Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

気質の継承と形式の模倣

2006-08-06 | アウトドーア・環境
南チロルとドロミテ地方の各々の谷の文化や気質は、複雑な歴史的な推移を今に至るまで顕著化させている。その中でもバイエルン地方と同じ文化圏に纏められる地域があることも事実で、その概念で以って人種や言語を超えた共通の構成を言うらしい。ハプスブルク家の権勢のみをその社会的影響力の構成要素として捉えるのは、誤りという事のようである。

そうした見解に沿って、それらの地域の気質を直感的に感じられるのは偽らざる事実である。何をさておいても、あれらの岩山や風景は有史以来存在しているという前提がある。牧草地の利用や森の形成などは、住民達が形作ってきたものであったとしても、本質的な風景には変わりない。

人々がああいう岩峰を身近に臨んで受ける印象とか、何らかの動機付けは特別なものであり、一種の熱狂と言い表した。アルピニズムの歴史をここでも過日考えたが、この地域におけるそれは独自のものがある。

チヴェッタ峰に、青年メスナーが友人と目指した1957年開発の名ルートの再登攀の文章を読み、その写真を見ると、その独自の精神がより具体的に読み取れる。岩壁の根元の湖畔にテントを張って、900メートルの高度差に40本しか残置ハーケンしかないと説明される傾斜の大変強い壁に挑む。決して標高からも気候からもそれほど厳しい条件ではないが、その装備や壁でのビヴァークを思うとなる程厳しいと思わせる。

特に登攀靴などは、最近のように軽くフリークライミングに合わされたものでない。現在ではその違いさえ十分に知られなくなってきている。関連した話題として、アイガー北壁を当時の装備で登る企画があったが、その趣旨は「同じ対象を現代のレジャーフリークライマーが辿ったとしても決して過去の栄光と同様な価値がある筈が無いのは当然と言う結論」を薄っすらとあぶり出す事にあった。

コダーイ小屋戸口での新ルート開拓争いの幕開けやボルトの使用や直登ルート取りへの古典的な見解を読むと1960年代の後半には既に明快な哲学がその地に存在していたのが想像出来る。

これは一例としての文献であって、実際はその地域でのアルピニズムの大きな歴史の中でのたった一瞬の出来事でしかない。それは、其々の山小屋に展示されている歴史を見ても分かる。上では小屋の女将の協力にも触れられているが、社会基盤としての認知が存在する。その辺りの気風がこの土地に固有の精神でもある。全てが観光化してレジャー化した現代において、自然にこうした気風が残っているのは、恐らく遺伝子情報のように伝えられて継承されているものがあるからだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする