Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

八秒と長めの露光時間

2015-11-07 | 生活
注文した時計が届いた。予想以上に素材などが良い。付属していた電池を入れると直ぐに動き出して、12時を指して止まった。惜しむらくは、短針が少し左寄りで三本の針が真っ直ぐになっていないが、日に二回しかないことだから我慢しよう。

そして、取説を読むと、二三分後にフランクフルトからの電波を捉えて、動き出すことになっている。長短針はとてもスムーズに動くことは確認していたので、秒針がどのように合わせていくのかが気になった。するとどうも0秒で動き出して、そのまま現在時刻まで順調に動いて行った。これほどスムーズに同調する時計は初めてで気分が良かった。そしてティクタク音も、アルミ枠とガラスの中で小さく押さえられていて、高級感がある。丁度Dフラットぐらいだろうか。車でも同じだが、流石にドイツの商品は音作りが上手い。

音無しという製品もある。目覚し時計の方はそれを使っている。これの問題点は何分か毎にまた違う音がすることだろう。寝室のそれは全く気にならなくなったが、壁の方はどのような音になるのだろうか。

時計が無かったとき、何度と壁のその時計があったところを眺めたことか。自分では気が付いていなかったが、階段の上り口や下りて来る時に自動的にそこを見ているのだった。時計が壊れて何もそこにないことは分かっている筈なのだが、ついついそこへと視線が走るのだ。条件反射的な行動なので、特段時間の制約や時間が足りないというようなことでなくても同じように時計を見ているのだ。

問い合わせしていたオペラのティケットの断り状が入っていた。申し込み多数で籤に漏れたというのである。早速、上下のクラスの問い合わせとした。すると下のクラスのオファーが直ぐに入った。天井桟敷の舞台の奥が全く見えない席である。その代りオーケストラピットが斜めに完全に見下ろせる筈だ。この価格帯であの席が取れるとは思わなかった。こうした席は今回のような熱心なお客さんに配られるようになっているのだろう。

これで年四回のペースで出かけることになる。それもキリル・ペトレンコ指揮の公演ばかりで、それ以前のケント・ナガノ監督の時は一度も行っていない。顧客リストを見れば直ぐに分ることで、その配券された座席を見れば、大体の指向が分る。そこで次善の策としての天井桟敷である。もちろんこの価格では最もよい選択であるが、舞台を批評しようと思えば、籤に外れた以上100ユーロ近く支払わなければいけない。それでも今度はピット内が確認できるとは限らない。新曲上演の場合は、作曲家の招待でもない限り普通は楽譜を調達するというようなことは考えられないので、そこで熱心に器楽奏者の演奏ぶりを追いかけることになる。

南極一号乗りを目指したスコットとアムンゼンの素材を、並行する二つのドラマの形で描く舞台となるようだが、シュールレアリズムと呼ぶ舞台で最近流行のプロジェクターの多用になると、この席からではその奥に写されるものは殆ど確認不可能だろう。演出のノイエンフェルツはマルティメディアを多用するとは聞いたことは無いのだが。

今年の「ルル」の初日の際は、予約が遅れても問題無く入手出来たティケットだが、今回は籤引きとなった。やはり指揮者が一挙に脚光を浴びたことで、初日に出向く人が増えたのだろうか。それとも作曲家が、ミュンヘンでは既に舞台芸術畑でも、その実力が定着しているのだろうか。



参照:
時針が外れた万霊節 2015-11-02 | 暦
はじめてのぺこぺこ 2015-10-01 | 雑感
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする