Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

皇帝怒り心頭無道曲

2006-03-12 | 雑感
今週の古い新聞に目を通す。皇帝ベッケンバウワー氏は、ナショナルチームの監督クリンツマン氏が先日デュッセルドルフで開かれたワークショップに出席しなかった事で、怒り心頭に来て、不満を爆発させたらしい。カリフォルニアに居を構える監督がドイツに寄りつかない事は良く知られているが、流石に同僚のカルロス・アルベルト・ペレリアがブラジルから、スヴェン・ゲーレン・エリクソンが英国から遣って来ているのにホストが不在では都合悪かった。皇帝の怒りに対して、代わりを務めたオリヴァー・ビーアホッフなどは上司を構いながらも謝罪したと言う。協会役員などは、皇帝の怒りに対して、既に分かっていた事で半年前には「皇帝に保守的と笑われたぐらいで、今更では遅くて都合が悪い」と否めている。

メールやTV会議では、チームを纏める事が出来ないのはネット全盛の時代でも変わらないのだろうか?カリフォルニアで作戦を練っていると言うが、どうなる事やら。自主性を重んじた人心掌握が出来るに越した事は無いが、皇帝が「全て躾けの問題」と発言したのも興味を引く。子供を躾けないといけない時に養育者がいなくてはと言うことらしい。

躾け論争は、ここ数年の隠れたホットな話題である。関連記事を以下に挙げておくが、これほど倫理にも関わりながら、全く個人的な問題なので、社会全体で議論し難い話題も無い。教育や教養、家庭、宗教なども当然の事ながら関わってくる。しかし、はっきりと言えるのは、このような微妙な問題を「規制や契約で解決して行こうと言うのは愚の骨頂である」と言う事だ。本質的な解決を遅らせるばかりでは無く、微妙な問題への配慮や感性を蝕んで仕舞うからである。

命日の近い友人の言葉を思い出す。ある大手証券会社が倒産した時に世界中に流された映像を観て、「大企業の重役の採る態度とは信じられん。戦略に誤りがあってもそれを以って最善を尽くした事を改めて主張しなければならない。誤りを認める事とその償いと、引責の謝罪は全く別の問題だ。」と、なにかドイツの戦後処理のような事を言った。「そのような情け無い重役と会社だから潰れたんだ。」と答えた記憶がある。自らが米国でエンジニアリングを学んだ後、大会社を転々とした雇われ社長業であり、日本の取引会社と通産省にも赴いた経験のある彼の言葉は忘れがたい。

今回の騒動でも、戦前から監督の責任問題が噂される。監督は、結果が良くても悪くてもエゴイズムの極を行く自己流の方法を説明若しくは弁解して、報酬の振り込まれるカリフォルニアの自宅に帰るだけである。そのような態度を社会が認めても、共感出来るかどうかは別問題である。それでは、社会の多くが共感出来ない物事を契約で縛りつけるというのだろうか?そうする事で、益々掟破りの子供が増えると言う寓話の世界である。まさに、個人の尊厳と自尊心が問われている。


追伸:皇帝は本日も吼えた様だ。誰かが言わなければいけない事は確かだが。豚への鳥インフルエンザの感染が確認されたとか。こうなったら延期を願うしかないのであろうか。



参照:
尻を捲くり立ち留まる [ 歴史・時事 ] / 2005-10-29
トンカツの色の明暗 [ 生活・暦 ] / 2005-07-11
疑似体験のセーラー服 [ 歴史・時事 ] / 2005-06-12
黒タイツの女子行員 [ 女 ] / 2005-04-10
マイン河畔の知識人の20世紀 [ 文学・思想 ] / 2005-02-04
ティーチャー改め、[ 女 ] / 2005-01-28
鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活・暦 ] / 2005-01-25
コメント (4)
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