今日の日中は気温も上昇して、汗ばむ陽気でした。
さて昨日我が家は、大型連休の最後の平日を選んで、帰省している長男のリクエストで「高野山」と、「龍神温泉」へ日帰り小旅行をしてきました。
小さい頃息子達を何度かドライブがてらに「高野山」へ連れて行ったり、次男が免許を撮った時にも行ったりはしたことがあるのですが、中の橋から「奥の院」までは歩いたことはあっても、何時も門前の道路を素通り
してしまうことが多くて、今回は歩いたことがない辺りをじっくり散策することにしました。
では、今回は世界遺産「金剛峯寺(徳川家霊台地区)」~「徳川家零台」までを(P1)としてご紹介します。
高野山への西の入口に「大門(だいもん)」があります。裏側の道路で
待っててもらって、初めて門をくぐりました。右の写真は向かって右側の金剛力士立像「阿形像 (546センチメートル)」 です。
そして左側には「吽形像 (558センチメートル)」ですね。この大きさから「東大寺南大門の仁王像に次ぐ我が国二番目の巨像となるそうです。右の写真は門をくぐって、大門の裏側です。
地図の左の端が大門の位置で、少し右手の霊宝館傍のグリーンの絵が駐車場です、其処からブルーの線での散策をご紹介しますね。
正門を望みながら境内へ・・両側の枝垂れ桜は満開でした~。この日平地の外気温が22度でしたが、此方へ上ってきたら16・5度でしたよ。
額縁になってしまった
正門は金剛峯寺の建物の中では一番古いそうです。その門を撮りたかったのですが観光客が多くて・・
「主殿(重要文化財)東西(60メートル)南北(70メートル)」をはじめ奥殿、新別殿 書院、護摩堂、茶室等の建物を備え、寺内には狩野派の襖絵や石庭も設けられていて、境内総坪は、48,295坪の広大さです。桧皮葺の屋根の上の桶のようなものは雨水をためておいて、火災が起きた時、火の粉が飛んで屋根が燃え上がらあいように桶の水をまいて湿らせ少しでも類焼を食い止める役割をした「天水桶」と言われるものだそうです。
正門右手の「鐘楼」は再建(1864年)されたものだそうですが、歴史を感じますね。桜も咲いてます。(我が家の父子も映ってしまってます)右の写真は金剛峯寺の表玄関に当たるところで「大玄関(天皇 皇族の出入り口)」と言われてるようです。右手に小玄関もあって、此方は上綱職の方々の出入り口。
此方は境内東の端の「東門?」でしょうか、ひっそりとしていて、綺麗な植栽の緑が目に入ったので撮ってみました。此処から出て北へ向かって更に西に折れて一路「徳川家霊台」を目指しました。
西に向かって歩いてる途中の道沿いの木の柵には苔が・・右の写真は「宿坊 福地院」5千坪の敷地に70の部屋がある高野山最大の宿坊で、800年の歴史があるそうです。お庭も有名な庭園家(重森三玲氏)によるものだそうで世界的に高い評価を受けているとか。(見たかったな~~
泊らないと・・)
此方も沿道の宿坊の寺院だと思いますが枝垂れ桜が綺麗でした~
「徳川家霊台」の入口近くに「山吹(ですよね)」と、右の写真、なんて言う花でしょう?大きな老木の傍にひっそりと咲いていました。
重要文化財「徳川家霊台」です。三代将軍「家光公」が大壇主となって創建されました。右側が東照宮(家康霊屋)、左側に御霊屋(秀忠霊屋)です。小さな柵穴から撮ったので旨く撮れてませんが・・・
写真の通り周囲には縁と勾欄がめぐり、正面向拝は唐破風、銅瓦葺屋根には露盤を頂き、内部には「壁面 天井 厨子」に至るまで、金銀蒔絵・極彩色飾り金具で華やかに飾られてるようです。
一辺の長さは6.7メートルの小さい堂と書いてありましたが、共に方三間宝形造りだそうです。いやいや霊屋にしたら豪華ですよね~
次回は此処から「女人堂」へと向かい、おリ返して「壇上伽藍」までをご紹介します