言語学的なコメントを頂いた。その内容の発音と表記を考えると、言語学の取り扱う話題となるのである。特に正書法とその語源さらにその使われ方や変化は、その難しい議論を待つまでも無く、身近に発音として数多観察する事が出来る。
平地ドイツ語のICH(一人称単数)を表わす言葉をIKなどと表記発音するのも、高地ドイツ語における正書法の不便さを示しているようだ。しかし、それと同様にその正書法に縛られて変遷しているような例も多く見られるのではないか。
面白いのは、方言とは関係無しに、ZWANZIG(数字20)などの読み方でも最後を文字通りGとして発音する人も少なからず存在する。これなどは、北部ドイツ語の特徴としてその正書法の発音が定められているかの様に、正書法に逆に影響を受けて引っ張られる例でもあるのだろうか。もちろんZWANZIGER(20er、20年代)という言葉のGの発音も存在するからややこしい。
このサイトにおいても哲学者ハイデッガー/Heideggerの名前の発音が話題となった事があるが、これもGの後に母音が続いてハイデルべルガー/Heidelberger(ハイデルべルクの人)のようになる例である。
正書法に本来の発音が引っ張られた例かどうかは別として、ZWEI(ツヴァイ、数字2)と標準語では読ませるが、南部ドイツのプファルツの方言ではそのまま文字通り発音ZWEE[tsve:]と発声する。
これらは、正しく訛っているのか、正書法に忠実なのか、はたまた教養が無いのか判らない。要するに正書法も、言葉の変遷に寄与してもそれを止める事は出来ないと言うことなのだろう。
さらにもう少し調べると、表記化された南部高地ドイツ語の歴史上の二度に渡る所謂子音推移というものを経験していない単語においても南北ドイツ語の違いが存在しているとあり、それらはもともと発音が違っていた事を説明しているのであろう。
参照:
トリアー大学のドイツ語辞書サイト
平地ドイツ語の用例
プフェルツァー語の用例
平地ドイツ語のICH(一人称単数)を表わす言葉をIKなどと表記発音するのも、高地ドイツ語における正書法の不便さを示しているようだ。しかし、それと同様にその正書法に縛られて変遷しているような例も多く見られるのではないか。
面白いのは、方言とは関係無しに、ZWANZIG(数字20)などの読み方でも最後を文字通りGとして発音する人も少なからず存在する。これなどは、北部ドイツ語の特徴としてその正書法の発音が定められているかの様に、正書法に逆に影響を受けて引っ張られる例でもあるのだろうか。もちろんZWANZIGER(20er、20年代)という言葉のGの発音も存在するからややこしい。
このサイトにおいても哲学者ハイデッガー/Heideggerの名前の発音が話題となった事があるが、これもGの後に母音が続いてハイデルべルガー/Heidelberger(ハイデルべルクの人)のようになる例である。
正書法に本来の発音が引っ張られた例かどうかは別として、ZWEI(ツヴァイ、数字2)と標準語では読ませるが、南部ドイツのプファルツの方言ではそのまま文字通り発音ZWEE[tsve:]と発声する。
これらは、正しく訛っているのか、正書法に忠実なのか、はたまた教養が無いのか判らない。要するに正書法も、言葉の変遷に寄与してもそれを止める事は出来ないと言うことなのだろう。
さらにもう少し調べると、表記化された南部高地ドイツ語の歴史上の二度に渡る所謂子音推移というものを経験していない単語においても南北ドイツ語の違いが存在しているとあり、それらはもともと発音が違っていた事を説明しているのであろう。
参照:
トリアー大学のドイツ語辞書サイト
平地ドイツ語の用例
プフェルツァー語の用例