Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

研ぎ澄まされた宝石の歌

2007-07-11 | 雑感
一昨日、ヴァーグナーのLPをならすと音が歪んだ。先日から武満のLPで感じていたのである。前回に針を替えてから、既に七年ほど経っている。「春の祭典」のLPを鳴らしても変わらなかった。

その昔なら、毎日平均一時間の使用を計算して、三年間で1000時間の使用限界を考えていたので、三年ごとにはダイヤモンド針を取り替えていただろう。善良な使用者を恐怖症に陥れるかのように、磨耗した針はレコードを傷つけ元には戻らないなどと書いてあったものだ。

LPプレーヤーを数年前に新調した話はここでも触れたが、その前から使用していたカートリッジが日本の有名メーカー製で、今や北欧や米国のメーカーに並んで貴重な狭い市場を占有している。

北欧製などの自重が重めのものが欲しかったのだが、プレーヤーの選択によって軽めのこれを使っているのである。今更LPと思われるかもしれないが、ディスクが手元にある以上どうしても資料としても使いたいので、アナログプレーヤーとカートリッジは必要なのである。

さて、音が歪むとなると、針先にゴミが付着していない限り針の磨耗が疑われて、それを交換するとなると、MC型カートリッジの場合は製造元へと送り返す必要が出来てくる。現在の円安は都合が良いのであるが、前回の経験から交換は出来るだけ先へと延ばしたいのである。

仕方がないので、トーンアームからカートリッジを外し針先を覗くがなかなか細かくて針先のダイヤモンドが確認出来ないのである。やはり磨耗してしまったのだろうかと思い、過去の経験から、針先をマニュキア落しのアルコール分を綿棒につけて掃除してみる。ゴムも経年変化して硬化しているであろうから、注意しながらも一か八かで磨く。

結局、期待していたように、いくら陽に翳しても光り輝く宝石は一向に見えてこないのである。それでも、序に丁寧に調整しながら、セッティングに注意して行くと、歪みの問題は収まった。恐らく、針の周りにタール状に粘着質の膜が出来ていたのだろう。特に古いLPや中古製品を多く演奏すると、その盤面の溝の中の仔細は判らないので汚染はありえる。

束の間のアナログ趣味の世界への感傷旅行であったが、普段はご無沙汰している ― 最近は半田付けや配線等の修理仕事をすることがなくなった ― 細かな仕事をしていると何もかも忘れて集中してしまうので、なかなかな得難い時間であった。ある年齢に達すると細かなものを見るのも面倒になるが、同じように聞こえる音も知らぬうちに高音から加齢とともに衰えてくる。

その反面、脂肪のように取り付くぼやけたベールは切り落とされて、骨だけが即物的に残るような分析的な感興が益々研ぎ澄まされて来るのである。

勿論、皿の上に廻る黒いLPから立ち昇るたおやかな官能的な響きは格別だったことは申すまでもない。若い瑞々しい感性で演奏された「プルチネッラ組曲」や精緻な「鶯の歌」のストラヴィンスキーの楽曲に聴き惚れる。



参照:
臨場のデジタルステレオ [ 音 ] / 2006-12-02
理のある変換とその転送 [ テクニック ] / 2006-04-20
工業化された時間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-02
究極のデジタル化 [ テクニック ] / 2004-11-29
コメント (2)
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