Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

第二思春前期の真っ只中で

2011-01-18 | アウトドーア・環境
太腿にも下肢にも疲れがあり、首から肩にかけても疲れが残っている。さらに腰に張りがある。先週二回のインドーアクライミングと月曜日のジョギングが重なった感じであり、まだそれが取れない。もう少しでフルマラソンをこなせるなんて豪語してもまだまだである。

しかしそんな体の具合が何かおかしい。折からの急に春めいた天候以上に、体が春めいているのである。新陳代謝が活発になったのか、おかしな所が汗ばんできたりと、ここ何十年も忘れていた感覚が甦って来ている。殆どホルモン異常ではないかと思うぐらいだ。なるほど十五年ほど前ならばそれに似た感じがあったが、やはりその時のそれとも違う。

心理的にも達観のような落ち着き以上に、体の芽生えから来るような焦燥感や投げやり感とは異なるまるで映画「転校生」のような一種の違和感がある。それを思い出せば、丁度十代前期の思春期前期というようなあの春の匂いであり趣であるかもしれない。久しぶりにそのような感覚が蘇って来て不思議に想うのであるが、流石に当時のような心理的な不安定感に陥らないのは既に経験している感覚だからであろう。同時に当時はこうした肉体的な疲労をなかなか制御出来なかったのだが、現在はなんとか忍ぶことが出来るようになっているのも経験の賜物であるに違いない。

なるほどこうした考えられる「ホルモン異常」は、筋肉増強剤を使用したりドーピングによっても齎されるのかもしれないが、体力強化トレーニングによっての結果であるから、健康に良いとは言えないまでもそれ程悪いことをしていないようにも思うのだがどうだろう。腰の張りも、どこかの蝶番が磨り減ってきたという印象よりも、背筋の筋を刺激したような按配で、丁度所謂体幹トレーニングの切っ掛けになるのではないかと感じている。サッカーにおける蹴りのバランスと同じように、シュタイクアイゼンの最近の一本爪出っ歯のものを使い切るためには、体の軸が安定することが重要だと想像したりしているのである。

ネットで山道具の買い物を籠に入れたりしていると、今まで使った事もないような道具が沢山出てくるのである。嘗てと比べると様々なアウトドアースポーツが分業化しており、其々の分野でのスポーツとしての技術的な洗練が見られる。その分、各々の技術を習得するために合理的なトレーニング方法が存在する。それは何か、十代の頃に我武者羅に挑戦したことを、合理的に解析している自分自身の姿勢とも似通っている。それでも、どうしても肉体と精神の乖離のような違和感が解消されるまでには至らないのである。第二思春期と呼ぶことが出来るようなものがあるならば、それはそれでなかなか興味深いのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする