Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

文化に見合った法秩序

2007-07-06 | 文化一般
イスラム過激派などの様子をみると不思議に思うことが多い。やはり世界観の相違と言う文化の溝は、なかなか乗り越えられない。

先日、初めてのローカル線汽車の旅をした。ワイン街道ノイシュタットから、カイザースラウテルンに向って、初めて乗るルートヴィヒス一世の敷設したルートヴィヒス鉄道を進み、ホッホシュパイヤーで乗り換えて、ナーへ川の方面へとアルゼンツ谷へと入り、ナーヘがライン河に交わる河口の町ビンゲンへ出た。

その途上仲間が携えた地元新聞を読んだ。そこには、トルコ人労働者の息子で、無信教的な態度からイスラム神学に興味をもって、ハイデルベルクでまたトルコで学び博士号を取得したトルコ人が扱われていた。ケルンで問題となっているモスクはマンハイムには既に存在して、そこを中心とした文化圏が形成されているからである。

興味深いのは、このトルコ人が熱狂的な信者であり、この界隈では過激派をみた事が無いとする証言である。トルコ人には過激派は少ないとは言えないのは、現在進行中のトルコ系アメリカ人知識人暗殺事件への捜査やその民族主義者大組織への手入れでもそれとなく伝わってくるのである。

先日来、ベルリンの対トルコ外交の話題は、17歳のドイツ人少年マルコのヴァーケーション先トルコでの少女への猥褻行為と逮捕、間近に行なわれる最高八年に及ぶ裁判の行くへへのベルリン政府全力を上げた救出劇である。

大衆新聞紙などは、その監獄の劣悪な悪条件を書きたてたようだが、その背景にはじゃれ付いたのが、同じくヴァケーション中の13歳の英国人少女であった事情がある。英国人の母親がトルコの警察へと、その未遂行為を暴行として訴えたことからこれは事件となったのである。

通常ならば、旅先の思春期の少年少女の性の戯れは、訴訟沙汰にもなかなかなり難い性質のものであるが、その舞台がイスラム文化圏であったのがいけなかった。同様なことが、ドイツ国内もしくは英国国内で起こり、届けが出されたならばやはり起訴されると言うその相違がこの話題のミソである。

西洋的な知識や学問またそれらが形作る西洋文明が、必ずしも非西洋に幸福を齎さないどころか、然るべき責務への意志の欠損から、現在の世界は病める結果となっている。

帰りの列車で、乱れた不良風のティーンエイジャーが近くに座っていた。トルコ人の倅達や娘である。その躾も何もない猥らな姿は、大人達の顔を顰めさせる。彼らこそ、イスラム法で裁かれなければいけないのである。その文化には、それ相応の法秩序があるのだろう。法秩序に見合った、文化があるとは思えない。



参照:秩序破壊的実力行使 [ 生活 ] / 2007-06-21
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