Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

趣味でミクロを宣う文化人

2007-07-18 | 文化一般
零時になっても暑い。風は出てきたが、まだまだ湿気があり、涼んで眠たくなると言うほどではない。机の前でうとうとするが額に薄っすらと汗をかいて目覚める。そして急に気圧が下がったのか、激しい 小 雨 が数分舞い、頭痛を感じる。

それからすると、先週土曜日の晩に散歩したのは正しかった。数キロも行かないところに、未知のワイン地所があり、同じ地所でも随分と違う場所が見つかるのだ。

特に大きなウンゲホイヤーとか、ヘアゴットザッカーとかは、その端から端まで粒さに歩かないと、その区画間による差は実感出来ない。

例えば、二つ目の斜面上部は、興味深い土壌であると聞いていたが、全体が南東向きの地所もしくは平地なのに対して、そこの一部は南向きの小さな一角になっているのである。それも直ぐ上とサイドが斜面に防がれているので、下から昇って来る風以外には大気を通さないような感じがする。

また、それと同じような向きで、二つ先の小さな谷間にあるのがラインヘーヘと呼ばれる地所で、乾燥し易いのか樹齢の若い葡萄に灌漑用のホースが設置されていた。

そこの谷間に行くまでに、モイスヘーレと名付けられた盆地の山裾を深く廻るような一角があり、その最奥から小川が流れてひんやりした湿気を放出している。そこでは、自転車でやって来て野外でワインを片手に涼んだり、バーベキュウをしている者がいた。夕刻は西日が遮られ早めに日陰になるのを知っているからであろう。


そこから小さな稜を越えると、山沿いに一枚のランゲンモルゲンの斜面が広がる。その斜面の下を支えるようなパラディースガルテンは、次ぎの稜線に遮られて湿気っぽく、川が流れ野外プールへと繋がっている。

こうして村から村へと、地所から地所へと、区画から区画へと歩いてみると、初めてミクロクリマと呼ばれる局地の気象が実感出来る。それも、年間を通してそこで実際に野良仕事をしてみるぐらいでないと、本当のところは把握は出来ないのである。

しかし、ワインのスノビズムの世界では、バーテンダーやソムリエの話しの種としてならば良いが、ワインの通などと称して、厭味たらしくこれをとやかく言う。そのような知識は、一体何になるのか判らないが、そうした知識尊重の俗物主義はワインに限らない。そのようなことを宣うのを恥ずかしいと思わない神経を疑う。脳のデーターバンク化である。

何事も必要な基礎知識や系統的且つ分析的な把握は必要であり、よりよき理解のためには欠かせないが、そもそもそうした知識や方法の蓄積への態度こそが、その信奉者が如何にその世界とは無縁な世界からの闖入者であるかを示している。ソムリエなどと言う職業の見識とそのコンテストで優勝する知識とは別物であり、そうした知識をそつなく身につけるのは、もともと縁も縁も無い闖入者に相違無いのだ。

あとは、個人の好みや趣味の良さと呼ばれるものが大切であるが、それは教養などと呼ばれるものに近く、付け焼き刃の知識とは無縁なのである。それこそが求められる見識であって、無批判なインサイダーに鋭く警句を発し、我々に覚醒を齎すのである。

下らないものや鍍金の偽物を笑い飛ばすだけの見識眼が本物の批評精神であり、批判の対象に迫る素振りを見せるだけで、その向け所と方法の定まらない御仁は、罅の入った贋物の壷を撫でながら、「ああでもないこうでもない」と呟きながら、「これだから良いのだ」、「判るかな、判からねえだろうな」などと言うただの自己満足の趣味人なのである。

「ワインの木樽に残念ながら藁が一本浮いていたようだ」とか、「あのグランクリュの地所は、西日がもう一時間長ければなあ」とか、「あの斜面に朝霧が上るようならばなあ」とか、宣う者こそ文化勲章に値する趣味の良さを持ち得る人なのである。

そうした輩は、一体全体、文化に何を寄与しているのだろう?

それにしても、いつも帰り道にゲリュンペルの地所に入ると突然、空気が変わり、清々しさのような活き活きしたものを感ずるのはなぜなのか。
コメント (6)
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