Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

末恐ろしい夕刻の舟歌

2011-01-10 | 雑感
気温急上昇のためが頭が痛い。この傾向は元旦からあったのだが、なかなか完全に治らない。風邪なのだろうが、全く頭の芯のカリフラワーの切り落とすぐらいのところが、結構ピンポイントで傷む。床に入って、目を瞑ると、白く原光が射すぐらいであるから、なにかのお差し向けか、それとも脳腫瘍か?はたまた悪いピノブランを飲んだためか?そのような按配で、夕方一眠りした。新聞記事を追ううちに瞬く間に、深い眠りに落ちた。

相棒と隠密捜査に当たっているようだったが、毛馬のこうもんから宇治川とか堂島川とかあまり馴染みのない旧淀川を海の方へと向けて、細い舟に二人が横になって身を隠しながら、川を流されていくのである。そこに待ち受けるのは、なぜか瀬戸内海ではなくて大海原なのである。

道頓堀川などからの合流地点は、川というよりも阪神環状高速の合流点といった按配だ。ベートーヴェンのピアのソナタが舟歌のように盛んに流れる。結局河口近くまでいって、いよいよ海へ流されてしまうという手前で任務を完了した。その小船は高さ五十メートルもあろうかというクレーン車に吊り下げられて、上流へと移動させられる。

その上流の支流のどちらへ入るかで、船の中で身を寄せる二人は先を危ぶんでいる所で目が醒めた。汚れの厳しい、道頓堀のような所へは行きたくなかったのである。

あまり意味の分からない夢であるが、自己判断してみる。あまり所縁のない場所との繋がりや、それらが暗示していることである。意外に簡単そうに解けた感じがするが、その一方興味深いのは、名映画監督のベルイマンあたりなら間違いなく、舟歌に流されていたのはむしろ霊柩馬車に揺られる細い棺桶であったに違いない。

午前中には幾らか用を果たしたが、まだ昨年暮れからの流れが切れずに、謹賀新年とはなかなかならない。そうなったときには既に二月になって仕舞っているかと思うと、末恐ろしや。
コメント
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