ダヴォースは、北方ヨーロッパ文化圏に属する。降雪日数は多く、積雪も多い。トーマス・マンの小説「魔の山」の舞台として、また画家キルヒナーの最後の場所としても有名である。二十世紀の初めには40件ほどのサナトリウムが存在して、結核患者の生活があった。現在は僅か4件がこの近郊に残っている。
1943年に初めて投与されたストレプトマイシンを代表とする抗生物質投与や1920年代からのBCGワクチンの摂取の恩恵に与って、サナトリウムの需要は減少して、多くの施設があった所はホテルとなっている。それらの観光施設は、経済フォールムなどの世界会議に使われている。その嘗ての建造物の殆んどは、例外的に小説の舞台となったヴァルト・ザナトリウムのような撮影や客寄せのための再現を除いては、結核菌を避けて綺麗に取り壊されている。
特にドイツ帝国は大きな国営施設を持って、公共保健施設として多くのドイツ人をここへと送り込んだ。現在でも2004年に最後に整理された施設の後も、喘息やアレルギーや皮膚病の医療・保養施設がベルリン監視の下運営されている。ご多分に漏れず保険財政削減の為、経済性を重視してオランダの施設もそこへと合弁されている。
当時、不治の病の結核患者が老いも若きも集まり生活していた事を考えれば、主人公の若いハンス・カストロプの物語の状況は、容易に想像出来る。言語的にも、その客層からしても大変ドイツ化した世界であったのだろう。英国人コナン・ドイルが初期の滞在者であったにも拘らず、その大分後はナチの外国に於ける中心地となって行く状況も、その独特のツーリズム発展の歴史から理解出来る。
何れにせよ、現在は最も開けた騒がしい山間の町で、そのスキー場の素晴らしさと引き換えに、町自体は保養出来るような環境では殆んど無い。それでも一旦天候が崩れると鬱陶しく、閉塞感のある谷間の町へと変化するのである。高所のリゾート地の割に、些か気が重い。
「おお、一体これはなんと言う、光の、奥深い(深遠な)天上の純正の、日に照らされる水の清清しさの浄福なんだ!」
トーマス・マンは、それをこういう風に綴った。抜け切らない青空を見るから、立体感を持って奥行きが生まれる。本当の深淵へと繋がる抜けるような青空では無い。この小説が書かれて出版されたのは、1924年の事である。
エルンスト・ルートヴィック・キルヒナーは、1918年に鬱病の療養の為にここへやって来て1938年に自らの心臓に発砲して自害している。1936年には、ナチスによる退廃芸術に指定されて、600枚以上の作品が放棄されている。画家が住んだのは何れも町より谷奥のスタッフェルアルプやフラウエンキルヒと言うようなアルムである。しかし、町自体は既にツーリズム開発が盛んで、屋根の平らな建築家ルドルフ・ガバレルを代表とするモダーンな建築群は、格好の描写対象となっている。それらは素材として、山肌に誂えられた雪崩止めの柵等と組み合わせられている。(即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23 へと続く)
写真は、湖の対岸から見たダヴォースの町外れのドイツ療養医療施設。
参照:
死んだマンと近代文明 [ 文学・思想 ] / 2005-08-14
吐き気を催させる教養と常識 [ 文化一般 ] / 2005-08-18
トンカツの色の明暗 [文化一般] / 2005-07-11
高みからの眺望 [ 文学・思想 ] / 2005-03-09
1943年に初めて投与されたストレプトマイシンを代表とする抗生物質投与や1920年代からのBCGワクチンの摂取の恩恵に与って、サナトリウムの需要は減少して、多くの施設があった所はホテルとなっている。それらの観光施設は、経済フォールムなどの世界会議に使われている。その嘗ての建造物の殆んどは、例外的に小説の舞台となったヴァルト・ザナトリウムのような撮影や客寄せのための再現を除いては、結核菌を避けて綺麗に取り壊されている。
特にドイツ帝国は大きな国営施設を持って、公共保健施設として多くのドイツ人をここへと送り込んだ。現在でも2004年に最後に整理された施設の後も、喘息やアレルギーや皮膚病の医療・保養施設がベルリン監視の下運営されている。ご多分に漏れず保険財政削減の為、経済性を重視してオランダの施設もそこへと合弁されている。
当時、不治の病の結核患者が老いも若きも集まり生活していた事を考えれば、主人公の若いハンス・カストロプの物語の状況は、容易に想像出来る。言語的にも、その客層からしても大変ドイツ化した世界であったのだろう。英国人コナン・ドイルが初期の滞在者であったにも拘らず、その大分後はナチの外国に於ける中心地となって行く状況も、その独特のツーリズム発展の歴史から理解出来る。
何れにせよ、現在は最も開けた騒がしい山間の町で、そのスキー場の素晴らしさと引き換えに、町自体は保養出来るような環境では殆んど無い。それでも一旦天候が崩れると鬱陶しく、閉塞感のある谷間の町へと変化するのである。高所のリゾート地の割に、些か気が重い。
「おお、一体これはなんと言う、光の、奥深い(深遠な)天上の純正の、日に照らされる水の清清しさの浄福なんだ!」
トーマス・マンは、それをこういう風に綴った。抜け切らない青空を見るから、立体感を持って奥行きが生まれる。本当の深淵へと繋がる抜けるような青空では無い。この小説が書かれて出版されたのは、1924年の事である。
エルンスト・ルートヴィック・キルヒナーは、1918年に鬱病の療養の為にここへやって来て1938年に自らの心臓に発砲して自害している。1936年には、ナチスによる退廃芸術に指定されて、600枚以上の作品が放棄されている。画家が住んだのは何れも町より谷奥のスタッフェルアルプやフラウエンキルヒと言うようなアルムである。しかし、町自体は既にツーリズム開発が盛んで、屋根の平らな建築家ルドルフ・ガバレルを代表とするモダーンな建築群は、格好の描写対象となっている。それらは素材として、山肌に誂えられた雪崩止めの柵等と組み合わせられている。(即物的な解釈の表現 [ 文化一般 ] / 2006-03-23 へと続く)
写真は、湖の対岸から見たダヴォースの町外れのドイツ療養医療施設。
参照:
死んだマンと近代文明 [ 文学・思想 ] / 2005-08-14
吐き気を催させる教養と常識 [ 文化一般 ] / 2005-08-18
トンカツの色の明暗 [文化一般] / 2005-07-11
高みからの眺望 [ 文学・思想 ] / 2005-03-09