満を持して、ルツェルン音楽祭の券を注文した。ここ二月ほど狙っていたのだが、その昔日本で外国からの引越し公演の安いチケットをある時は並んだりして購入したのを思い出した。その当時は基本的には安いチケットを購入するために電話攻勢を掛けていたのだが、今回のネット予約はそれ以上に困難を伴った。結局、前売り開始から二時間以上過ぎての成果であった ― この作業時間代の方が高い。
勿論その途中では完売のお知らせが出て、その前にはルツェルンに電話を掛けたのだが一向に埒が明かなかった。初日のマーラーの交響曲八番なので通常とは売れ方が違ったのだろうが、その後の二回の演奏会も飛ぶように売れたようで二時間後には完売表示が出た。こうなったなら悔し紛れに支出するはずの予算を何処へ向けようかとの皮算用になるのと同時に昔取った杵柄でいろいろな方法を考えてみる。
前日にチューリッヒのこれまた別の演奏会を音楽祭で開く友人にメールして、初日の8月8日に出かける予定なので会おうかと話していたので、もしかすると只券とはいわないでもプレス用の券ぐらいは回して貰えるかとも都合の良いことを考えながらも、売れ行きの勢いに驚いて、今まで体験することのなかった指揮者クラウディオ・アバドのルツェルン音楽祭楽団もこれでもはや聞くことがないかとも思っていたのだ。
しかし、ネット予約の最初からして座席予約のプログラムに仕込まれたある種のアルゴリズムに気がついていたので、時間をおいて試してみたのであった。その結果当初の予算の一クラス上のチケットが偶々当たったのである。60ユーロ余計に懐が痛むが、往復の燃料代だけで100ユーロほど掛かるのだから、その出費は仕方ないだろう ― チューリッヒまで車を改めて走らせばそのぐらいの費用は簡単に飛んでしまう。それにこれで当日はスイスにいるだろうと返事した前出の友人に涼しいところで昼飯でもしながら久しぶりに会って用事を済ませることが出来る。
それにしてもスイス人はどうしてここまでマーラーの音楽に熱狂的なのだろうか?それともこのチクルスの成功を証明しているのか?ユダヤ系住民のチューリッヒでの比率はなるほどフランクフルトなどに比較できないかもしれないが、観客での比率はそれほど高くないことは分っている。それでもマーラーの音楽への熱狂は東京や大阪を越えている。それを今まで数回のルツェルンでのマーラー体験で実感しているので、同じ演奏ならドイツ国内で体験するよりもルツェルンでのそれの方が圧倒的なのである。聴衆があれだけの親和性を持っていると大抵のまともな演奏者なら大変立派な成果を勝ち得るのだ。
指揮者アバドもマーラーチクルスを繰り返してきたようだが、今まで態々出かけようと思わなかったのには様々な要因がある。なによりもここ十年ほどは出不精になって、運転が億劫になっていたことも大きい。しかし最近になってフットワークが大分軽くなってきた。視力だとか様々な原因があるだろうが、嘗てのように日帰りでザルツブルク往復の1000KMをこなす心算はさらさらないのだが、先日の南仏行でも昨年よりも大分楽であった。
さて、キャンセルも少なくない病後の指揮者であり、今年になってからもキャンセルした演奏会があったというので、その状況を調べてみた。健康上の問題でなくてイタリア独特のオーガナイズの問題であったと知り、更に三月のボローニャーでの演奏会の映像を探し当てて、現時点では危うさがないと確認した。
肝心の管弦楽団は東京でも御馴染みらしいが映像でスターの顔は確認していても今回初めてメムバー票を見て予想していたスイスの演奏家達の顔ぶれはなく、ザビーネマイヤーグループやフライブルクグループなどとはっきりと分けれていて、意外な印象も受けた。その分寄せ集めでは無い効果的な練習や一体感のある演奏が今まで行われてきたのだろう。先ずは聞いてみないと分らないが、マーラーチクルス最後に間に合ってよかった。
くどいようだが、ベルリンのフィルハーモニカーのオペラとマーラーの復活交響曲の二晩のチケット代金よりも60ユーロも高くついた千人の交響楽。舞台に乗る演奏者の数でも多いから仕方ないようなものだが、逆にいうとドイツが税金から支援をしていて、バーデンバーデンのイースター音楽祭が如何に低料金かということである。
参照:
TGR Emilia Romagna Edizione delle 19.30 (TG RaiTV) ― 18分より、ボローニャでの演奏会風景
