Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

キルケゴールの考え方

2005-11-07 | 雑感
アンゲラ・メルケル女史は、そこの主がヴァチカン訪問中に、バイエルンに乗り込んで、そこのカトリック・アカデミーにて講演会を開いた。政局の混乱でキャンセルも予想されたが、何処吹く風の趣で遣って来て熱弁を振るったようである。テオ・ヴァイゲル元財相やトイフェル知事などが臨席したという。

この講演を機として、方々で再び「北東から来た新教徒」の姿勢が吟味され止揚される事が必要となった。ヴァチカンのそれに対して、この新教徒においては、民衆に不安な世界に慣れさせて且つありとあらゆる勇気を持って危機へと挑む事を要求する。だから、もともと法王も居ないそこには語り手以外には誰も居なくなっている事に気が付くのである。

遺伝子工学へや安楽死の政策への見解は、全てこのようなキルケゴールの逆説的な弁証法を旨とする。非への対峙を余儀なくされる事となる。何をではなく、どの様にを特徴とする新教徒の思考姿勢として得られる哲学である。

ドイツでは教会税と云うものが存在する。フランスとは異なる政教分離のシステムである。カトリック教会などの説明では、赤十字などと同様に政府の任務に属さない公共活動であるので、こうして徴税する意味があるという。つまり、直接寄付によって賄うのとは異なり、間接的に徴収するので貧富の差がなく取り扱われるのが重要と云う。プロテスタントにおいても、収入は共同体に支払われるので、支払う事は信仰告白とは趣旨が些か異なる。この共同体と云うのが、新旧教会に寄らず地域共同体の基礎となっている事はここでも繰り返し取り上げている通りである。

最近話題となっているのは、ハイデルベルクの神学教授の偽新教徒事件であるが、ドイツ社会において宗教告白をして居ない者が四分の一を超えている現状から、余り驚くには当たらない。伝統的にユダヤ人の新旧教への改宗は日常茶飯であって、その昔は教会税を払う事で公職にありつけた。

今日のこのような時代にありながら、宗教的心情は公のものではなくて個人的なものとする見解と信仰告白は、その趣旨に相反する矛盾なのである。これは、欧州共同体をキリスト教的な社会として位置づける作業において特に重要となるだろう。欧州の現状を考えると、この作業での教会合体への傾倒は避けられなく、世俗での権力を維持し続けるヴァチカンもその共同体とも無関係ではいられない。

こうした歴史的・文化的な状況こそが、アンゲラ・メルケル女史をしてもバイエルンへと参上させ、そこで欧州域外への援助の手を差し伸べ、在りとあらゆる人類を等しく尊重する姿勢を示す事となる。片やベルリンを去りヴァチカンに救いを求め、片や頂点に躍り出た同じく新教牧師の息子が居る。カトリック社会を模範とするCSUとプロテスタンティズムの社会主義を強化するSPDを結びつけるのは、教会合同の思想でしかないとするのは良く理解出来る。



参照:
御奉仕が座右の銘の女 [女] / 2005-07-26
キッパ坊やとヒジャブ嬢ちゃん [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06 
賢明で理知的なもの?! [ 歴史・時事 ] / 2005-02-25
ドイツ鯉に説教すると [ 文学・思想 ] / 2005-03-14
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10
トンカツの色の明暗 [文化一般] / 2005-07-11
生への懐疑の反照 [ 雑感 ] / 2005-11-15
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