連邦共和国大統領ガウクが嘗ての赤軍捕虜施設で鎮魂をしたようだ - コルディッツ大脱走のように西欧連合国軍の兵士とは比較にならないほどの捕虜が死亡した。そこで、赤軍を賞賛して、「ナチと戦ってドイツを解放してくれて、我々その後に生まれた者は感謝したい」と語った。同じようなことを日帝から解放された日本人はなんと表現すればよいのか?なるほどガウク氏の発言は、東独出身のマルキズム的な考え方だと、一笑されるかもしれないが、この時点での発言はそれほど単純な外交姿勢ではなかろう。
日本人が中共赤軍に感謝したり、原爆投下の問題もあり米軍に開放を感謝したりすることは、流石に特殊な所謂「左巻きの人間」以外にはいないであろう。そうした状況を指して、戦後レジームと呼ぶ輩が少なくないようだが、そうした連中もその特殊な左翼思想の人たちと変わらないぐらい狂信的な人々であろう。
我々後から生まれた者が考えなければいけないのは、そのようなことではないだろう。先日からちらちらと見ている丸山真男集別集第一巻はとても勉強になる。当時の一級の知識人が何を考えたかは、三島由紀夫らが何をしたかなどとは比較にならないほどの意味がある。1946年10月講演内容では、明治維新後の立憲主義の確立を自由民権運動を通して述べられており、そこでは歴史主義と啓蒙思想の相違が明快にされている。
つまり、啓蒙思想では覚醒してしまえばその時点から過去をそのときの視座で批判してしまえるわけで、覚醒していなかった吾を責めるだけでよいのである。しかし歴史主義の立場からすれば、それはその時の思潮や社会情勢があったわけで、その後の覚醒の契機となった事件も発生していない時を前提としての考え方や行動などが評価される。丸山の敗戦を通してのその思索が手にとるように分かる。もちろん研究内容は論文によって知られているものだが、講演のそのときの状況を思い描くととても痛切なのだ。
ここで、敗戦を招いた「明治維新後のアンシャンレジーム体制」の確立への動きを、その前からの黒船来航から、不平等条約、西洋列強と清の没落、そして立憲、自由民権運動の歴史を詳しく分析することは当然ながら丸山の仕事でもあったわけだ。しかしそれと同時にそれ以上に丸山自らのこうした仕事振りやその立ち位置への思索までが、ここでは歴史的な分析の対象となっているのである。
「戦後レジーム」のなかでマルキズム的な思考が家庭内でも重要な進歩的思考として - 戦後の朝日新聞の立場と同じくする -、その覚醒から過去を容易に批判することも出来たので68年革命となったわけだが、実際には歴史を分析する歴史主義的な立場も欠かす訳にはいかなくなったのは必然であったろう。そうした中で世界中に修正主義といわれる如何にも歴史主義のようなまやかしの衣装を着込んだ実はマルキズムにも通じるイデオロギーに染まった思考態度が台頭してきたのだろう。
参照:
偽善に満ち溢れたこの世 2015-04-20 | 雑感
待たされても感じる温もり 2014-11-13 | マスメディア批評
還元法は十五年も前のこと 2015-05-06 | 試飲百景
負の遺産に向き合う姿勢 2015-05-05 | 歴史・時事
日本人が中共赤軍に感謝したり、原爆投下の問題もあり米軍に開放を感謝したりすることは、流石に特殊な所謂「左巻きの人間」以外にはいないであろう。そうした状況を指して、戦後レジームと呼ぶ輩が少なくないようだが、そうした連中もその特殊な左翼思想の人たちと変わらないぐらい狂信的な人々であろう。
我々後から生まれた者が考えなければいけないのは、そのようなことではないだろう。先日からちらちらと見ている丸山真男集別集第一巻はとても勉強になる。当時の一級の知識人が何を考えたかは、三島由紀夫らが何をしたかなどとは比較にならないほどの意味がある。1946年10月講演内容では、明治維新後の立憲主義の確立を自由民権運動を通して述べられており、そこでは歴史主義と啓蒙思想の相違が明快にされている。
つまり、啓蒙思想では覚醒してしまえばその時点から過去をそのときの視座で批判してしまえるわけで、覚醒していなかった吾を責めるだけでよいのである。しかし歴史主義の立場からすれば、それはその時の思潮や社会情勢があったわけで、その後の覚醒の契機となった事件も発生していない時を前提としての考え方や行動などが評価される。丸山の敗戦を通してのその思索が手にとるように分かる。もちろん研究内容は論文によって知られているものだが、講演のそのときの状況を思い描くととても痛切なのだ。
ここで、敗戦を招いた「明治維新後のアンシャンレジーム体制」の確立への動きを、その前からの黒船来航から、不平等条約、西洋列強と清の没落、そして立憲、自由民権運動の歴史を詳しく分析することは当然ながら丸山の仕事でもあったわけだ。しかしそれと同時にそれ以上に丸山自らのこうした仕事振りやその立ち位置への思索までが、ここでは歴史的な分析の対象となっているのである。
「戦後レジーム」のなかでマルキズム的な思考が家庭内でも重要な進歩的思考として - 戦後の朝日新聞の立場と同じくする -、その覚醒から過去を容易に批判することも出来たので68年革命となったわけだが、実際には歴史を分析する歴史主義的な立場も欠かす訳にはいかなくなったのは必然であったろう。そうした中で世界中に修正主義といわれる如何にも歴史主義のようなまやかしの衣装を着込んだ実はマルキズムにも通じるイデオロギーに染まった思考態度が台頭してきたのだろう。
参照:
偽善に満ち溢れたこの世 2015-04-20 | 雑感
待たされても感じる温もり 2014-11-13 | マスメディア批評
還元法は十五年も前のこと 2015-05-06 | 試飲百景
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