Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

異端への法的社会正義

2007-02-20 | 
赤軍派の首長の一人ブリギット・モーンハウプト女史が三月末に釈放される。少なくとも九人の殺害に関与した大物テロリストである。何重もの終身刑から最低24年に減刑されて、模範囚として過ごして来た。もともと、愛されるルター派ドイツ人の顔色を変えずに用件を処理して来た管理能力と実行力が、今後は危険性の無い人物としての評価に繋がったようである。

社会への復帰ではなく、公職リタイアーとする紙評も見られる。まさに、彼らの敵たるナチの残党やそれに類する帝国主義的人物をターゲットとして来たのであろうが、その遣り口はナチの冷血な高官そのものの印象がある。ユダヤ人大虐殺への合理的処理方法への追求とパレスチナでの飽くなき蛮行が似ているようなものである。

遺族への償いをするのが社会復帰への前提とする保守派の意見が多いようだが、刑法的には釈放とは繋がらないらしい。現に誘拐後殺害されたシュライヤー氏の子息はこの司法判断を批判している。なるほど、国家補償があったかどうかは知らないが、なんら罪の無い遺族にしてみれば、時のシュミット首相に社会秩序のために見捨てられて、そして今回も社会に裏切られたような気がしてもおかしくはない。如何なるイデオロギーや主義主張においても、理想的には社会正義があたかも自由市場経済摂理のように働かなければいけないのだろうが、それはそもそも「中身がすかの枝豆-トーマス・マン(魔の山)」のような言葉の定義なのであろう。

彼ら彼女ら革命家は、犯行声明を出すが、個人的な犯行を認めない顔の無いのが特徴と言う。いずれにしてもテロリストたちは、アナーキストではなくて理想とする社会の構築のために手段を選ばずに使命を実行したのである。こうした冷徹な犯人の「社会復帰」を批判するのは間違いで、社会のアウトサイダーとして位置付けるしか方法は無いのであろう。メルケル首相との会談とか冷戦下のイデオロギーとその実践の歴史的評価とか、何処かで読んだ気がしたが、到底そうした状況ではないように思われる。



参照:
暖冬の末に灯火親しむ [ アウトドーア・環境 ] / 2007-02-18
止揚もない否定的弁証 [ 歴史・時事 ] / 2006-10-07
リベラリズムの暴力と無力 [ 歴史・時事 ] / 2004-11-06
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