戦後ドイツのオペラ歌手を代表するエリザベート・シュヴァルツコップ女史が山岳観光で賑わうモンタフォン谷の拠点シュルンツの自宅で木曜日に亡くなった。90歳であった。そう言えばザルツブルク祝祭劇場で元気な姿を度々お見かけしてから大分経つ。
近年は、デヴュー当時のナチへの協力が明るみに出て悪いイメージが付きまとうようになっていたが、1971年にオペラから引退後も歌曲歌手として、また世界中からの生徒を集めるマスターコースを開いて数限りない人数の後進を指導したのは有名である。
そうした情景のなかから、発声法への注意などワンポイントレッスンなどは大変印象に残っている。その厳しさは、改めて話題にされるようで、ザルツブルク音楽祭などの保守的な音楽界のガリオン像とされた事などと共に女史の生涯に纏わりつくエピソードのようである。
ドイチュラントフンクが、同じく引退した指揮者ザヴァリッシュ氏に女史の死に際してインタヴューをしている。ユダヤ系の名プロディーサー・レッグ氏が彼女に仮借ないパーフェクティズムを仕込んだとするのは面白い。まさにハー・マスターズ・ヴォイスらしい。
サヴァリッシュ氏の声が聞けるのは嬉しいが、女史と「カプリッチョ」等の名録音を残した彼でさえもオペラ舞台の共演は皆無と言うから驚く。確かに、録音においても当時のフルトヴェングラーやクレンペラー、若きフォン・カラヤンなどの大スターに優先的に当てが得られた名歌手であった。競演したピアニストとして、フィッシャーやギーゼキングやグールドが挙がる。
特に、モーツァルトの歌劇の伯爵夫人、エルヴィラ、フィオルディリージ、シュトラウスの楽劇のマルシャリン、伯爵夫人などははまり役で、アリアドネやアラベラなども素晴らしかったのは想像出来る。それはカラヤンの歴史的に残る代表的録音でもある。
面白い録音に、唯一無二の代表的録音フルトヴェングラー指揮「トリスタンとイゾルデ」の年老いた大歌手フラグスタトの高いハ音の吹き替えが挙がる。シュトラウスやレハールのオペレッタ録音も有名である。
シュヴァルツコップ女史の歌唱は、その極限まで迫った歌詞と音楽の融合にあると言われ、同僚のフィッシャー・ディスカウ氏とも似通っているが、その面ではあまり後者の場合のように作為的と批判されないのはなぜだろうか?
そう言えば、金曜日夕刻に車を走らせた際、彼女のインタヴューがラジオで流れていた事を思い出した。その時は誰のことかは分からなかったのだが、なぜ歌手の死が、それもプリマドンナの死が、一般的にそれほどに共感を与えるのかを少し考えた。仕事の内容と言うか、芸術内容の肉体化した表現方法によるのだろう。それは、「直感と考えてからの行為が大切でヴォカリーゼでは駄目」と言う女史でも同じである。
セル指揮のシュトラウスの「最後の四つの歌」の録音を聞いているが、こうして歌われるとヘルマンヘッセのテキストの三曲に比べ最後の「夕焼けに」のアイヘンドルフの詩と音楽に違和感が出てくる。この曲だけは、既に二年ほど前に手が付けられていて、そこでは詩人が手に手を取ったであろう友人に変わって、作曲家の永年の伴侶へ向けたメッセージが浮かび上がる。他のヘッセの詩への作曲は、モントルーからポンテルジーナへの移動滞在の中で作曲家の死の一年前に完成されている。
「コシファントュッテ」のスタジオ録音もベーム指揮の歴史的名盤である。ザルツブルクでの上演は1958年となっていて、カラヤン指揮の「薔薇の騎士」の1960年の上演と同じく、生で舞台上演を体験した人もある年齢以上に限られてくる。
近年は、デヴュー当時のナチへの協力が明るみに出て悪いイメージが付きまとうようになっていたが、1971年にオペラから引退後も歌曲歌手として、また世界中からの生徒を集めるマスターコースを開いて数限りない人数の後進を指導したのは有名である。
そうした情景のなかから、発声法への注意などワンポイントレッスンなどは大変印象に残っている。その厳しさは、改めて話題にされるようで、ザルツブルク音楽祭などの保守的な音楽界のガリオン像とされた事などと共に女史の生涯に纏わりつくエピソードのようである。
ドイチュラントフンクが、同じく引退した指揮者ザヴァリッシュ氏に女史の死に際してインタヴューをしている。ユダヤ系の名プロディーサー・レッグ氏が彼女に仮借ないパーフェクティズムを仕込んだとするのは面白い。まさにハー・マスターズ・ヴォイスらしい。
サヴァリッシュ氏の声が聞けるのは嬉しいが、女史と「カプリッチョ」等の名録音を残した彼でさえもオペラ舞台の共演は皆無と言うから驚く。確かに、録音においても当時のフルトヴェングラーやクレンペラー、若きフォン・カラヤンなどの大スターに優先的に当てが得られた名歌手であった。競演したピアニストとして、フィッシャーやギーゼキングやグールドが挙がる。
特に、モーツァルトの歌劇の伯爵夫人、エルヴィラ、フィオルディリージ、シュトラウスの楽劇のマルシャリン、伯爵夫人などははまり役で、アリアドネやアラベラなども素晴らしかったのは想像出来る。それはカラヤンの歴史的に残る代表的録音でもある。
面白い録音に、唯一無二の代表的録音フルトヴェングラー指揮「トリスタンとイゾルデ」の年老いた大歌手フラグスタトの高いハ音の吹き替えが挙がる。シュトラウスやレハールのオペレッタ録音も有名である。
シュヴァルツコップ女史の歌唱は、その極限まで迫った歌詞と音楽の融合にあると言われ、同僚のフィッシャー・ディスカウ氏とも似通っているが、その面ではあまり後者の場合のように作為的と批判されないのはなぜだろうか?
そう言えば、金曜日夕刻に車を走らせた際、彼女のインタヴューがラジオで流れていた事を思い出した。その時は誰のことかは分からなかったのだが、なぜ歌手の死が、それもプリマドンナの死が、一般的にそれほどに共感を与えるのかを少し考えた。仕事の内容と言うか、芸術内容の肉体化した表現方法によるのだろう。それは、「直感と考えてからの行為が大切でヴォカリーゼでは駄目」と言う女史でも同じである。
セル指揮のシュトラウスの「最後の四つの歌」の録音を聞いているが、こうして歌われるとヘルマンヘッセのテキストの三曲に比べ最後の「夕焼けに」のアイヘンドルフの詩と音楽に違和感が出てくる。この曲だけは、既に二年ほど前に手が付けられていて、そこでは詩人が手に手を取ったであろう友人に変わって、作曲家の永年の伴侶へ向けたメッセージが浮かび上がる。他のヘッセの詩への作曲は、モントルーからポンテルジーナへの移動滞在の中で作曲家の死の一年前に完成されている。
「コシファントュッテ」のスタジオ録音もベーム指揮の歴史的名盤である。ザルツブルクでの上演は1958年となっていて、カラヤン指揮の「薔薇の騎士」の1960年の上演と同じく、生で舞台上演を体験した人もある年齢以上に限られてくる。