Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

客観的洗練は認識から

2006-03-05 | 雑感
世界で最も高名な研究機関の一つマックスプランク研究所の歴史学の部門が先ほど閉鎖され異種社会学?に取って代わられた。その実態や意味付けについて、読んだり考えたりして纏めて書こうかと思ったが、門外漢には予想したより難しそうだ。この研究所は、「広範囲に有効な宗教的政治力を、時代の文化的葛藤を背景として研究して行く。」と言う半世紀前の創立理由をもってゲッティンゲンに居を構えた。当然の事ながら多くの歴史的事象が修正されて新たに解釈がなされ文化歴史学の様相を呈して行く。そもそも些か大時代的な中世学を源としており、アデナウワー政権時代に「ドイツの悲劇」の原因を十九世紀を越えて十四世紀へとカロリング朝へと求めた研究は政治的に喜ばれたという。カール大帝の研究や皇帝ヴィルヘルムス一世の手紙の整理などの具体的プロジェクトと並行して、その後には社会学の教授を迎えたりで新旧両時代をカトリックの影響の下に研究して行く形となった様である。

その当初のプロジェクトのテーマを見ても、その学問的傾向は理解出来る。またマクロからミクロへと研究のあり方が変遷していく中で、充分な跡継ぎが得られなかった事などもあるようだ。本来の人文科学とは、前者のようなものでありそれは現在も倫理学者などの対談を聞いているとこの点に気が付く。反対に後者のような研究態度は、並行した情報の羅列対称と比較検討に終始して、更には地域的な制限をもったローカルヒストリーとなっている。そのような中から以前扱ったコールハンマー教授の様なポストモダンの強くコントラストを付けたグロテスクな歴史学が輩出した事も理解出来る。

今後の歴史の捉え方を知る上で、こうした組織の中断がなんらかの意味を持つ事だけは微かに判る。初代所長ヘルマン・ハインペの言葉「新発見から身を守るのは文献への知識である。」を読むと、視点の動く故意に対象化された見解や些細な針の穴を突くような似非客観主義よりも神話を批判的に読む方が、視点がずれない定点観測が出来ると言う意味で、遥かに学術的ではないかとも感じたが如何であろうか?

苦手な話題だからの言い訳だけで無く、明日急遽再び人工壁に挑む事になったので、人文科学から自然科学の方へと話題を変える。重力と運動のクライミングの基礎技術を確認。

TK1:足を上げる時は、重心を臍から下に置くようにして加重している足の上の骨盤を動かす自由度を意識する。
TK2:足場から足を掛けるまでは目を離さずに、確認出来てから目を離せ。さもなくば、不安から余計に足場を振り返り腕力を必要とする。
TK3:ホールクロイツポジション。脊髄を中心とした重心軸が殆んど絶えず支点の中に収まっている事。
TK4:握力に頼るな。傾斜が強ければ強いほど、簡単に手を手掛かりに置くだけで良い。
TK5:手掛かりには、出来る限り指を伸ばして下向きに過重できる様に手を置け。指で握るのは、必要な時だけである。こうして握力を温存しろ。
TK6:最新のクライミングシューズでは踵を挙げることでより多くの摩擦と過重を得る場合がある。
TK7:出来る限り、バランスを崩さない足場を選べ。
TK8:巻き込み技術。正面を向いて対する代わりに、右手、左足と対角線上に使って登ると、巻き込み型の姿勢が出来都合の良い事がある。
TK9:手の押さえなどを使って、対角線上に動く。左手・右手プッシュ、左足と言う具合だ。

以上、初級クライミングの基礎運動。重力は、万人に同じように働き掛ける。要は、これらのテクニックを如何に主観的に意識しながら行う事で、如何に客観的に洗練させる事が出来るかである。何十年も同じことを繰り返しても、完成度が高まらなければ上手にはならない。



参照:
ポストモダンの貸借対照表 [ 歴史・時事 ] / 2005-09-02
世界の災いと慈善活動 [ 文学・思想 ] / 2005-11-29
コメント (2)
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