小澤さん一年間指揮活動休止、SKF松本およびウィーン・フィルとのヨーロッパ・ツァーは全面キャンセル (TARO'S CAFE)
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勿論その途中では完売のお知らせが出て、その前にはルツェルンに電話を掛けたのだが一向に埒が明かなかった。初日のマーラーの交響曲八番なので通常とは売れ方が違ったのだろうが、その後の二回の演奏会も飛ぶように売れたようで二時間後には完売表示が出た。こうなったなら悔し紛れに支出するはずの予算を何処へ向けようかとの皮算用になるのと同時に昔取った杵柄でいろいろな方法を考えてみる。
前日にチューリッヒのこれまた別の演奏会を音楽祭で開く友人にメールして、初日の8月8日に出かける予定なので会おうかと話していたので、もしかすると只券とはいわないでもプレス用の券ぐらいは回して貰えるかとも都合の良いことを考えながらも、売れ行きの勢いに驚いて、今まで体験することのなかった指揮者クラウディオ・アバドのルツェルン音楽祭楽団もこれでもはや聞くことがないかとも思っていたのだ。
しかし、ネット予約の最初からして座席予約のプログラムに仕込まれたある種のアルゴリズムに気がついていたので、時間をおいて試してみたのであった。その結果当初の予算の一クラス上のチケットが偶々当たったのである。60ユーロ余計に懐が痛むが、往復の燃料代だけで100ユーロほど掛かるのだから、その出費は仕方ないだろう ― チューリッヒまで車を改めて走らせばそのぐらいの費用は簡単に飛んでしまう。それにこれで当日はスイスにいるだろうと返事した前出の友人に涼しいところで昼飯でもしながら久しぶりに会って用事を済ませることが出来る。
それにしてもスイス人はどうしてここまでマーラーの音楽に熱狂的なのだろうか?それともこのチクルスの成功を証明しているのか?ユダヤ系住民のチューリッヒでの比率はなるほどフランクフルトなどに比較できないかもしれないが、観客での比率はそれほど高くないことは分っている。それでもマーラーの音楽への熱狂は東京や大阪を越えている。それを今まで数回のルツェルンでのマーラー体験で実感しているので、同じ演奏ならドイツ国内で体験するよりもルツェルンでのそれの方が圧倒的なのである。聴衆があれだけの親和性を持っていると大抵のまともな演奏者なら大変立派な成果を勝ち得るのだ。
指揮者アバドもマーラーチクルスを繰り返してきたようだが、今まで態々出かけようと思わなかったのには様々な要因がある。なによりもここ十年ほどは出不精になって、運転が億劫になっていたことも大きい。しかし最近になってフットワークが大分軽くなってきた。視力だとか様々な原因があるだろうが、嘗てのように日帰りでザルツブルク往復の1000KMをこなす心算はさらさらないのだが、先日の南仏行でも昨年よりも大分楽であった。
さて、キャンセルも少なくない病後の指揮者であり、今年になってからもキャンセルした演奏会があったというので、その状況を調べてみた。健康上の問題でなくてイタリア独特のオーガナイズの問題であったと知り、更に三月のボローニャーでの演奏会の映像を探し当てて、現時点では危うさがないと確認した。
肝心の管弦楽団は東京でも御馴染みらしいが映像でスターの顔は確認していても今回初めてメムバー票を見て予想していたスイスの演奏家達の顔ぶれはなく、ザビーネマイヤーグループやフライブルクグループなどとはっきりと分けれていて、意外な印象も受けた。その分寄せ集めでは無い効果的な練習や一体感のある演奏が今まで行われてきたのだろう。先ずは聞いてみないと分らないが、マーラーチクルス最後に間に合ってよかった。
くどいようだが、ベルリンのフィルハーモニカーのオペラとマーラーの復活交響曲の二晩のチケット代金よりも60ユーロも高くついた千人の交響楽。舞台に乗る演奏者の数でも多いから仕方ないようなものだが、逆にいうとドイツが税金から支援をしていて、バーデンバーデンのイースター音楽祭が如何に低料金かということである。
参照:
TGR Emilia Romagna Edizione delle 19.30 (TG RaiTV) ― 18分より、ボローニャでの演奏会風景
小澤さん一年間指揮活動休止、SKF松本およびウィーン・フィルとのヨーロッパ・ツァーは全面キャンセル (TARO'S CAFE)
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