Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

国境での酔態万華鏡

2006-03-25 | 生活
スイスの高級リゾート地は、ありとあらゆるEU各国からの出稼ぎ労働者で賑わう。部屋に戻る前に寝酒代わりに地下のレストランバーへと降りて行った。バーとしては、雰囲気も品揃いも物足りなかったがスプリッツ類の最上段にエンツィアンがあるではないか。先日「エンツィァン宣言」をしたので迷わずこれを注文すると、バーテンダーが助けを求める。カウンターの端で飲んでいたオーストリア訛りの若いお兄さんがカウンターの中へ入って、冷蔵庫を探し出す。一度は無いと言うのを、ここにあるではないかと引き下がらず、ごたごたを楽しく観察する事にした。結局、冷蔵庫の奥から出してきた冷え切ったエンツィアンは、ダヴォース製で見覚えがあった。これを引っかけたのが夜11時頃。

それから、地元の生薬シュナップス・ヴュンドナー・クロイターへと繋ぎ、カウンターのバーテンダーの名札を読んでセルヴィア出身と言う事から、プラムブランディーをご馳走になる。先日飲んだ中央スイスの飲み物を教授して、ビールなどを挟む。日本酒「源氏」を見つけ、暖め方を教えてあげるといって、またご馳走になる。湯沸しの上に置いてあったので年がら年中 人 肌 にお燗してある。

カウンターの隅で歓談をしている五人ほどの従業員は、オーストリアのシュタイナーマルクトからの出稼ぎ者と聞いて、「ユーロになってもそれでもスイスフランは良いかな」と口走る。問う必要などは無い。飲食店関係特有の条件があるのだ。大抵のEU諸国では、スイスのホテル・レストラン等での職歴は優遇される。コックであろうが、ウェイターであろうが、バーテンダーであろうが、レセプション等であろうが変わらない。その上、景気に影響されやすいEU諸国でよりも、観光王国スイスでの方が求人は多いのは当然である。つまり、EU諸国へと入る東欧諸国の出稼ぎ労働者と、スイスでの飲食関連のEU諸国からの出稼ぎ者の意味はあまり変わらない。

そうこうして飲んでいるうちに、レストランも空いて来て、こまごまと働いていたブロンド女性が気になり出す。そしてこの酔っ払いは、彼女に出身地などを尋ねる。ブランデンブルク州のフランクフルトに近い田舎の出身であった。1986年のベルリンの思い出を語ると、1987年の生まれと教えてくれた。19歳の彼女は、「何時までも東ドイツ人は外国人なんだわ。」と言う。確かに、尋ねるまでのこと無く地元では飲食業の充分な職場がないのだろう。特に彼女のような、口数で手を疎かにする事の無いような、堅実そうな性格の娘さんならば尚更であろう。

店の主人は、イタリア人の出稼ぎ労働者の子供として生まれ、ドイツのヴォッフムで小学校に通い、その後イタリアで教育を受けて、ここスイスのホテルで店を商う。その親仁とブロンドの彼女と三人だけになったかと思うと既に夜中の二時に為ろうとしていた。明日も付き合って貰う事を約束して、眠りへとついた。

明くる朝は、めったにない快晴で、めったにない二日酔いの頭痛に悩まされる。朝食を詰め込んで、三千メートル近い高所へと一気にロープウェーで登る。息途切れ途切れにスキーを走らせる。千メートル程を一気に降りようとすると、体の中の空気が抑えつけられるのか、中間ほどで急に吐き気を催す。口中はエンツィアンの 悪 臭 に満たされる。アセトアルデヒドのお陰で胃も過剰反応を起こしているのだろうか、これは美味くない。仁丹を飲み過ぎて、ジンを飲んで吐き気がしたと言えば良いだろうか。戻しそうなのを何とか、心と体を誤魔化して、谷間へと降りる。そして再びロープウェーに乗り、支柱毎の揺れ戻しと満員の人息れに冷や汗を流す。それでも何とか発散して、昼食前には調子は戻っていた。過剰反応に対する症状には向い酒も良いらしいが、今でも思い出すだけで胃がムカムカする様な状態では飲む気はしない。昼食をテラスで楽しみ、些か混乱の中にも、充分に上り下りを繰り返す。

さてアプレスキーである。シャワーを浴びた後、夕食前に本格的に向い酒を試す。昨晩も楽しんだ、峠向こうで出来たイタリアワインである。ヴァルテリナと言う。アッダ川とサンドリオ周辺の小さな産地らしい。ローマ時代から注目されていたと書物にはある。先ず白ワインは、シャドネー種らしいがスイスのファンダンにも近い感じで冷やしてクイッと飲める。ミネラル風味が足りないのが残念。食卓についてからの赤は、ネビオロ種でピエモント地方に次いで名産らしい。色も薄く、細身だがキャンティー感覚で飲める。前日に比べて味がおかしいので、コルクを示させたらやはり酷く腐っていた。取り替えさせて、今度は慎重に三分の一ほどを皆で試す。そして厳かに許可を与える。一目瞭然な不良コルクの瓶を ブ ラ イ ン ド で試さすのはワイン愛好家には侮辱であるが、それ以上にプロフェッショナルとしてコルクさえ確認しなかった給仕人の恥でもある。

食後も充分に飲んでから、さて再びいそいそと昨夜のバーへと向う。昨夜の酔態を少々気まずいと思いながらも、その夜は日曜日と言うことを完全に忘れていた。ホテルに鍵は掛けられて、夜11時には全ては静まり返っていたのである。こうしてイタリア国境サン・モリッツでの最後の夜は万事休すとなる。
コメント (4)
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