Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

顔のある人命と匿名

2007-02-01 | 歴史・時事
国連の国際組織犯罪防止条約に関連して、旅客機の撃墜処置の違法性が話題となる。内務大臣のショイブレ博士が、記者会見していたのをラジオで聞いた。

旅客機がテロリストにハイジャックされて原子力発電所に向かっていても撃墜は難しいかもしれない。なぜならば、戦闘活動に市民が直面していて、国内が戦争状態ではないからとあり、市民が攻撃を受けている戦闘状態とは異なることを強調していた。これらを憲法に照らして判断を仰ぐことは間違いではないが、結局は防衛を目的とした戦争の定義となるのであろうか?自国の人命や財産を守るための犠牲である。

技術的な対策として、ハイジャック等の場合は飛行を強制的に自動操縦に固定するなどして強制的にコントロールして航路上に維持する方法が検討されても良いのではなかろうか。

同様にテロリスト対策目的から、ネットにおける当局のコントロール強化を目指している。テロリストがネットを利用して、そこでテロリストが養成されているとの見解のようだが、その匿名性が問題となっている。当局による直接の介入は、社会の安全を高めるかも知れないが、権力の悪用や誤用は避けられない。

現状においても違法性があれば、裁判所がその都度情報の公開と強制捜査を許可する事が出来る。ネットどころか電話の盗聴も許可される。そうした三権分立のシステムの下に法治国家は成り立っている。過大な権力を行政に許可する事は、社会のためにならないことが分かっているからである。

なによりもその社会自体が、実は匿名性によって民主的社会集団として存在している事を忘れてはならない。かつて、無記名投票行為を、奇しくも「共謀罪の件」で揶揄した。社会を構成してそれを形成するのは顔の無い大衆であるとすると、その顔のある個人の匿名性は、普通選挙、つまり民主主義の根幹にある。

問題は、テロリストのアピールではなくて決して少なくないテロリストの存在なのである。ドイツ国内法では、ネオナチ的な内容はネットからも削除の命令が下り、発言者は訴追されるが、ネットにおいては国境が無く米国発信のそれなどは防ぎようが無い。

余談ながら、同様に児童ポルノが禁止される理由は何よりも、そのために児童虐待行為が実際に存在する事であって、それによる社会的影響は二の次である。そこには、表現や発言の権利などは存在しない。エロ・グロ・アニメやゲームソフトなどの教育的悪影響は、別途議論されるべき問題である。

さてここで気がつくのは、撃墜や犠牲を要求する権力は大衆が形成する社会のそれであり、その場合必ず「死を脅し」として命令は履行される。これはノーベル文学賞受賞者エリアス・カネッティーの定義つけと変わらない。またそれによると人間は非社会的な特性を持つとされるが、非社会的な個人は現実には存在出来ない。それは、ネットの仮想空間においても同様で、そこではそれら各々個人がインターアクティヴな関係を持つ大衆となる。つまり、ネットにおける大衆の形成は、その匿名性*において初めて、無記名選挙により民主的に選ばれた為政者の正統性を揺るがすことになるのである。

次世代の社会構造や正統性を考慮する時に、これらは参考になる事象であるに違いない。必ずしも従来のように危うい権威をもって大衆を導く必然性がここには生じないことは十分に予想出来る。


*この匿名性は必ずしもプロフィールの有無とかを指すものでは無い。あくまでもインターアクティヴな立場を貫き、構造的に固定された立場からの静的評価を退ける事にある。WIKIの編集方針などがこれに当たる。



参照:
BLOG 対 旧マスメディア [ 歴史・時事 ] / 2005-06-07
無料情報の客観主義 [ 文化一般 ] / 2005-08-10
雪山をナメてませんか!? [ BLOG研究 ] / 2007-01-24
コメント (2)
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