Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

馬鹿らしく下らないもの

2007-07-15 | 生活
先日来の空模様で、地面の潤いが一気にしゃしゃり出て蒸し暑い。気温は、32度で比較的快適であるが、風が些か重く生温い。一月振りに、窓を開けて寝なければいけない。

今晩は、隣のシャンペン醸造所でオープンエアーのディナーコンサートがあるらしく、音合わせがやかましい。ワイン祭りのセミアマチュアに比べると、本物のプロのように聞こえるが、真面目に聞くと、英語の歌の音程が気分悪い。涼しくなってから、ダイデスハイムまで歩きに行って、冷えたビールとイタリアンアイスで涼みに、避難しようと思う。

先日のストラヴィンスキーから、フランスの大作曲家オリヴィーエ・メシアンの作品が気になっている。途中、ブゾーニの「ファウスト博士」を余所見しながら、二十世紀最大の舞台音楽作品の「アシジのサン・フランソワ」を振り返る。

カトリック信仰のこの作曲家の最大の集大成作品には相違ないが、その「圧倒的な作品体験」から、その作品の質やそこに提出される世界観は、人類の遺産の一つでもあるように思われる。これによって、中世の清貧の聖人の存在のみならず、十九世紀の舞台神聖劇「パルシファル」に相当する二十世紀後半の典型的な信仰感に触れる事が出来る。

音楽が伝える抽象的でも肉感的な、または情動に溢れ尚且つ整然とした抽象的な宇宙観が、この音楽作品を以って後世の人類やその他の生物へと伝達されるとしては大げさであろうか?それが大風呂敷ではないのが、パリの当時の監督ウド・リーバーマン依頼によるこの作品の制作過程であり、腐れた出し物を提供するオペラ座がなした成果であり、オペラ亡き時代における音楽劇場の可能性を示した歴史的事実である。

その証拠として示されるのが、数限られたその後の上演経過である。パリで数多くの絵画などからその所作を作曲家から直接指導を受けたヨセ・フォン・ダムのタイトルロールによって小澤の指揮で成功を納め、二年後にはザルツブルクで再演される。しかし、本格的に広い評価を納めたのは1992年のピーター・セラーズ演出によるSWRの楽団によるザルツブルクでの大成功で、数年後にケント・ナガノ指揮で再演されて、ライヴCD化される。その間、抜粋などの音楽上演上演北米初演などはあるようだが、昨年再び、ベルリンでも初演されて、パリではモルティェー監督が再び取り上げた。

小澤の演奏もあまりにも慣れない楽団を指導して、初演に漕ぎ着けた手腕は、特筆に価すべきで、作曲家が狙ったカトリズム的な異教感が、能笛風な音や浪花節風の打ちや気張りにも良く出ていて大変成功している。小澤の指揮者としての恐らく最も歴史に残る重要な仕事に違いない。未見のTV映像もあるようで、是非観てみたい。

このような二十世紀のオラトリオと分類出来るような作品の官能的で甘美な世界に触れれば、パラダイスが現存してそこにあり、それに引き換え、「世俗的なそんなものは一体全体なんの意味があると言うのだ?」と問われる。それも、白昼夢のような環境にあって、上のような少々おしゃれな下らないものを聞かされたのでは、堪ったものではない。


追記:お目当てのアイスは休暇中で閉店、隣のワイン酒場も閉店。学校休み中の休暇か?他の店に行く気も湧かず、ショックに打ちひしがれて、とんび返しに戻る足取りは重い。
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