Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

プファルツ風ポテトサラダ

2020-08-13 | 料理
漸く返金手続きが済みそうだ。事情が事情と言いながら皆が気長に辛抱しているのだろう。コロナ条件を粛々と守っている気持と同じだろう。そうは言っても場所や地域によってその対応が異なっている。それが差になって、ロックダウンを避けがたい地域と逃れる人々の差が出てくる。このことだけは間違いないと、その新感染数の指数から感じている。20から30に至っている地域は自然減少は期待できないだろう。恐らく実行再生産数で1.5を超えているのだろう。感染者数が増えれば同じ振る舞いを続けていれば2を超えるのも近いかもしれない。

近所ではルートヴィッヒスハーフェンが26.9で全連邦でワースト二傑になっている。巡回するなりして引き締めないと駄目だ。祖国帰りの人とかが持ち帰ったとされているが、テストに並ぶ人の間隔を写真で見ると、これでは駄目だと思わせる。1mを切っているところはどこかで次の波が来る。

ここワイン街道地元はどこかで発生したらしく3若しくは隣近所では2となっているが、クラスターならばまた零行進に還ると思う。また来週から新学期になるとどうなるか。絶えずチェックして行かないと駄目である。結構な神経戦を迫られる。来週あたりから涼しくなって秋になって行くので、冷静な行動が可能となろう。

バーデン・ヴュルテムベルク州の状況が指数4ととても良くなっていて、とても喜ばしい。月曜日にバーデンバーデン祝祭劇場の発表があったようで、11月1日のヘンゲルブロック指揮特集までが来週に発売されて、入場者500人まででノイマイヤーのバレー公演から再開される。一月後の9月にそれ以降の期待される恐らく1000人規模の演奏会となる。新制作「サロメ」のオペラ公演がどうなるか、またベルリナーフィルハーモニカーの公演がどうなるかだけである。つまり、このまま返金もしないでおいて9月中旬まで全額寄付の判断も伸ばしておく。

早朝涼しくなったので一っ走り行こうかと思ったが、断念した。汗を掻くためだけならばもう1日伸ばして、もう少し涼しくなってからでもいいと思った。今年の暑さは2015年とかに並ぶもので期間は短いながらも、また夜間の気温は不快なほどではないので2003年とかとは大いに異なる。だから水風呂には入っていないが、シャワーは頻繁に浴びる。来週パン屋が始まるまでに一発最後の機会を活かして恒例の真夏の頂上往復ランが出来るか?気温からすれば土曜日早朝となる。

中々夜分も涼しくならないので、出来るだけ火を使わないものを食したい。ポテトサラダは先に準備しておくので涼しい時は可能だが、やはりそれはそれで面倒である。食するのは気持ちが良い。先日ザルツブルクに残りをピクニックとして持って行った。トスカニーニプラッツでヘレスビーアを1リットルほど引っ掛けてから、宿に戻ってそれを食した。夜食としては丁度よかった。



参照:
矛盾のザルツブルク音楽祭 2020-08-12 | マスメディア批評
乾いた汗の週末 2005-06-20 | アウトドーア・環境
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェス盤状に聴衆を配置

2020-07-24 | 料理
新たなザルツブルク情報。HPには無かった情報として、座席をチェス盤のようにいれるということで、すると二席毎となる。2179席が大劇場、1438席がフェルゼンライトシューレで、其々1000席、700席を入れるという事だろう。これは可成り危ない。基本としてオーストリアの1mのソーシャルディスタンシングに館内移動はマスクを着けてとなっている。

これだけの情報で躊躇するドイツからの訪問者は多いと思う。移動中の1mは明らかに密だ。知る限り、ドルトムントの街中がその感じだったので、あれでは駄目だと思った。案の定、新感染指数9とかで高止まりである。時間が立たないと動かしながらではあの程度の距離感で生活していては消滅には遠いと思う。

そして舞台関係者を三種類に別ける赤色、オレンジ、黄色は、其々舞台上で近くに寄って歌や演技などをする人々、次にその人達の近くで若しくはマスク無しで仕事をする人々、最後に通常のマスク着用で仕事をする人などである。その段階によって四日以内のPCR検査などが実施される。ざっとこうしたところだ。

一見、充分に管理されているように見えるがそもそもPCR検査を四日以内に受けても三割の偽陰性もあり、そもそも完全隔離されている訳ではない。症状が出ていない者がPCR検査を受けても殆ど価値が無い。それ以上に一度感染者が赤とかオレンジの中に出ると続行中止という事になるのではなかろうか。手筈が整えてあるのは黄色部門での陽性の場合ぐらいではないかと思う。実質的に舞台稽古の板の上で若しくは奈落で一人でも出ると二週間の自粛となって致命傷である。

この24時間でザルツブルク市内で3人の陽性が確認されている。新感染指数では16とヴィーンの26よりは大分マシである。ドイツで相当するのはボッフムとかその程度で上位二十傑に入るだろう。ミュンヘンが6.9という事で、そこからは恐ろしくて行けない。兎に角、オーストリアの状況は良くない。

そこで地元などのコロナ状況を見るとやはり飛行機でバルカン半島から戻って来る旅行者にはPCR検査が必要になっているようだ。オーストリアは関係が強いためでもあるが全ての感染はバルカン関連とされているが、俄かに信じられなかった。しかし実際にそこの感染状況は悪いので、医療の問題や今後の火種になる可能性は捨てきれない。

寝坊をすると陽射しが射して走るのも苦しくなる。何とか一部を除いては木漏れ日程度で気持ちよく走れた。一年で一番暑い二週間ほどだ。乾燥しているので気持ちはよいが、朝食にはクヴァークを付けた。日本では北海道の人しか食さない牛乳のおからである。だから同じようにおいしく食そうと思うと、卵やら蜂蜜やらと色々なものを入れるので結構高級な朝食となる。今回は前夜にジャガイモに付けて食したのでそれだけ豪華な感じもする。



参照:
ヨーグルトとトッペン 2005-10-05 | 料理
音楽祭百周年記念番組 2020-07-13 | 文化一般


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中々エレガントな趣

2020-06-01 | 料理
先日ドイツの公立劇場の再開を果たしたギュンター・グロイスボェックがミュンヘンの劇場でSWRのインタヴューを受けている。売れっ子なことは分かるがそこまで聞き行ったかと思った。話題はもっと個人的なところへと及んでいて、リクエストの音楽を交えての一時間の放送を聞いてしまった。何かこの人は面白い。

