵は1904年(明治37)2月20日、神戸から出港してフィリピン・マニラに向かいました。
その後、同年4月には沖縄県移民111人が那覇港を出発。
それから1935年(昭和10)までの31年間、ダバオ市アンダ街の上原旅館で病死するまで、
孝蔵はその生涯を同地で送りました。
 
孝蔵の移民地での最初の仕事は、マニラでの過酷なベンゲット道路工事でした。
工事のあと、沖縄県移民100人余りを連れミンダナオ島のダバオへ移りました。
そこで、孝蔵は兵庫県出身の太田恭三郎(おおた きょうさぶろう)と
太田興業株式会社をおこし、マニラ麻(アバカ)栽培で成功をおさめることになります。
以後、同会社の副社長として沖縄県出身移民を多数呼び寄せ、
ダバオ市の開拓に人生を捧げました。
とりわけ、当時のダバオ市の開発と発展は、孝蔵の貢献が並々ならぬものであった。
ちなみに、ダバオ市にはバゴセロ(バゴ・オオシロ)という地名まで残されているほどです。
また、マニラ麻の動力応用麻挽機(ハゴタン)の発明にも貢献しています。
 
孝蔵はダバオ沖縄県人会やダバオ日本人会の創立に熱心に関わり、
大きな役割を果たしました。
その労が評価されてダバオ日本人会の初代会長になったほどです。
ダバオ沖縄県人会の創立は1916年(大正5)で、
ダバオ日本人会の創立は1918年(大正7)のことでした。
 
孝蔵が健康を害して世を去ったのは54歳でした。
ダバオで日本人会葬が行われたほどです。
一生涯を移民地で過ごした人物として知られています。