去る22日は、ハインリッヒ・ルドルフ・ヘルツの百五十回目の生誕記念日であった。ラジオやTVの放送周波数を彼の苗字で呼ぶように統一されてから、世界的に知らない者は少なくなったであろう。
その周波数を形作る電磁波の発生を実証した。車のラジオで、「電磁波は、見えないが、それはその目が違う」という様な事を語っていたようだ。その研究態度は、あのキルヒホッフとヘルムホルツの弟子で1880年に博士号を取得したという事から、事情通は想像できるだろうか。その後、カールツルーヘの教授になっていて、現在の同エリート大学の鑑なのだろう。
周波数は、一秒間に周期的な振動を数えれば良いが、波は正から負へと、負から正へと、そして正から負へと偏向するので、所謂サインカーブを頭に描くと一循環する。火花を散らしての放電現象を、我々がラジオなどで雑音として経験するが、紫外線照射による光電効果によるその観察から電磁波の伝達を、ダイポールアンテナを開発して距離を置いて受信する事で、マックスウェルの電磁場の方程式が一般化される。
余談であるが、ラジオ聴取で理解したところ、ノーベル物理学賞を1909年に、ブラウン管やオシロスコープの発明者でやはりカールスルーヘ大の教授であったカール・フェルディナント・ブラウン博士と分け合った、イタリア人マルコーニはこの成果を逸早く特許として取得して事業家として商業化を推し進めた。現在ではノーベル賞の受賞を疑問視する声もあるが、現在の商業的な開発をも受賞の対象とするとするならば、必ずしも可笑しくはない。もともとノーベル賞は、近代を象徴し、社会技術への貢献に捧げられるものである。
さて、そうした変調された電磁波などのアナログの通信システムが、今や日に日にデジタル化されて行き、電磁波がデジタル変調信号運ぶ事になる。その運ぶデジタル信号は、様々なものがあるだろうが、古典的なものではPCM音声変調であろう。
それは、通常の音の大きさや高さに沿った電気信号として、時系軸をもった電圧や電流として表現するアナログ変調に対して、量子化してパルス信号として表現するデジタル変調技術を指す。
態々、デジタル技術の概要をここに写すのは、偶然に後期バロックの作曲家ラモーの音楽のプロジェクトをパリ在住のガーター亭さんの記事として拝見して、尚且つラモーの音楽理論と1970年代のパリでのスペクトラム・ミュージックと呼ばれる音楽派の関連を記事として読んだからである。
その二つの関連を先ずは無視してその楽派の論拠にあるように、音色を決定してハーモニーを形成する倍音列などの周波数の特徴を定量化・スペクトル化して扱うのは、現在の我々の生活では大変馴染みある行為である。シンセサイザーなどの取り扱いは、万人がコンピューターや機械の合成音として毎日のように馴染んでいる。音色である周波数の複雑な合成体を、その関数を時制から角周波数に写し、フーリエ変換すれば解析出来る。まさにこれはデジタル音響技術におけるシンセサイザーの音作りなのである。
つまり、こうしたデジタル化されて合理化された作曲の手法は、その源泉を作曲家モーリス・ラヴェルの作品にみるか、ラモーの和声の理論にみるかは別として、米国において商業的に利用されて経済を生むのである。つまり、技法は知的創造の経済に違いないが、それが芸術を生むのではなく産業を生むためには商才を必要とする。また、電磁波を用いたデジタル変調搬送システムは、現在においても携帯電話などとして世界の経済に大きな意味を持ち続けているのである。(夜空に輝く双子座の星達へと続く)
今日の音楽:
HUGES DUFOURT ANTIPHYSIS(1978), SATURE(1979)
その周波数を形作る電磁波の発生を実証した。車のラジオで、「電磁波は、見えないが、それはその目が違う」という様な事を語っていたようだ。その研究態度は、あのキルヒホッフとヘルムホルツの弟子で1880年に博士号を取得したという事から、事情通は想像できるだろうか。その後、カールツルーヘの教授になっていて、現在の同エリート大学の鑑なのだろう。
周波数は、一秒間に周期的な振動を数えれば良いが、波は正から負へと、負から正へと、そして正から負へと偏向するので、所謂サインカーブを頭に描くと一循環する。火花を散らしての放電現象を、我々がラジオなどで雑音として経験するが、紫外線照射による光電効果によるその観察から電磁波の伝達を、ダイポールアンテナを開発して距離を置いて受信する事で、マックスウェルの電磁場の方程式が一般化される。
余談であるが、ラジオ聴取で理解したところ、ノーベル物理学賞を1909年に、ブラウン管やオシロスコープの発明者でやはりカールスルーヘ大の教授であったカール・フェルディナント・ブラウン博士と分け合った、イタリア人マルコーニはこの成果を逸早く特許として取得して事業家として商業化を推し進めた。現在ではノーベル賞の受賞を疑問視する声もあるが、現在の商業的な開発をも受賞の対象とするとするならば、必ずしも可笑しくはない。もともとノーベル賞は、近代を象徴し、社会技術への貢献に捧げられるものである。
さて、そうした変調された電磁波などのアナログの通信システムが、今や日に日にデジタル化されて行き、電磁波がデジタル変調信号運ぶ事になる。その運ぶデジタル信号は、様々なものがあるだろうが、古典的なものではPCM音声変調であろう。
それは、通常の音の大きさや高さに沿った電気信号として、時系軸をもった電圧や電流として表現するアナログ変調に対して、量子化してパルス信号として表現するデジタル変調技術を指す。
態々、デジタル技術の概要をここに写すのは、偶然に後期バロックの作曲家ラモーの音楽のプロジェクトをパリ在住のガーター亭さんの記事として拝見して、尚且つラモーの音楽理論と1970年代のパリでのスペクトラム・ミュージックと呼ばれる音楽派の関連を記事として読んだからである。
その二つの関連を先ずは無視してその楽派の論拠にあるように、音色を決定してハーモニーを形成する倍音列などの周波数の特徴を定量化・スペクトル化して扱うのは、現在の我々の生活では大変馴染みある行為である。シンセサイザーなどの取り扱いは、万人がコンピューターや機械の合成音として毎日のように馴染んでいる。音色である周波数の複雑な合成体を、その関数を時制から角周波数に写し、フーリエ変換すれば解析出来る。まさにこれはデジタル音響技術におけるシンセサイザーの音作りなのである。
つまり、こうしたデジタル化されて合理化された作曲の手法は、その源泉を作曲家モーリス・ラヴェルの作品にみるか、ラモーの和声の理論にみるかは別として、米国において商業的に利用されて経済を生むのである。つまり、技法は知的創造の経済に違いないが、それが芸術を生むのではなく産業を生むためには商才を必要とする。また、電磁波を用いたデジタル変調搬送システムは、現在においても携帯電話などとして世界の経済に大きな意味を持ち続けているのである。(夜空に輝く双子座の星達へと続く)
今日の音楽:
HUGES DUFOURT ANTIPHYSIS(1978), SATURE(1979)