ヴィースバーデンで声は掛けなかったがお互いに顔を見ていたのだが、インタヴューが終って楽屋へ戻ろうとするときにこちらの方に来たので、何かなと思ったら、「どこだったっけ」と一人呆けをしていた。オーストリア人で大男なので、大抵は野卑な感じが強くなるが、一寸身のこなし方などが体格の割にはエレガントな事にも気が付いていた。役者としての修行だけでは無いものを感じていたが、なるほど父親を早く亡くしたというが、医者で母親は教師だったと聞くとなるほどと思った。先ず何よりもこの間の自宅からのピアノを弾きながらの歌はただのお遊びでは無かった。だからリーダー歌手としては未知だったが40ユーロ近い額を払っても価値があると思ったのだった。

なるほど特別な音楽的な教育のある家庭では無いながら子供の時からピアノを弾いていて、10歳の時にはピアニストか指揮者になろうとしていたというから、そうだろうなと思った。それでも弾き歌いしている曲のピアノの難度は限られていて、同じマルティタスクにしても車を運転してとかなんかよりも容易だと語る。

ここに来てフェーズシールドが急に話題になって来た。理由はマスク義務への懐疑と夏に向けてのマスク不健康感が高まっているからだ。オーストリア等での義務化を止めたところは賢いが、お店などで長い時間マスクをしなければいけない人は、シールドの方が楽だということで普及しつつある。新規にメーカーが生産に参加してきている。

我が肉屋でも一人はシールドに替えた。彼女は眼鏡が曇ると語っていたのでより楽なものを探したのだろう。マスクと比較すると唾は飛ばないでもアエロゾール感染には疑問だとコッホ研究所の見解で、そもそも本格的なマスクでなければアエロゾール感染を防ぐことは難しい。やはり義務化を取り止めるしかないだろう。

サーモンを食した。通常は骨付きを塩焼きするのだが、綺麗な切り身があったので、薄塩でジャガイモと一緒に吹かした。ノルウェーのフィヨルドに旅行した時にそのようにして食したのを覚えている。その時は何切れもあったが、一切れでは流石に物足りなかった、リースリングのゼクトの最後の一本を開けた。これはこれで楽しめた。時間が立って酸が落ち気味で苦みが出て来出したので丁度良かった。



参照:
ドイツ最初の公立劇場再開 2020-05-15 | 文化一般
毒が体中に回った元旦 2012-01-02 | 暦
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐ろしいコロナの浸食

2020-04-20 | 料理
軽い下痢である。喉の痛みから、全身症状へと広がった。これで殆どのコロナ症状を経験した。改めてコロナの恐怖を感じるようになった。やはり軽症と思って無暗矢鱈にコロナに触れてはいけないと思うようになった。やはり健康でも医療関係者はもとより、神父やバスの運転手まで亡くなると思うと、とてもではないが密度の濃いコロナとの接触は避けなければいけなことがよく分かった。同じような事を一度書いたつもりだったが、ここまでふらふらになると何時かは免疫力が及ばなくなる時が来ると思うようになった。コロナウイルスは抗体も出来ずに中々完治せず、日和見感染もすると書いてはいても、もう二月以上も付き纏われているといい加減嫌になる。

要するにどれほど健康な人でもコロナの攻撃を受け続けると危ないのだろうと確信した。防御をしようと思うようになった。先ずは昨今の傾向からすると、念のためにN95若しくはFFP2のマスクを持っている人に都合して貰って、手元に置いておくことにした。自らの唾では無くて、いざとなれば防御する用意をすることにした。医療危機は乗り越えたが、まだ感染は増えていく、現在は自分自身が家で咳き込んでいるだけであるが、いずれ身近にそういう人を見るであろう。どうしても逃れられ無いこともあるかもしれない。

読売交響楽団の「グレの歌」を観た。話題になっていて絶賛されていたのでそれなりに想像していたが、大分実際の演奏は異なった。確かに歌手はマーンケ一人がまともに歌っていたが、そもそも歌劇場指揮者の割にはカンブレランの指揮が悪いと思った。楽曲も慣れていないのかもしれないが、この指揮者で独墺作品を初めて聴いたが、やはりよくなかった。既にザルツブルクでも、また昨年もフランクフルトでも数多く実演を聴いているのだが、舞台の上で指揮するのを初めて観た。劇場指揮者の割には歌手を上手に歌わすのが下手で、歌手の選択と主にこの指揮者は劇場としての出来よりも自分の音楽しか考えていないのではないかと思う。モルティーエ博士は、演出舞台を最初から付き合って舞台を作り上げていく指揮者としていたが、最終的に歌手も楽団からもその音楽性を上手に引き出さない。ラトルなどとは異なって経験もあって、「勝手にしろ」ではないのだが、「勝手にする」のがこの指揮者の指導力なのだろうか。だからいつも予算にケチつけて音楽監督職を投げ出す。要するに積み上げが出来ない監督なのだ。

管弦楽団は、やはり弦楽部がN響の様に鳴らない。中々乾いた音色で魅力はあるのだが如何せんあれだけの大編成の曲でも、それ故に?鳴り切らない。声部間の出入りは指揮と相まってお得意のようだが、全合奏力としてその域に達していない。その点は、流石に「三流交響楽団」と呼ばれるヴィーナーフィルハーモニカーをアバドが指揮しても鳴り切らないことはなかった。但しあまりにも滲みが多過ぎた。まあ、ペトレンコが指揮しても余程の錬成会でも開かないと駄目である。

先日のキュウリも痛みが酷かった。最初は税関で止められて時間が掛かったのかと思っていたが、よく考えると手で触れたような場所から痛み出していた。最初は傷があった記憶はない。そしてこのルッコラも痛み方が異常だ。

そのようなことを考えていたらコロナウイルスが食料品に乗って感染する場合のサラダなどの問題にぶち当たった。感染している者が最早と考えていたので気にしていなかったが、二日ほど生野菜で活きているとなると気になる。



参照:
演奏会の今後の解決課題 2020-04-18 | 音
まさにコロナ陽性症状 2020-03-18 | 生活

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィール背中肉ステーキ

2019-12-16 | 料理
ショスタコーヴィッチ交響曲11番、次の演奏と見つけたのはコンドラシン指揮のモスクワでの演奏である。13番は、恐らくユダヤ系という事もあるのか、もはやムラヴィンスキー指揮では無く、この指揮者が初演している。少なくとも録音した時点では作曲家の直接の意向などを分かっていたと思う。そして、ここでも後の世代のヤンソンスなどと同じような曖昧さがその演奏解釈の特徴になっている。明らかに楽譜以上の何かに頼って演奏している。その何かが作曲家直々の指示なのか雰囲気なのかは分からないが、それならばなぜあんな楽譜を出版しているのだろうと疑問になる。

マーラーのパロディーの様にも響かせながらも結局は何も起こらない。対抗声部を強調したかと思うとこれも尻つぼみとなる。二楽章までしか聴いていないが、どこまで行っても何かあるように見せて何も示さない。

ここ二三年、キリル・ペトレンコのお蔭で熱心にロシア音楽にも親しむようになったが、チャイコフスキーだったり、最終的にはとても西欧指向的な土壌での接触なのでこうした不明瞭な曖昧模糊としたものが本当にショスターコーヴィッチが目した感興なのかどうか、少なくとも「マクベス夫人」や四重奏曲など他の曲での印象とも異なる。記譜の問題などではある筈がないのだが、益々分からなくなってきた。父親と作曲家との繋がりなどモスクワ流れの継承としてユロスキー指揮の演奏でその霧が晴れるのかどうか?

