Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

権利と死の義務の日本人

2012-04-16 | マスメディア批評
復活祭明け後の日本からのニュースは興味深かった。なによりも大飯原発再稼動問題と北朝鮮のロケット打ち上げ問題であろう。前者は、IWJで流していたように再三の首相官邸前での抗議の声や閣議決定後の政治家の福井入り、そして福井県知事の中間貯蔵への言及、そして町での抗議デモなどと続いている。

興味深く読んだのが、田中龍作ジャーナルの福井からの報告である。いつもながらの落ち着いた筆使いで、人々が置かれているその環境を浮かび上がらせている。例えば仙谷由人・政調会長代理の記者会見の報告を読むとこれまたいつもながらの記者視線の主観的な報告なのだが、とても手際よくその場の状況即ち環境を描き出している。IWJの映像で馴染みのその雰囲気を映像以上にその背後までを想起させる。一体、仙谷由人がどのような政治家であるかを十分に教えてくれるのである。時の権力者を嘘偽りなく描き出す、まさにこれが筆の使いようである。もう一つの記事は枝野とそれを待ち受ける人々との攻防として、福井の事情のようなものまでが描かれていて、これまた誰もが気がついているような状況なのだが、ありのままの環境を筆で描き出そうとしている。

またマスメディアの311検証などが話題となっていたが、卑しくもジャーナリズムを名乗るならば、その置かれている状況を可能な限り描ききることでしかない。その記者の認知力と表現力以外の何ものでもない。科学的な事実関係やある真実などが中立な立場で描ききれると考えているならばそれは無知でしかない。それでも無知は無知なりの自覚をもって、その状況や環境をそのまま表現しようとする努力もなしにジャーナリズムを語るのが誤りなのである。そもそも311の真実など半世紀経過しても実証的に明らかにならないかもしれないのである。

北朝鮮のロケット打ち上げに関して、前回はその飛翔コースが異なっていたとしても、今回は前回ほどに世論を操作できるほどの効果を得なかったに違いない。なにやら『オオカミ少年』のようで一度二度は効果があっても拉致問題と同様に仮想敵国を明確化することで為政者が国民の意思を左右するほどの効果はもはや消失したようである。なぜか、ここでも仙谷由人のような顔が思い浮かぶのは私だけか?

ワシントンが、現在も中共と北朝鮮を日本に対して仮想敵国として有効に使えるように、日本も核とロケットを配備した出島として、中共がピョンヤンをまるでヤクザのチンピラのように操るのと同じ効果を北京に与えることが出来る。嘗てはそこにソヴィエトがあった訳なのだが、原発の核の平和利用というのはやはり広島・長崎の意志とは別に、核の容認と言う意味合いで戦後の日本統治の重要な核と成ってきたものなのだろう。

北朝鮮の人民が金ダイナスティーに牛耳られているのと同じように、なにもかも分らされて生きてきた日本人であるが、311を契機としてその自らの生活や生命が直接脅かされてはじめてその環境に気がつくようになって来ているようだ。とても怖い思いをしたその恐怖心が脱原発へと駆り立てるのは当然ことで、どんなに飼い馴らされた従順な家畜も死の恐怖の前に最後の本能的な反撃を始める。もしそれでも必要な死を受け入れるというのが戦後教育の結果としての現在の日本人の行動形態であるならば、生まれながらに玉砕も辞さない民族であって為政者にとってはこれほど扱いやすい家畜はいないであろう。



参照:
【福井報告】 裏門からこっそり入った枝野経産相
【福井報告】 仙谷氏 「大飯原発再稼働」に向けて地元議員のネジを巻く (田中龍作ジャーナル)
無責任なリセットの構造 2011-12-17 | 歴史・時事
同じ穴の狢を炙り出せ 2011-10-14 | 雑感
それでも生きていたいのか? 2012-04-09 | 文化一般
核政策へのレクイエム 2012-04-06 | アウトドーア・環境
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