Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

中庸な道の歴史

2006-08-05 | アウトドーア・環境
ドロミテの気質を考える前に、ヴィア・フェラータと云う登路についてその歴史などから意義をもう一度正してみたい。

1492年に措けるグルノーブル南のモンテギーユがシャルル八世の命で梯子などを使って登られたのが、事初めと云われる。それに関しての出典はフランソワ・ラベレの「四つの書」となっている。また初登頂をした一行のドムジュリアンのグルノーブル議会長に当てた手紙もアルピニズムの歴史書に紹介されている。そこには王付きの梯子操作人も身分の高い僧侶達に混ざって頂上にいるなどとと書かれている。頂上台地には、カモシカの群れを見つけている。

その後は19世紀の中盤になって初めてこのような登路の設置が盛んになっている。ダッハシュタインのものなどがその初期の時代に当たるようだ。既に英国人などのアルピニズムへの動きは始まっている。

ドロミテ山群の南部に目を向けると、神聖ローマ帝国の一部として独自の社会的発展をして、ナポレオンの時世まで続いた。第一次世界大戦での連合国イタリア側への寄与とその山岳戦闘でこれらの峰の軍事的重要性が見直されて、これらの登路は補給路としても大きな価値を持つ事になる。

さてこれらの歴史的な意味合いとは別に、現在では山岳ツーリズムの大きな助力にもなっているようで、ラインハルト・メスナーのように反対派も少なくないようである。但し、それらの幾つかは歴史的な意味合いも持ちえているので、一概に全てを否定する事は出来ないであろう。そうなればアルピニズムの歴史自体の否定にも繋がるからである。

さて、現代におけるスポーツクライミングの傾向からすれば、これらの人工的な手掛かりの設置はレジャーとしての新たなスポーツ的観点を呼び起こす反面、山岳における安全性や設備の完備などはなんら保証されるわけでもなく、あくまでも中庸な道と云わざるを得ない。

個人的な感想を付け加えるならば、一千メートルを超える岩壁を一気に登る機会は熟練した登山者でもなかなかなく、そうした経験としての意義は大きい。その反面、岩の小さな突起に足をかけて、その心地を楽しめない限りなんとも単純な作業の繰り返しとなるばかりでなく上体が疲れるだけなので、これほどつまらないスポーツも無いであろう。普通にクライミングをするのでなければ違うルートを辿る方がよっぽど楽しいという場合もありそうである。

数年前に新雪が付いて凍りついたマルモラータの西稜を何ら特別な装備無しで頂上まで辿ったことがある。このルートも19世紀の終わりに初の本格的登路として設置されたものであるが、氷壁あり氷河ありで、ドロミテの最高峰へと導くものであった。こうして回想すると、そのような歴史的な登路は、通常のヴィア・フェラータと比べて、個性が違い、遥かに面白い事に気がつく。

クレッターシュタイグと云う方法は、老若男女が広くそれなりに楽しめるが、個人的にはクレッターシュタイグセットを用意してまでそれ自体を目標としようとは思わない。何らかの他の目的を持つかそれとも単独で簡単に遊べるぐらいに考えている方が苦にならない。
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