Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

再生旧市街地の意義

2005-11-20 | アウトドーア・環境
都市環境への関心が高まっている。先日のフランスでの騒動も町作りから議論する人も多い。ドレスデンの教会の復興なども大きな関心を集めた。ここでも、商業活動を含んだ町作りを、グローバリズムと地方自治の問題として取り上げている。

欧州の町は、教会を中心に集落が広がっているのが普通である。そしてその教会は、元来一番背が高い。ドイツの町ならば、カトリック教会に対抗して、更にプロテスタントの鋭塔が天を突き刺している事が多い。中世からルネッサンスへの移り変わりで徐々に席を譲って行くが、大きな商館などがそれよりも高く聳えることは無かった。教会の制空権を初めて脅かすようになったのは、エッフェル塔を代表とするような近代技術の顕示であったろう。その後は、新大陸のエンパイヤーステートビルのような超高層建築からTV塔等に至るまでの近代文明を象徴する建造物等が建てられる。その後、旧大陸でも徐々に高層ビルが建てられるようになった。現在のフランクフルトの高層ビルのように、それは銀行や見本市タワーとなって時代を象徴している。

高層建造物がその実質的な合理性よりもある種の権威を示している事は明らかで、建造物の制空権を見ていくとその時代の様相が知れる。だからこそ、ニューヨークのワールドトレードセンターを一瞬にして瓦解させた行為は、象徴以上の意味合いを持っている。イスラム教の鋭塔やTV搭などは何らかの意味を失い、金融ブローカーの足元に跪いていた世界を、瞬時に天地顛倒させたのがビン・ラーデンの仕業と言われる九月十一日事件であった。

嘗ての高層建設であった教会を中心とした旧市街のあり方が今フランクフルトで問われている。そこには、ローマ人の遺跡の横にカール大帝の戴冠を始め皇帝の戴冠を行って来たドームがそそり立っている。戦後の復興期には顧みられなかった復古再建である。1970年代に建てられた評判の悪かったドーム前の現代的な建物を買い取り、取壊した後の計画には、後期モダーンなプランが提出されていた。それが猛烈な反発を呼びその様式は否定された。そしてここに来てドレスデンやベルリンの回顧運動の風潮に影響されて、旧市街を取り戻す市民の気持ちを刺激したらしい。

ここの場合、戦争前にはルネッサンス風の立派な商館や多くの木組みの家が並んでいた。それを新たに建てようと言うのだ。このような市民の運動を復古主義とするかどうかは、来年の春まで細部に至って詳しく討議されて、初めて結論が出せる。少なくとも新たに建てられたものが観光目的でなくコンセプトを持って充分に使いこなされる限りは、博物館展示やディズニーランドにはならない。19世紀末にアルプスの少女ハイジが登ったドームの光景を、戴冠式にチャンスを求めてやって来たモーツァルトが見た旧市街を復興しようと言うのが正しいのだろう。

この運動がフランクフルトの1848年の三月革命から近くのパウリス教会で開かれた初の国民会議の機運にも繋がっていて、市長を初め市民の五分の三の支持を集めているという。まさにそれこそが、ヴァイマール憲章の元となったモダーンの始まりでもあったことから、そこに自己矛盾を含みながらもポストモダンの高層ビルが立ち並ぶ金融都市のシルエットに何らかの新しい価値を与えられる事が可能だろうか?丁寧な検討と仕事が要求される所以である。

(都市環境を考える第一話)
コメント (12)
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