肉屋に立ち寄ると、ヴィールの背中肉があった。旨そうなので切って貰った。どうも購入したのは初めてだったようで価格が分からなかった。結局牛フィレと同じだと分かって、キロ49ユーロだった。薄く切って貰ったが7ユーロした。尋ねると一番いいのがステーキなのでそのようにした。ロズマリーとレモンで味を調えた。ワインはラインガウの2015年産テュルムベルクのリースリングを選んだ。熟成しだしていて丁度良かった。

フランクフルトから帰宅した。出かけるときに車のギアーが故障して焦った。なんとはなったが自分で治せるように調べておかないといけない。その遅滞で少し焦っていたが、ゆっくり走っていて再び写真を写された。今回はネズミ捕りの一時的なカメラが陸橋の下に隠してあった。前の車が時速80㎞ほどで走っていたので追い抜いたら赤く光って、直ぐに100㎞の制限速度が見えた。どんなに出していても110㎞ぐらいで、100㎞制限ならば殆ど誤差を超えたぐらいだ。前回の、ミュンヘンの帰りも似たようにゆっくり走っていた。まだ書類が来ていないからわからないが警察には恥を知れといいたい。



参照:
熱すぎないシュニツェルのうまさ 2014-12-22 | 料理
とても腰が低い歌姫 2019-11-19 | 女

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

藁の匂い漂う村にて

2019-08-29 | 料理

泊まっている村で朝一番に買い物をした。前夜は街の真ん中にあるレストランで食事をした。ネットで比較的評判が良かったところだ。その前に買い物に行く予定が、大誤算に見舞われた。スーパーが閉まっていたからだ。第九の楽譜を見ていて遅れた。

午前中に一度市内まで出かけてサクソフォーンのジェス・ジラムのデビューコンサートだった。以前は別の湖に沿いの教会でやっていてそこでの演奏会は何度か訪問した。最後は作曲家ヘンツェと一緒にラトル指揮のベルリナーフィルハーモニカーでの晩の演奏会に招待されていた時だった。既に何番だかの交響曲初演にも接していたのでヘンツェと並んで彼の曲を聴くのは遠慮した。あまりお世辞も言えないと思ったからだ。嫌いではないが、当時の自分としては殆ど評価の仕様がなかった。恐らく今でも評価はそれほど変わらないのではなかろうか。機会があれば三島のことを話そうかと思ったぐらいだ。

そして新しい会場を試してみたかった。想定以上に良かった。スイスの場合は室内楽は殆ど教会で演奏されるので、ノウハウもあるのだろうが、楽屋もなくスクリーンで囲んであるだけだが、音響は素晴らしい。現在離接の僕位の家が出来上がると、楽屋になるのだろう。予約席なので上の二列目で条件も良かったかもしれないが、残響も綺麗に乗って明快だった。木曜日に時間があればもう一度出かけたい。

演奏とプログラムは良かったが、なるほどテノールサックスの巧さはこちらの認識を変えるほどだったが、如何せんオーボエなどと比較するともう一つの細やかな表現とはならない。仕方ないのかもしれない。

さてスーパーが閉まっていたのは田舎だからだ。いつもフランクフルト在住者などにはワイン街道は田舎だから店が早く閉まると笑われるのだが、まさか18時30分で軒並み閉まるとは思ってもいなかった。だから昼の帰りに買わなかったのだ。所変わればで仕方がない。それで買い物を翌朝にしておいて食事とした。そしてあたった。

そこで見つけたのが前菜の藁で香りをつけた干し肉で、更についてきた白卵のメレンゲにまた味がついていた。後半のフォカッチャソフィア・ローレン風も全然悪くなかった。スイスドイツ語圏ではサン・モリッツ等のグラウ分電地方と合わせてトップクラスの食事だった。味付けがとても良かった。後半のそれには唐辛子ソースが付いてきていて、ニンニクが欠片ごと漬け込んである。だから豆板醤のマネをしたのではないかと尋ねておいた。そしてワインをそれに合わせて先ずはテッシンの白そして地元の谷のドルンフェルダーと三杯も飲んで、ビールも二杯のんだ。64フランは安くはないが大満足だった。それどころか夜遅くまでやっていて、水曜日は23時までならまず問題なく温かいものが食せるという。難民にならないように、また明日来るということにした。これは大きな加点要素だ。この村の常連になっても良いと思った。

 

 

 

参照:




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アスパラガスも終わり

2019-06-04 | 料理
週明けから走った。出遅れて、陽があったので汗を掻いた。それでも例年の六月からすれば五月の様に気持ちがよい。週末二日間の試飲会はそれなりに疲れた。肝臓の機能というよりも飲む量も多いかったに違いない。何処にも出かけなかったが連休疲れの一種だろうか。

さていよいよブレゲンツでのマーラー交響曲八番の第二部の放送である。そしてなぜか第一部の放送分がまだオンデマンド化されていない。普通ではないのだが、考えられるのは二部が揃って、纏まった形でオンデマンド化するというサーヴィスだが、このローカル局の仕事としては超えている。もう一つはオンデマンドにはしないという約束があった可能性だ。昨年の七番は一切出なかったのに比べて、その方が解せない。兎に角、第二部をしっかりと中継録音放送で録音しなけらばならない。

第一部はいつものように32BitFlot96kHzで録音して、そのNASからの再生に苦労したが、ようやく落ち着いてきた。ネット接続のプロトコールなどのアップデートも影響すると思う。更に再生もダイレクトにDACへ96kHzで出すと、それはやはり素晴らしい。嘗てはストリーミング放送のハイレゾリュウーション相当に疑問を持っていたが、今回の巨大な音像を再現するにはこれしかないと思った。丁度ベルリナーフィルハーモニカーが提供する192kHzのハイレゾへまではいかなくとも空間再現も十全だ。その会場にいた人への御土産なんかではなく中継放送として第一級の録音である。

