Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

収穫終えて、それから?

2005-11-01 | ワイン
葡萄の収穫は、この辺は先週で終わったという。昨日店先で聞いた話では、かなりの房が雨に祟られて腐ったという。それは、葡萄畑にセレクションされて切り捨てられていた房の数で分かる。詳しくは、醸造蔵で聞いてみないと分からないが、果汁糖比重を上げる為に収穫を遅らせて、さらに剪定した分だけ収穫量が減ったという事である。

地域にも依るが、高級ワインを醸造する醸造所は収穫量が削減され、一般的な醸造所は量を確保する分、2005年ヴィンテージのリースリングは質が落ちるだろう。今までの経験から、こういう年はどちらかと言えば高級リースリングは酸は少なくても、風味が心配である。2003年などの暑い夏のふてぶてしい味とも、2001年の繊細さとも大きく異なり、2000年の大被害の年ほどには酷くないらしい。2002年や2004年よりも面白いワインを期待したいが、その量からしてなかなか良いものは手に入らないのではないか。

2003年高級赤ワインの試飲をしていると、一見さんがアウディのディーゼルに乗って夫婦連れで遣って来た。店の者が初めから適当にしか対応しないのに気が付いたが、なるほど価格表を見るなり高いと言って出て行った。その一部始終について店の者が言うのを聞くと、大変微妙な話題である事に気が付く。

ワインに幾らの金を払うかは、様々な要素に左右される。社会層、興味・関心の高さ、収入、飲酒癖等数え切れない。ワイン一本に、5EUR以上払う心算が一切無いが極一般的である。一日に一本空けるとすると、これだけで150EURの支出となり標準家庭の光熱費に相当する。だからそれ以下の価格帯が主にスーパーでもワイン農家でも売られている。

さて、店の者に言わせると、それならば其れで良いが「高いの一言」で片付けられると心外らしい。確かにマイバッハーやロールスロイスを買って使いこなせる人は世界にそれほど多くは無い。それに比して、30EURは 多くの人が容易に浪費出来る額である。しかし、これを飲んでその価値を見つけることは更に難しい。

多くの人にとっては、出来るだけこの価値に気が付かずに一生を過ごせる方が幸せである。実際それを自覚している人も多い。若しくは、自然に感覚を遮断出来るような防衛反応が働いている。胃に酸が沁みてお腹を壊したりするのである。典型的な心身症ではないだろうか。しかし嗜好品の場合、無くても生活が出来るとすると、この考え方も必ずしも正しくない。消費量を減らして、内容に拘る事も出来るからである。

需要と供給の関係で価格が設定されて、安い労働力も年々高くなっていく。その半面、質の向上を目指してますます労働集約型となっている。グランクリュ辛口リースリングを150年以上前の様に、ゲーテやアイヒェンドルフやハイネを通して誉れ高い様に、再びシャトウ・マルゴーの同じ質と価格にまで上昇させて行こうとする方向にある。それでも地元の愛飲家の手の届かない価格になってしまうと困るのである。既に地元割引を以って一部高級ワインを提供している事を考えると、将来的な展望は厳しい。
コメント (5)
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