Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

哲学教授と為らず聖人に

2006-03-18 | 
エディット・シュタインのことが気になった。ブレスラウ出身のユダヤ人でカトリックの聖人である。1998年にヨハネ・パウロ二世によって列聖された。

彼女と同じくフッセールの弟子、ヘドヴィック・コンラード・マティウスが住む南プファルツのバッド・ベルクツァウベルンにシュタインは、数週間滞在している。そこで聖アヴィラのテレサの伝記を一晩掛けて読み終え、「神の道に目覚めた」とヴァチカンのサイトに記されている。その後、このプロテスタントのご主人との結婚のために改宗したヘドヴィックを立てて、スパイヤーの主教の自宅の礼拝堂で浸水の儀式を行っている。1921年の夏から1922年の一月にかけての事である。こうして、子供の頃よりユダヤ教の世界に束縛されていた女性は、解放されて、故郷の母親の元へ帰るや否や「わたしはカトリック教徒よ」と宣言している。

実際、シュタインはカルメル会修道女になろうとして、スパイヤーのバプティスト達に反対されていた様である。その後もスパイヤーのザンクト・マクダレン修道会の教師を務めたりしている。と言う事で地元にも多いに関係が深い。また、この間アクイナスと同時代のニューマン司教の手紙等の翻訳に励み、1931年に再び学術的な方向へと戻ろうとするまで、スパイヤーに留まっている。しかし既に時は遅すぎた。

1916年には、ゲッティンゲンからフライブルクへと、現象学の師のエドモント・フッセールを慕って遣って来ていた。この忠実な女性は、そこで恍惚感に満ちた教授への献身を示していると言う。「他の弟子達も無神論者ではいれなかったのが現象学であって、正体を現した事象の存在の可能性を目の当たりにすると言うのは、無神論者には恐ろしく震撼に満ちたものであるからだ。」とアドルフ・ライナッハは説く。

また反対に例えば上のヘドヴィックが、「沢山の異なるものが突然どの様にして視界に映るか」として、特にユダヤ教的な仮借無い攻撃性と現象学に於ける学究的な攻撃性の相互間の親和性を、純粋に精神的な事象への対応と専心より下位に位置付けている。

シュタイン自身に関しても、子供の時から霊的な光を見て、声を聞き、多くの死者と交感している。また、1934年の革命騒動で処刑されたナチ突撃隊長エルンスト・レームの徴現を得て、カトリックでない彼女が、プロテスタントの魂をカトリックの教会へ導いていたと言う。例えば唯物論者の家庭出身のゲルタ・ヴァルターは、シュタインの「歴史上の発展と現象学的考察に於ける感情移入の現象」の論文に関して、答えに窮したと言う。

この辺りの背景説明を読むと、後に自ら進み出て、ゲシュタポの餌食となり、他のユダヤ人の身代わりとなり率先してアウシュヴィッツでガス室へと歩みを進めた、そのような殉教の聖人の思考が、我々凡人にも理解出来るようになる。

それにも増して、神がかりな霊感は差し置いても、全てを目のあたりにすると言う精神と、我々の騒然とした日常が如何に遠い事か。如何に科学的な目を持って事象を観察出来るかという問いは、処理し切れない情報の渦の中に身を置いて、虚無の奈落の気配を感じながら、ひたすらその潮流に身を任せていては生まれない。最高に宗教的な人物である聖人の存在と思考に関しての非宗教的な考察は、近代精神の一局面を白日の下に曝す。これは、ナチ同調のヴァチカンの汚点浄化を自らに課した教皇ヨハネ・パウロ二世の業績でもあるのだろう。



参照:高みから深淵を覗き込む [ 文学・思想 ] / 2006-03-13
コメント (2)
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