ざっと一雨来たがこれ以上は困る。雷で停電になったりは困るからである。帰って来て体重を量ると74.5KGになっていて限界域に近づいている。これを過ぎると90KGまで簡単に行ってしまう体質である。健康のために注意しよう。ワイン祭り会場の準備が始まっている。金曜日が初日で、翌日フランクフルトへ逃げる。帰宅は月曜日の早朝の予定だ。気温は少し落ち着きそうだが、湿気も上がってきそうである。

白アスパラガスの季節も終わりである。いつものようにくずを購入して、薄肉巻きにした。いつもはニンジンなどを入れるのだが、たまにはこれもいい。オーヴンで火をかけたので一部が焦げてしまったが、サクサク感は満足だった。



参照:
キールからの燻製小魚 2014-05-05 | 料理
ぶらさげてなさい、ボックスボイテル 2010-05-25 | ワイン
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出来上がりを予見する

2019-04-10 | 料理
卵茹で器を使う。実験段階で、半熟の次に普通の茹で方を試す。水の量が倍ほどになったの時間も掛かった。いつものように鈴虫のような音が鳴る。翌日は半熟と普通の半分ぐらいの水で試してみた。中々いい茹で上がりだ。どうも今度のは卵の新鮮さや茹で上がりの時間と燃料消費なども考えながらノウハウを積み重ねてといった使い方になるようだ。通常の料理の按配である。

まだソーセージ類も温めておらず、ポーチドエッグもやっていないので、また破裂することもなかったので汚れ具合などはまだ分からない。引き続き試行錯誤である。使い勝手は悪くはなさそうである。

復活祭が近づいて、土曜日からバーデンバーデンへと五日間出かける。最初の週末は買い物を途中のフランスで済ましたい。価格は高くとも新鮮な野菜やらまた地中海と北海からの海の幸やチーズ、そしてワインなどを買い込む。その計画もお勉強とともに進めて行きたいが、あまりにも時間に追われていて儘ならない。

ベットの横においてある電話機が故障した。こちらの声が先方に聞こえないようだ。どうしたのかと思って持ち上げると中でコロコロと音がしていた。トランスが基盤から剥がれて飛び回っているのだ。一度修理した記憶があるが思い出せなかった。開けてみて合点がいった。半田付けのための足が短くなっていて、難しい半田付けをしたので剥がれてしまったのである。その間に購入した評判のいい半田小手を使った。中々難しかったが、何とか直った。

アナログのクラシックな電話機ぐらい買えばよいのだが、人が要らないようなものを拾って来たようなものでも使っていて不自由が無ければ、簡単に直せるようなものならば捨てられない。購入しようと思えばディスプレー付きとかアナログで中途半端なものを探すことになる。デジタルのISDN電話ほど機能がよくないからである。あまり投資したいと思わせない。

いよいよバーデンバーデンの「オテロ」のGPが近づいてきている。それにしても指揮者三人が並ぶ写真は壮観で、偶然の賜物でしかない。まさかのズビン・メータ指揮であり、通常ならばそのスケデュールを取ってということにはならなかった筈だ。ムーティに断られてからでも押さえることも難しかったであろう。一つの目の偶然のガッティの事件に二つ目のメータの疾病と復帰という偶然が重なった。

指揮者のギャラでいえば現在のトップ二人で間違いなく、普通ならば呼べなかった。今後ともなかなかないと思う。番付けで言えば、理事長と副理事長に力士筆頭の揃い踏みである。来年それを見れば分かるように、今後両横綱というのはありえても、こういうのはもうないだろう。

ガッティのお蔭で急に今回の復活祭が活況ついた。ARTEなども来年からのことを考えていて、また地元のSWRはシュトッツガルトの意向でカラヤン二世の方に予算が回るので動けなくなる。メディア的には谷になるかもしれないが、放ってはおけないほどの活況を呈するかもしれない。初日は席移動が難しい入り具合になってきた。当日券でほぼ満席になるだろう。

あとはメータがいい指揮をするかどうかで週明けの雰囲気が変わってくると思う。月曜日の二日目の練習風景の写真を見るとインタヴューをしていたベネディクスベルグレーがコンサートマスターをしている。そしてペトレンコ指揮はスタブラーヴァだから、ムーティ指揮に樫本となるのだろう。これだけで大分想像がつくようになる。



参照:
茹で過ぎにならない実力 2019-04-07 | 料理
不整脈辞退を受けて 2018-12-08 | 文化一般
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

茹で過ぎにならない実力

2019-04-07 | 料理
新しい茹で卵器を早速試した。先ずは設置する台を掃除して、今まで使っていた器からの吹き零れなどの汚れを抜き去る。電源は同じところから取る。電気量は、五年近く前に購入したドイツブランドセヴェリンが400Wそして今回の英国のラッセル・ホッブスが365Wとなっている。購入価格は、其々39,99と34,99ユーロである。このインフレのご時世に嬉しい値下げである。

蒸気が充満するところの容積は後者の方が大きい。注文するにあたって気にしていながら分からなかったのはいつも使っているご飯を温めるための茶碗が入るかどうかだった。電子レンジを使わないので、卵茹で器でヴィーナーから野菜、マウルタッシェまでを蒸らす。だからスペースが欲しいのだが、蓋は球状ではないので容量があるとしても、写真からして卵を置く穴をの敷居だけを外すことが出来ないようだった。実際にその通りで使い難いかと思えばその枠の上に茶碗をおいて蓋を閉めることも出来た。何とか使えそうだ。重さでいつか折れるかもしれないが、様子を見よう。

さて茹で方は、前者は適当に水を張っておいて、蒸気を掛ける時間を大まかに決めて、出来上がりの半熟から固ゆでまでを調整した。後者は、一般的な方法で、水のはかりに個数に応じて三種類の茹で方に合わせて水の量を調整して沸き上がったところで終了のブザーが鳴る方式である。

先ずは最も難しい半熟を一個だけ試してみた。水の量が限られるので早くブザーが鳴った。そういえば暫くは長い時間茹で卵器を点けていたことに気が付いた。少なくともこれだけで電気代が節約出来そうだ。

さて出来上がりは、白味が綺麗に固まると同時に中が固まっておらず尚且つ火が通っている感じがした。要するに腹を壊さないでも半熟が楽しめそうである。前者のものは最初から半熟にすると何か火が十分に通っていない感じがあった。時間を短くすればそうなるのは当然だった。

しかし今度は蒸気が籠る時間が短縮されるだけで、お湯が沸く時間は関係しない。一長一短があると思うが、やはり卵茹で器としてはこのオーソドックな方法の方に合理性がありそうだ。実際商品テストでは優勝していて購入者1800人以上が批評で4.5点以上を与えている。今しばらく使い勝手を含めて試してみよう。

金曜日のミュンヘンからの中継はとても楽しめた。何よりも「火の鳥」全曲が秀逸だった。休憩時間に流されたインタヴューも内容があった。指揮者のロート氏はフライブルクに並んでバーデンバーデンの定期があるごとに作曲家で指揮者のピエール・ブレーズの家を訪ねたらしい。任期の数年間、つまりブーレーズの晩年の良い話し相手になったのだろう。カールスルーへの作曲家リーム氏も話していると思うが、そこは母国語通しの気楽さと比較的若い指揮者とあって話しが進んだと思う。

それでも自作についてはシャイであまり話さなかったというが、バルトークやストラヴィンスキーなどについてはとてもたくさんの話しをしたらしい。先月のインタヴューでもブーレーズ指揮のマーラーの交響曲のCDを購入して聴いていると語っていたロート氏であるが、色々と音楽的な刺激とその作曲家の視点を学んだことは間違いが無い。

その逸話が示すかのように、ロート氏の「火の鳥」はブーレーズ指揮BBC響の演奏を彷彿させる名演だと思った。録音も持っていて色々な人が指揮をしているがあのサウンドを久し振りに聞いて嬉しくなった。BBC響との演奏会こそ生で聞きそびれて最も後悔している日本公演だったからである。

今確かめてみるとこの日の二曲目のバルトークの三番協奏曲と「火の鳥」こそ夏のルツェルンでネルソンズ指揮ゲヴァントハウス交響楽団で演奏されるそのものプログラムである ― よく見るとただの組曲だった、やはり分かっていない、つまらない録音プロジェクトになど現を抜かしていると万年前頭止まりである。しかしこのロート氏の演奏を聞いてしまうと、なるほど交響楽団と指揮の技術はルツェルンの方が上に違いないが、このようなサウンドは聞けない。なにか誤魔化しの音響が鳴り響くようで不安になってきた ― 不安と言えばロート氏がフランス訛りで「デビューで不安だ」と語っていたのがとても赤裸々で好印象を得た。

最早こうなれば望むべきところは、頂点のコンセルトヘボーなどの指揮者になって、面白いプログラムやコンサートを提供して欲しいと思う。現時点で対抗馬のハーディングのプログラミングなどを見ると態々行こうとはちっとも思わない。ルツェルンでの「トリスタン」の二幕など誰も興味を持たないので売れていない。ハーディングにはプログラミングのセンスが悪い。



参照:
壊れてしまった卵茹で器 2014-06-19 | 料理
付加価値期待の卵茹で器 2014-06-30 | 料理
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クルムベーアという菓子

2019-03-07 | 料理
ジャガイモ型のドーナツである。プファルツの言葉でグルムベーアと呼ぶ。カトッフェルと平地ドイツ語では呼ばれるものだ。要するに腐葉土のベリーである。如何にも輸入植物らしく、無理やり従来の概念に押し込んだような呼び方だ。

時間が無い。もう少しシェーンベルクをお勉強したいが、中々時間が取れない。お勉強と言えばグラーツの音楽監督のオスカーナ・リニヴがいつも城の公園に出かけて野外で総譜を広げていると書いてある。そして次のシーズンで辞めるらしい。2016年からだから四年も経っているのだが、延長することなしにフリーランサーになるという。先立てはデュッセルドルフかどこかで振っていたようだが、あの程度の管弦楽団を振っているようでは、フリーでどれほどのオファーが来るのか見当がつかない。サウスポール世界初演からそんなに経ったのだと思った。旅行も好きで、故郷のレムブルクに帰っても飛び回るには関係ないと言っている。本当にそうならば、皆仕事を待って、ヴィーンやベルリンやミュンヘンに住んでいる音楽家はあまりいないということになるだろう。代打のチャンスを掴もうと思えばやはり近いところにいる方がいい。日本の楽団もチャンスではないか。以前はアマチュア―の楽団を日本で振ったというが、今度はペトレンコの元アシスタントだけでなく、前グラーツの音楽監督である。

音楽の世界では来年度つまり2019年秋からのプログラムが徐々に出てきている。大抵大物の劇場や楽団などはトリとなる。それでもミュンヘンの歌劇場は3月17日に放送とともにその全容が明らかになる。こちらの都合もあるので、色々と予測をするのだが、全く内部情報が入らないので、予想の域を超えない。それでもひとつヒントを見つけた。サイトに書いてあった。

2019/2010年シーズンのテーマは、Kill your Darlingsということで、痴情ドラマを展開する多くのオペラにおいては月並みかもしれない。しかし、こちらもロシアものと見当をつけていれば幾らか絞れるか。それでも一番の関心事である「トリスタン」はいつ上演されるかとなると、敢えて言えば、必ずしも当てはまらないこともない。

「トリスタン」が上演されるとすれば話題性も含めて重点ともなるので、それがこのモットーに当たらなければおかしいだろう。確かにマルケ王が失うのはトリスタンだけでなくイゾルデであり、そこからすれば二人を殺してしまったといってもおかしくない。となるとマルケ王が主役である。トリスタンはヨーナス・カウフマン、イゾルテにアニヤ・カムペと来てツァペンフェルトしか思い浮かばない。そのスケデュールを見ると6月1日のドレスデンの最終日以降空いている。ミリンクでもあり得るか。

そしてこの秋にはロシアものを期待しているが、このモットーに「マゼッパ」が似合うのかどうか。正直判断を下せない。そのように考えるとなんでも当たりそうで、堂々巡りをするばかりである。



参照:
肌理の粗いザラザラ感 2019-03-02 | 暦
定まるテムポの形式感 2017-09-04 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パーティの王のケーキ

2018-12-23 | 料理
金曜日の夜は自宅でパーティーだった。自分はやらないが家屋の下から招待状を貰ったのでいかないわけにはいかない。現実的に自宅にいて、下で騒がれて、ゆっくり出来なく、また籠っているとなるとやはり印象が悪い。そもそもパーティーの目的が近所付き合いのためということなら尚更だ。

正直なところ、何か持っていかないわけにもいかないので、その前にワインを試飲購入してきたりとこの忙しい時に時間の都合が必要だった。若干面倒な思いもあるのだが、近所付き合いは困ることもあるだろうから、やはり欠かせない。

