試飲会は面白かった。ロベルト・ヴァイル醸造所に着いたのは16時を超えていてパン以外は口にすることが出来なかった。忙しかったので仕方が無い。本来の計画ならば正午に出かけて早めに帰宅して、ミュンヘン行きに備えるつもりだったのだ。結局日にちを間違えていて、その分色々と仕事をしているうちに遅くなった。それでも春の試飲会は新鮮なリースリングで、グローセスゲヴェックスなどの仮注文に備える目的だから、それでよいのだ。口に食事している場合ではない。
改めて醸造所のコンセプトを確認した。木樽が導入されてから、一部には清潔度が落ちたという批判があることをぶつけてみると、なるほど100%のグローセスゲヴェックスとラーゲンヴァインの50%では2011年からそれによって変化していることは確認された。要するに複雑性が増したことであるのだが、瓶熟成を知らない人々には何のことか分からないのは当然のことだろう。
ドイツ一番の技術力と品質と評価されながらもそれ以前のグローセスゲヴェックスの瓶熟成の無さは、ダイデスハイムの昔の名前のバッサーマン・ヨルダンのそれと双璧であった。要するに90年代のシュヴァルツ親方の成果を受け継いだ醸造親方の優等生的な解決法でしかなかったのだ。我々は、木樽の利点と欠点をそれ以前の出来で身体に沁み込ませているので、ステンレスの醸造だけが品質でないことは認識していたのだ。
そして瓶熟成が必要となるグローセスゲヴェックスの時代になって漸くその利点が不可欠なものとなったのである。なるほどヴァイルのグレーフェンベルクは2007年産でも未だに新鮮だ。今回試飲した2006年産のシュペートレーゼの甘口も決して悪くは無かった。要するに長持ちはしても、成長しないワインだった。
それが木樽で大変革したのだが、その味筋はより複雑になった。そしてその判断はより難しくなった。例えば、2004年産キードリッヒのヴィラージュは酵母味が残っており、気になる人はとても買えない。昨年とは全く違うのは、葡萄が違うからで、昨年ほどの健康は得られていない。そして、プリユミエクリュのクロスターベルクは、一般受けしていたが、石灰の丸みが飲み易くさせていたに過ぎない。リースリング愛飲家ならば手を出さないリースリングである。
そしてテュルムベルクは酸が可也激しい。しかし、これはグレーフェンベルクをある程度期待させるに十分であった。そして木樽こそ、複雑さと瓶熟成を約束するものである。「木樽は丁度シャブリのようにクリーミーさを添える」とする見解はとても優れていると思うが、決してフーダーのような小さな樽の味付けをしているのではないことが肝要である。大きな樽でゆったりと呼吸させることが瓶熟成の基本である。醸造の可也の裏話を聞いてしまったが、2011年以降のグローセスゲヴェックスはとても将来性が豊かになったことだけは確信する。
今回持ち帰ったのは結局グーツリースリングで木樽は一切使っていない。もしこれで雑味があるとしたならば、葡萄が腐っていただけに過ぎない。少々残糖を多めにして飲みやすくしてある。もしこれで不満ならば、同じ価格帯のレープホルツ醸造所のオェコノミラートを買うべきだ。帰宅して、昨日開けたヴァッヘンハイマー・リースリングを比べると決して悪くは無いのである。とても苦味が先行しているようで現時点では若過ぎで推薦できないと思ったリースリングに違いが無いのではあるが。その意味からすると、拘りのミュラー・カトワールの2014年産は秀逸だ。注目されるに違いない。
参照:
還元法は十五年も前のこと 2015-05-06 | 試飲百景
根腐りしているような市場 2015-04-19 | ワイン
改めて醸造所のコンセプトを確認した。木樽が導入されてから、一部には清潔度が落ちたという批判があることをぶつけてみると、なるほど100%のグローセスゲヴェックスとラーゲンヴァインの50%では2011年からそれによって変化していることは確認された。要するに複雑性が増したことであるのだが、瓶熟成を知らない人々には何のことか分からないのは当然のことだろう。
ドイツ一番の技術力と品質と評価されながらもそれ以前のグローセスゲヴェックスの瓶熟成の無さは、ダイデスハイムの昔の名前のバッサーマン・ヨルダンのそれと双璧であった。要するに90年代のシュヴァルツ親方の成果を受け継いだ醸造親方の優等生的な解決法でしかなかったのだ。我々は、木樽の利点と欠点をそれ以前の出来で身体に沁み込ませているので、ステンレスの醸造だけが品質でないことは認識していたのだ。
そして瓶熟成が必要となるグローセスゲヴェックスの時代になって漸くその利点が不可欠なものとなったのである。なるほどヴァイルのグレーフェンベルクは2007年産でも未だに新鮮だ。今回試飲した2006年産のシュペートレーゼの甘口も決して悪くは無かった。要するに長持ちはしても、成長しないワインだった。
それが木樽で大変革したのだが、その味筋はより複雑になった。そしてその判断はより難しくなった。例えば、2004年産キードリッヒのヴィラージュは酵母味が残っており、気になる人はとても買えない。昨年とは全く違うのは、葡萄が違うからで、昨年ほどの健康は得られていない。そして、プリユミエクリュのクロスターベルクは、一般受けしていたが、石灰の丸みが飲み易くさせていたに過ぎない。リースリング愛飲家ならば手を出さないリースリングである。
そしてテュルムベルクは酸が可也激しい。しかし、これはグレーフェンベルクをある程度期待させるに十分であった。そして木樽こそ、複雑さと瓶熟成を約束するものである。「木樽は丁度シャブリのようにクリーミーさを添える」とする見解はとても優れていると思うが、決してフーダーのような小さな樽の味付けをしているのではないことが肝要である。大きな樽でゆったりと呼吸させることが瓶熟成の基本である。醸造の可也の裏話を聞いてしまったが、2011年以降のグローセスゲヴェックスはとても将来性が豊かになったことだけは確信する。
今回持ち帰ったのは結局グーツリースリングで木樽は一切使っていない。もしこれで雑味があるとしたならば、葡萄が腐っていただけに過ぎない。少々残糖を多めにして飲みやすくしてある。もしこれで不満ならば、同じ価格帯のレープホルツ醸造所のオェコノミラートを買うべきだ。帰宅して、昨日開けたヴァッヘンハイマー・リースリングを比べると決して悪くは無いのである。とても苦味が先行しているようで現時点では若過ぎで推薦できないと思ったリースリングに違いが無いのではあるが。その意味からすると、拘りのミュラー・カトワールの2014年産は秀逸だ。注目されるに違いない。
参照:
還元法は十五年も前のこと 2015-05-06 | 試飲百景
根腐りしているような市場 2015-04-19 | ワイン