昭和30年代がブームになっていると言うことで、MS銀行から頂いた小雑誌{毎日が発見}の中から、「町田 忍さんの収集物から・・・懐かしい昭和のモノと風景」の記事をしてみました。
熱線がじんわり赤くなる電熱器 脚も手も赤チンだらけだった赤チンキ(ギラギラと輝く色が独特だった) かつお節削り器デお手伝い。 画期的だったトランジスターラジオ お父さん、お兄さんの弁当箱 「しゅっしゅっ」はこれだった、ピレキング{エアドール式が登場するまでは、ほとんどの家庭に一つはあったと思われる道具。} カメラが庶民のものに・・・以上記事より・・・
全て私の祖母が居た頃、生活の中で目にしたモノばかりで、懐かしいです。
弁当箱。は、アルミの表面を加工したアルマイトだそうです。小さなおかず入れもついて、ふたの側面に箸を入れるスペースもあったそう。
カメラの値段は、戦前だと家が一軒建つほどのものだったとか。30年代で安価なカメラが次々登場したそうです。
モノがあまり無かった時代のもののほうが、大切に使っていただろうしモノに対しての愛着が生まれるのでしょうね。
今の携帯電話を次々変えれる時代、モノがあふれてる時代、豊かになりすぎた時代、何かこれでいいのか?と思ってしまいました。
昭和村に行ってみたいです。岐阜ですか?犬山の姉の所に行った時にでも・・行けたらいいのですが・・・
残念です。
ところで、昭和の物は、死んだ父親が好きで
たくさん持ってました。でも、今は、
どこにあるのやら。
確か、赤チンキは塗っても痛くなかったのですが、ヨウチンは塗ると痛かったように思います。赤チンキは水銀と言うことで、販売できなくなったように記憶しています。
塗るものというと「オキシフル」がありました。
おかげ様で、ランクUPできました。
いつもコメント頂いたり、ランクを気にしていただいたり、感謝いたしております。末永くお付き合い下さいませ。
赤チンキは水銀だったんですか。知りませんでした。
「オキシフル」、先日薬店で、消毒薬を探してたら、「マキロン」の横に並んでましたよ「オキシドール」。昔は確か、茶色の瓶だったように記憶してますが、白のポリになってました。