結局18時から始めて、就寝したのは25時過ぎだった。悪いアルコールをチャンポンで飲んだが、シカ肉などを食したのでそれほど悪酔いはしなかった。しかし食事のためか下痢症状になった ー 果物と香料のパンチだ。仕方がない。

結局同じ屋根の下に住んでいる者は私を入れて二人だけ参加で、同じスクエアーの別棟の夫婦、ゼクトを持ってもう一人挨拶して直ぐ帰っただけだが、延べ20人ほどは来ただろうか。まあまあ賑やかで、もし私が招待されていなければ文句が出るほど騒がしかった。

興味深い話では難民問題で、難民申請の僅かな部分だけが本物で、それ以外は経済難民だとか、尤もな話で、強制送還よりも刑務所に入る方を選ぶとか、それ自体は全くご尤もな話しもあった。問題はそれらの事実関係を精査して、国の方針としてどのように対処するかだけでしかない。そうした考察の背景に、難民宿舎などの扱いの状況が悪化して、人権問題だとなる - つまりいま日本などがやろうとしている奴隷化への懸念からの議論である。

また興味深かったのはノルウェーからの移民のおばさんが作ってきたアーモンドケーキで、「王のケーキ - Norsk Fyrstekake」と呼ばれるものだった。その人の出身がアルミニウム産業の中心地で、全て水力でやっていたというが、温水プールだけでなく、日本と同じように不夜城だたっという話だった。日本も同じようなことだったと話した。そして一人当たりの生産量世界一のその豊かさはおばさんが驚くほどで、従来の簡単な湖畔の家の後ろにはハリウッドのような豪邸がそこら中に広がっているということだった。だからドイツなどの専門医が移住しているという話だった。

パーティーの前に八百屋で買い物を済ました。次回はクリスマス後の来週の木曜日である。そしてワイン屋に立ち寄ってパーティに持っていくワインを物色した。ヴァッヘンハイマーリースリング2017だった。そのほかにフォルスターリースリング2016の残りを買っておいた。

そして郵便箱に入っていた発注したケーブルを回収して、設置してみた。LANケーブルCat.6の製品だ。繋いでみて驚いた。付属のケーブルがCat.5eでルーターの性能からすればそれで十分の筈だったが、これに比べて送信周波数が250MHzと付属品の100MHzから伸びている。そして実際に使ってみると数値的には必要ない筈なのが、それこそ2倍以上の速度が出ている。つまり最初に使っていたCat.5からすると間違いなく10倍の速度である。これで先ず内臓HDDと同じようにNASが使えるようになった。Audacityの読み込みもあっという間に終わるようになった。これはとても喜ばしい。



参照:
興業師からのご挨拶 2018-12-21 | 文化一般
健忘症のミスタービーン 2018-12-22 | 暦
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大きなレープクーヘン

2018-12-12 | 料理
夜中に帰宅した。通常ならば午前二時前に帰宅だったが、睡魔に襲われて休み休みで一時間以上遅くなった。仮眠しても駄目な時刻帯である。「オテロ」など休憩一回ならばそれほど長くもないとも考えたが、結局駐車場から車を出した時には22時半を超えていた。

予想された降雪は、引けて出ていた時には止んでいてほとんど影響はなかったが、それでもミュンヘン市内は方々にシャーベットの深い溜まりが出来ていた。しかし高速道路での影響は殆ど無く快調に飛ばしたが、シュトッツガルトが近づいて、午前零時を遠くに過ぎると眠気が寄せてきた。

ミュンヘン、アウグスブルク間では購入したソーセージを二本齧っていて真面な食事をしていない割には元気だったが、なんとなく元気も無くなってくる。エネルギーが足りないのだろう。そこでお好みで選んだ三種類のレープクーヘンの一つに手を付けた。エリゼンレープクフェンと言ってニュルンベルガーの一種らしい。丸くて厚めなのが特徴のようだ。一つ2ユーロほどするが流石に食べ応えがあって、味もその価値がある。少なくとも家まで運転する栄養分は摂れた。

今回は19時始まりで、18時からガイダンスだから月曜に出かけるのにそれほど負担はなかったが、降雪のことを考えて早めに出た。そして来年の「フィデリオ」のティケットを三枚回収してきた。一枚要らないので、一枚は売りに出すことになる。

引き取ってからダルマイールに買い物に寄った。先ずはいつものトルテを四つで20ユーロ近くになった。テリーヌのほかは煮凝りと、レープクーヘンだった。どれもこれも決して安くはないのだが、これは高すぎて価値がないなと思うものは少なくないのがお気に入りだ。

早めに駐車場に戻ってから、服装を整えて、駐車料金を前払いに行った。するとどうだろう、もう窓口ではカードを扱っていない。カードで払うときはミュンヘン市内にあるように暗号番号付の自販機しか使えない。するとカードがどうしても決まってくる。今回は18ユーロ超えと比較的安かったが高い時は25ユーロほどになるのでやはり不便だ。

まだ時間が十分にあるので、ガイダンスへと向かったが、初めて最寄りの入り口に向かうと長い列が出来ていて驚いた。いつもは正面玄関から入って、ぎりぎりに入るだけだが、今回は初めて普通に入場した。その内容はまだ改めて語ることがありそうだ。

劇場ではスープが無くなっていて、仕方がないのでよく出ていたどんぶりのアイスの球を二つ食した。素材も悪くないのが、5ユーロ50の価値はあった。結局一日中、朝食を除いて甘いものばかりを食べた一日だった。



参照:
気に入るということは 2011-12-21 | 料理
十七時間後に帰宅 2018-06-30 | 生活
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よかった宿での食事

2018-10-06 | 料理
先日宿泊した宿はよかった。なによりもミュンヘンからの距離感も遠くは無かった。七月に「ジークフリート」上演後に宿泊したところよりも時間が掛かる筈なのだが、アウトバーンでなくて真っ直ぐに伸びる高速の国道を走り抜けれるのが素晴らしかった。我々が知っている高地バイエルンの農業地帯を真っ直ぐに走るだけだが、夕焼けにとても気持ち良かった。それでもまだまだ高地ではなくて、アルゴイなどの牧草地とはまた違うところが妙なのだ。夕方に拘わらず比較的問題なく宿に付いた。土曜日の夕暮れだ。両方向とも同じような交通量だった。

最新の地図も印字して持って行ったのだが、ナヴィのそれに従うと村に入るのに旧道を通った。これまたバイエルンらしい変に紆余曲折の道程だ。森を抜けたりして幾つかの村を通過する。その何とも道祖神のようなものにこの地方を趣を感じる。オーストリアとももちろんスイスとも違う。そのお陰で村に入ってからホテルを探したが、小さな村だ直に見つかった。

