Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

似て非なるもの

2006-08-14 | 雑感
親衛隊の隊員は、皆血液型の刺青をしているらしい。強制収容所の番号と同じように刺青をしているのが可笑しい。連帯感や忠誠心を強調したのだろう。現在のドイツのシールの焼きとは違う本物の刺青なのだろう。

ギュンター・グラスは刺青をしていないと報道されている。戦争末期にはそのような儀式をしている余裕はなかったらしい。同年代の兵役の17%が親衛隊に志願した事も当時の状況を写す重要な鍵に違いない。

同時にヘルムート・コール首相がレーガン大統領を伴って、コンスタンチノスのローマの要所ビットブルクのコルメスへーへの戦没者慰霊碑に参った。其処には、若い親衛隊も奉られているとして、批判したのはギュンター・グラスその者である。

ナチスにおける人間管理と操作は大変有名である。強制収容所の秩序から高官の内部抗争に至るまで同じ方法が採られている。まさにヒットラー著の「我が闘争」に書きあらわされている通りである。十代の若者を為政者が思うように操る方法を端的に示したのが、その青少年教育であった。リーダシップを取る如何にも良くできた模範的な少年とそうしたステレオタイプ化した模範に追いやられる少年たちの姿を、多少に係わらず我々も体験している。

団体行動教育はそのものファシスト教育であり、団体行動そのものは軍事演習でもあることを、ある年齢に達すると明白に確信する事が出来る。決して、調和したチームワークはそれらの全体主義や軍事教練とは、似て非なることに気がつくからである。

似て非なると言えば、室内の人工壁のクライミングと岩壁のクライミングもそうである。秋雨のため、冬季以来久しぶりに人工壁へを登った。新しいシューズは快適で、落ち着いて登れるのが良い。その分、人工壁の詰まらなさを感じてしまった。どんなに小さな足掛けもあるとして存在する足掛かりは、人気のあるルートの磨耗した足掛かりしか自然には存在しない。何もない壁に足を擦る姿を見ているとまるで虫けらのようで情けない。

腕力さえ十分で、上背があれば何とかなってしまう人工壁は知的な活動から可なり隔たっている。体を制御すると言うことではスポーツ的だがあまりに単純過ぎるのではないか。反面、腕力や体力を使うことでは甚だ激しい運動である。

それでも、運動中は腕力が失せていたのが嘘のように、上体よりも足に疲れが残っている。つまり、靴が変わって使う筋肉が変わったことと、十分に足に立てるようになったことも覚書としておく。



参照:
客観的洗練は認識から [ 雑感 ] / 2006-03-05
疑似体験のセーラー服 [ 歴史・時事 ] / 2005-06-12
鋼の如く頑丈で、革よりも [ 生活・暦 ] / 2005-01-25
更に振り返って見ると [ 歴史・時事 ] / 2005-10-09
コメント (2)
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