宿の前の駐車場も空いていて、きっちりと駐車してからレセプションに入る。親仁が名前を呼んで迎えてくれたが、なぜか英語を喋ったのでおかしいなと思うと、予約時に英語に印が入っていたというのだ。覚えが無いなとなった。偶々英語の画面で予約したのかもしれない。先ずはチェックアウトは10時だと断っておいた。ゆっくりしたいのだ。部屋を見せて貰って、もう車を動かすことは無いとなって、歩いていけるところに飲めるところも無く、ビールならここにあるよと教えて貰った。部屋には冷蔵庫があったので、ダルマイールで購入した特製エディションもののボックスボイテルのジルファーナーを先ず開けようと思った。

夕食は、前菜にコールラビのサラダ、そしてメインはいつものフィレウェリントン、食後はトルテである。宿の中で一番狭い部屋なので食卓は無かったが、事務机を使った。その辺りは味気なかったが、並びに流しがあって、皿も洗えるのが嬉しかった。とことん無精が出来る。

明くる日の朝食も買ってきたパンとハムを中心に、湯沸かし器で沸かしたお湯でティーバックの紅茶を煎れて、自宅から持って来ていたフランス産の野菜を添えた。ワインを冷やす為にマックスに冷やしたので凍り出していた。それが一寸残念だった。それでも朝食からもう一つのケシ入りヨーグルトトルテを平らげたので満足だった。

天気も良く、穏やかな日曜日の旅立ちだ。前夜のメールでのタイトルロールのキャンセルなど穏やかでもないことがあったが、気持ちが良い。宿の親仁と空港からのシャトルサーヴィスやその他の休暇宿の待遇との差などを話した。どうも営業努力でやっているらしく、皆の評価が高いのは分かった。シーズンを通して価格の差はあるものの中々よいオファーを出していて、連泊する時は価格は下げないでも広い部屋に入れて欲しいと言った。今後とも市内の安い部屋が見つからない時は是非使いたいと思った。




日曜日のフランクフルトに出かける。前回は「メリーウィドー」だったのでアルテオオパーへは久しぶりだ。夏に遠出してコンサートに行ったのは久しぶりだった。ミュンヘンにも一度出かけ、ルクセムブルクにも出かけた。嘗てはコンサートに遠出するとなると招待か、何か仕事絡みしかなく、精々ベルリンぐらいだった。その意味で遠出するのにも慣れると地元のフランクフルトに行くのは容易い。それでも続くと面倒になるのだが、今回は飛び込みで出かけるので気持ちが高まる。

プログラム後半のマーラーの交響曲一番だけは勉強しておきたい。前回聴いたのはバーンスタイン指揮ニューヨークフィルハーモニーだったと思う。これまた第九に続いてバーンスタインを超えて行く。奇しくも生誕百年に指揮者バーンスタインを乗り越えて行く。特に一番はこちらも十代の時の体験なのでとても強い印象を残している。それだけにこの年齢になって同じ曲がどのように響くのかと思う。五番ならば苦しいところが出て来るかも知れないが一番ならばゲヴァントハウス管弦楽団も可成りの線まで演奏するような指揮も期待される。細かな内声部の動機などもしっかり読み込んでおきたい。

昨今なにかと話題の人気ブログの言いぐさではないが、「実はもう、音楽評論も、やりたくないの」という気持ちになるのは、「マイスタージンガー」の楽匠の想いや仕事ぶりを考えてしまうからだ。マーラーの交響曲のユニークさやその才気とは別に、ああした高度な文化に根差した総合芸術がそこで展開されているのかどうかどうしても比較してしまうからだ。なるほどそこには独創的な意匠や芸術の綴り方があるのだが、匠の仕事としての円熟とかその表現方法を考えるとやはりどうしても青年音楽家の作品では到底至らないものばかりだ。奇しくも先月には第九交響曲の演奏を聴いて余計にそうした思いを強く抱く。昔日本の音楽評論家に大木正興という人がいて、いつも「深い」の表現で片づけていたのを思い出す。そこで氏のスメタナ四重奏団について綴る文章を引用すると「チェコスロヴァキアの伝統では(ウィーンあたり)…それは必ずしも後期ロマン派のドイツ音楽家たちのように、音を人間全体を支配する情緒のしたたりのように考えるのではなく、…それは人間の情緒の反映と考え…」とかあり、丁度話題の独墺音楽の核とそこから東欧文化圏への境界域について触れている。これも例えばドイツでは今でも違和感の強いグスタフ・マーラーの東欧的な性格とも言えるかもしれない。勿論その逆の西欧的な性格もそこに認識される。



参照:
杖の無い爺に導かれる 2018-09-18 | 文化一般
抑制の美の厳しい激しさ 2018-10-04 | 文学・思想
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

手塩にかけるイヴェント

2018-08-23 | 料理
塩が切れそうだった。様々な塩を使っているので、その一つの海水の塩田の塩である。それも同じ種類の顆粒と粗塩の両方があって、ミルに入っている後ろのものが無くなりかけている。同じ塩の顆粒を使っておけばよいのだが、一度料理に使い分けるとそれが無いと気分が悪い。そこでスーパーで買おうとすると、生憎同じものが切れていた。キロ当たり2.19ユーロなので通常の塩と比較しても高価ではない。それにミルで使うので、使用量も限られる。それならばと同様のものを探すと、キロ2.69ほどでキロ入りがあった。当分使える量である。

調べてみると、イタリアとクロアチアに挟まれたスロヴァニアの海岸で昔ながらの方法で干された塩だという。そもそもスロヴァニアに海があることも知らなかったが、地中海とは驚きだった。写真を見ると観光向きの絵ではなくてピランスカソルと称して本格的に塩田をやっているのが窺がえる。この価格で手作業と書いてあるので半信半疑だったが、合点が行った。地図で見ると数キロほどの国境間で、イタリアのトリストの隣だ。最近は日本などでも再び塩田の塩を高級に出しているとも聞いたが、こんなのが安く買えるとは思わなかった。これは楽しみだ。さぞかし味のコクがあるだろう。先ずは古いのを使い切って、汗を掻きながらミルの蓋を外して、詰め替えなければいけない。隣にヒマラヤの岩塩もあったが、こちらの方は黄色みがかっていたので料理を考えてみないといけない。

来週木曜日放送予定のルツェルンのコンサートにまだ残券がある。全部は到底埋まりそうが無いので、映像の映りもあろうから、アカデミーなどで配券してしまうのだろう。やはりフランツシュミットの交響曲がネックになっているようだ。実際一楽章を振り返ったが、その楽器間の受け渡しも慣れた作曲家の手練手管というよりも、楽団の中の演奏者の感覚が綴られているような感じもする。なかなか面白いのだが、詳しく音を追うだけで疲れるような音楽で、若干ブラームスの三番やシェーンベルクの受け渡しを思い出さなくもない。とても精妙だと思うが聴く方もそれだけの集中力を強いられる。その意味から決して容易な曲でもない。それがなにもヴィデオで伝わった訳でも新聞評だけでもないのだが、なんとなく総合的にそのようなイメージが社会に伝わっているのだろう。実際にここでこうして書くこともそうしたムードを助長させている。だから皆挙って高額券を買ってという事にならないのだ。そしてワンの人気などもごく一部のものだと思った。難しいプログラムにはランラン並みの客寄せパンダが必要なのだろう。但し客質が下がるのは間違いない。

さて、土曜日のシーズン幕開け二晩目が今週末に迫って来た。一体誰がそこに現われるかはとても興味深い。先ずは首相のメルケル博士夫妻、シュタインマイヤー大統領の日程が空いている方のどちらかは出て来るだろうか。そうなると外交官筋も出て来る筈だ。あとは政治家閣僚やベルリン市のお偉方だろうか?プロイセン家は一体誰が代表するのだろうか?その他の有名人どころはベルリンではどうなのかは分らない。比較対象としてはあまり良くないが、ヴィデオに残るヒットラーの誕生日を記念してフルトヴェングラーが指揮するフィルハーモニカーであろうか。観光対象でもあるヴァルトビューネなどとは違う本格的な大イヴェントになることは間違いない。



参照:
早起きはなんぼの得 2018-08-22 | 生活
逡巡もしおどきの生活 2014-12-03 | 料理
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旨味を引き立てる香味

2017-12-26 | 料理
毎年のように栗入りザウマーゲンを食した。ザウマーゲンと言っても小さな量なので膀胱入りだ。ザウブラーセンというのが正しいだろう。そとの包装ごと温めたので味は抜けなかったが、逆に膀胱の尿臭さが少し出た。日頃から腎臓などを食しているので気にはならないが、客人に出すときには注意した方がよい。そのままお湯につけたらそれは抜けてしまうが、味も少し出てしまう。やはり胃袋の方がいろいろな意味で有利かもしれない。とは言っても二回目以降は焼くので全く気にならない。シナの食膳風に言えば、これで膀胱も元気になる。しかし久しぶりに明け方にトイレに起きた。

ワインはいろいろさがした挙句、まだ早いのだがエティケットをナメクジにやられたウンゲホイヤーの2011年物にした。2011年産は分厚くて過熟気味で、リースリング愛好家には駄目な年なのであるが、それゆえに期待が出来ないことから後回しになっていた。初日の感じでは酸が弱まってきているので飲み頃かとも思った。充分に熟成した旨味はデキャンタ―で出てきているので、二日目以降が楽しみだ。流石にウンゲホイヤーはスパイシーさもあって分厚いだけの単調にはならない。

その前に開けた2013年のボェーイックがまだまだ酸が効いていて、熟成となっていなかったことから、もたないとされる2013年が意外に長寿しそうな印象がある。やはりリースリングは陽射しよりも、果実の健康だけで暑い年のものは駄目だとはっきりした。2003年、2005年、2011年、2015年などは駄目だ。要するに赤の良い年度である。

栗が今年は特別に大きなのが入っていて満足だった。ヴィルシングはいつもは白菜などで代用しているのだが、大振りに切って長く火を通すと思いがけない甘みで驚いた。炒めるときに若干焦がしたので残念だったが、おいしくする調理法が分かってきた。これだけ甘みが出ればナツメグが合うのは当然である。白菜の倍以上の価格だけのことはある。まだ中の柔らかい部分が残っているのでもっと上手に調理してみよう。

食事の時には、前日に生中継録音して、また翌日にDLしたヴィデオの音源などを内容確認に流した。オンデマンドからDLしたのはMP4で3時間13分で5.9Gしかないので心もとないが、動画が4000kBit/sのHDで通常のストリーミングではDL出来なかったのだが、MP4としてDL出来た。5時間ほど掛かった。やはりネット回線を良くしないと生では流れない。それでも個人的には画像は二の次なので、音声の48kサムプリング189kBit/sでは足りない。因みに生で録音したものは48kサムプリングなので3GBを超え、録画の方は11GBを超える。生放送録画は、6923kkBit/sながら画像は悪くても、44.1kサムプリングながらFLACでの音声なのでこちらはCD並みで悪くはない。

MP3ならば最低320kBit/sは欲しい。クリーヴランドの放送のアーカイヴとしてピエール・ブレーズ指揮のメシアンとラヴェル、ドビュシーのプログラムが上がっている。この放送局の面白いのはストリーミングの方がオンデマンドよりも音質を落としていることだ。

朝から頂上を目指そうかと思ったが、腰などに違和感があるのでもう一日延ばすことにした。天気も良くなりそうだ。食事さえ食べ過ぎなければ大丈夫だ。そろそろポルポーラの「ミトリダーテ」も調べておかないといけない。資料は限られていてイタリア語のリブレット以外にはあまりない。それならばモーツァルトのそれに耳を通していた方がよいかもしれない。

ミュンヘンからの中継のサイトにオペラアワードのノミネートのリンクが張られていたので書き込んだ。上から合唱は、タンホイザーの圧倒的なそれでバイエルン国立歌劇場合唱団、指揮者は更なる進化を導いたキリル・ペトレンコ、女性歌手はいまだ嘗て経験したことのない歌唱を聞かせてくれたエルモネーラ・ヤホ、演出家にザルツブルクでのピーター・セラーズ、男性歌手にはこれまた高度に歌詞の響きを追及した歌唱のクリスティアン・ゲルハーエル、制作は「タンホイザー」か迷ったが、想定を超えた大反響ということで「三部作」、管弦楽は今回も未知の領域へと大きな進化を披露したバイエルン国立歌劇場管弦楽団、若手歌手にはザルツブルクでの名唱と「ばらの騎士」での口パクを聞いたゴルタ・シュルツとした。このブログで言及したことばかりである。



参照:
胃袋がザウマーゲンに 2012-12-27 | 料理
倭人を名乗るのは替え玉か 2016-07-04 | 歴史・時事
圧倒的なフィナーレの合唱 2017-06-05 | 音
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする