足に雪の疲れが残っていた。大したことはないが一寸した張りが動機付けになる。もう一息と峠を攻めてきた。積雪量が増えていて、確実に10センチほどの積雪となっていた。上から降りてくる車がのろのろしていると思えば先日の犬を探していた小屋のオヤジだった。こちらが通り抜けるのを待っていた。余程下りのブレーキに自信がないのだろう。挨拶して通り過ぎる。歩幅が歩行程にしか伸びない。雪の上で踏み込むよりも轍の堅めのところが楽だった。
喉にも違和感を感じたりしたので慎重だが、これで先週からのノルマに短い一本が足りないだけで来週を迎えれる。要するに短い一本ぐらいは天候さえよければ幾らでも余分に走れる。今晩も足に疲れが残るかもしれないので湯船で温めて就寝しよう。
今日中に燃料を満タンにする。価格は前回ほどで入れられるだろう。まだ少し残っているので、平均すればまあまあだ。エンジンオイルも少し足しておこう。窓洗浄の水も少し足しておこう。次までは少し時間が空くので、先ずは何とか無事に往復したい。
色々と日程などを考えているうちに、早々と2020年のカレンダーを印字した。既にいくつかの日程が書き込まれた。この夏のミュンヘンのオペラの配券作業が始まった。順番に開けていくことは分かっているが、「サロメ」初日に売り切れが出た。二日目から四日目までも変わらない筈だが、まだ作業をしていないということか?同時に「オテロ」も二日とも「マイスタージンガー」は一日のみ売り切れになっている。一般的に初日シリーズの翌年の今回の「オテロ」は人気が高い。双方ともヨーナス・カウフマンという売れっ子が出ることでは変わりないが、その相違は再演の数によるかもしれない。更に昨秋にカウフマン無しで三回公演があったので、その分人気は落ちる。
それでもどのようにこうした売り切れの差が出るのか?一つには初日の場合はプレス席などの非売席も少なくなくその需要も読めているということかもしれない。順々に開けて行って、残っているという他の日も順々に売り切れになるのか、それとも本気でまだ購買希望者を募っているのかはよく分からない。少なくとも、売れ行きは読める筈なのだが、券の種類によって出方が変わるのかもしれない。
数学的に自動で配券してしまうことも可能で、どのように作業をしていくかも、数学的に作業効率を計算できる。弊害になるのは、アナログでの注文でそれを一度デジタル化しないといけないことである。また第一希望第二希望をどのように活かしていくか?若しくは、付随のコメントをどのように活かすのか?アルゴリズムの作成と同じように作業が進んでいる筈だ。
明日のお勉強に久しぶりにレオノーレ三番の楽譜を開けてみた。ペトレンコ指揮の演奏は大変興味深く、管と弦のバランスだけでなく、フルートとオボーエ、ファゴットの関係も金管との関係もとても興味深かった。幾つかYouTube音源で確かめてみる。期待していたメスト指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの2015年の演奏はよくない、そもそもこの組み合わせは相性が悪いようで、ベーム指揮のそれとは比較にならない。これは演奏様式とかではなくて、座付管弦楽団がまともに演奏していない。その他、フルトヴェングラーなどもう少し聞いて確かめてみたいと思う。あの下らない演出のお蔭でこの曲を堪能できるのだけが幸いだ。
Beethoven Leonore Overture No 3 from Fidelio Salzburg 2015
Beethoven: "Leonore" Overture No. 3 / Böhm Wiener Philharmoniker (1977 Movie Japan Live)
Beethoven : Overture Leonora Nº 3 OP. 72a
Beethoven: Leonore Overture no. 3 (Furtwangler)
フルトヴェングラーの演奏を聞くとその正確な譜読みとその指揮に感心する。先に前回の旅で書いていなかったことを記しておく。記憶が錯綜するのも嫌なのと最終公演の後では最初から説明したり後出しのようになるかもしれないので、道中に聞いた録音に絡めて書いておこう。ドナーニ指揮の録音を準備したことは書いたが、結局それが退屈でベーム指揮の方へと移った。そして胸が騒ぐのを感じた。しかし当日の公演では全く異なる演奏となっていて、予想通りドナーニ指揮に近かった。しかしフルトヴェングラーの演奏を聞くと、寧ろこの演奏の方に音楽的な近親性があって、ベームの指揮演奏が、まさしくこの演出でそのドグマティックなものが批判されているそのものナチのイデオロギーに近いかことを改めて確認する。そして今回の演奏の細部とそうして管を軽妙に浮かした演奏法こそが戦後世代のドナーニなどがなせなかった演奏様式で、バレンボイムもこれを羨ましく思うだろう。そしてそのような演出に合した今回の再演だったのだ。この幕開きの最初のセリフからレオノーレ三番の序曲が文字通り今回の再演公演の全てを物語っている。恐らく、ペトレンコ指揮でこの座付管弦楽が最も立派に音楽芸術的に演奏した序曲だった。
参照:
飛ぶ鳥跡を濁さずの美 2019-01-25 | 音
残り二新制作作品のみ 2019-02-01 | 雑感
喉にも違和感を感じたりしたので慎重だが、これで先週からのノルマに短い一本が足りないだけで来週を迎えれる。要するに短い一本ぐらいは天候さえよければ幾らでも余分に走れる。今晩も足に疲れが残るかもしれないので湯船で温めて就寝しよう。
今日中に燃料を満タンにする。価格は前回ほどで入れられるだろう。まだ少し残っているので、平均すればまあまあだ。エンジンオイルも少し足しておこう。窓洗浄の水も少し足しておこう。次までは少し時間が空くので、先ずは何とか無事に往復したい。
色々と日程などを考えているうちに、早々と2020年のカレンダーを印字した。既にいくつかの日程が書き込まれた。この夏のミュンヘンのオペラの配券作業が始まった。順番に開けていくことは分かっているが、「サロメ」初日に売り切れが出た。二日目から四日目までも変わらない筈だが、まだ作業をしていないということか?同時に「オテロ」も二日とも「マイスタージンガー」は一日のみ売り切れになっている。一般的に初日シリーズの翌年の今回の「オテロ」は人気が高い。双方ともヨーナス・カウフマンという売れっ子が出ることでは変わりないが、その相違は再演の数によるかもしれない。更に昨秋にカウフマン無しで三回公演があったので、その分人気は落ちる。
それでもどのようにこうした売り切れの差が出るのか?一つには初日の場合はプレス席などの非売席も少なくなくその需要も読めているということかもしれない。順々に開けて行って、残っているという他の日も順々に売り切れになるのか、それとも本気でまだ購買希望者を募っているのかはよく分からない。少なくとも、売れ行きは読める筈なのだが、券の種類によって出方が変わるのかもしれない。
数学的に自動で配券してしまうことも可能で、どのように作業をしていくかも、数学的に作業効率を計算できる。弊害になるのは、アナログでの注文でそれを一度デジタル化しないといけないことである。また第一希望第二希望をどのように活かしていくか?若しくは、付随のコメントをどのように活かすのか?アルゴリズムの作成と同じように作業が進んでいる筈だ。
明日のお勉強に久しぶりにレオノーレ三番の楽譜を開けてみた。ペトレンコ指揮の演奏は大変興味深く、管と弦のバランスだけでなく、フルートとオボーエ、ファゴットの関係も金管との関係もとても興味深かった。幾つかYouTube音源で確かめてみる。期待していたメスト指揮のヴィーナーフィルハーモニカーの2015年の演奏はよくない、そもそもこの組み合わせは相性が悪いようで、ベーム指揮のそれとは比較にならない。これは演奏様式とかではなくて、座付管弦楽団がまともに演奏していない。その他、フルトヴェングラーなどもう少し聞いて確かめてみたいと思う。あの下らない演出のお蔭でこの曲を堪能できるのだけが幸いだ。
Beethoven Leonore Overture No 3 from Fidelio Salzburg 2015
Beethoven: "Leonore" Overture No. 3 / Böhm Wiener Philharmoniker (1977 Movie Japan Live)
Beethoven : Overture Leonora Nº 3 OP. 72a
Beethoven: Leonore Overture no. 3 (Furtwangler)
フルトヴェングラーの演奏を聞くとその正確な譜読みとその指揮に感心する。先に前回の旅で書いていなかったことを記しておく。記憶が錯綜するのも嫌なのと最終公演の後では最初から説明したり後出しのようになるかもしれないので、道中に聞いた録音に絡めて書いておこう。ドナーニ指揮の録音を準備したことは書いたが、結局それが退屈でベーム指揮の方へと移った。そして胸が騒ぐのを感じた。しかし当日の公演では全く異なる演奏となっていて、予想通りドナーニ指揮に近かった。しかしフルトヴェングラーの演奏を聞くと、寧ろこの演奏の方に音楽的な近親性があって、ベームの指揮演奏が、まさしくこの演出でそのドグマティックなものが批判されているそのものナチのイデオロギーに近いかことを改めて確認する。そして今回の演奏の細部とそうして管を軽妙に浮かした演奏法こそが戦後世代のドナーニなどがなせなかった演奏様式で、バレンボイムもこれを羨ましく思うだろう。そしてそのような演出に合した今回の再演だったのだ。この幕開きの最初のセリフからレオノーレ三番の序曲が文字通り今回の再演公演の全てを物語っている。恐らく、ペトレンコ指揮でこの座付管弦楽が最も立派に音楽芸術的に演奏した序曲だった。
参照:
飛ぶ鳥跡を濁さずの美 2019-01-25 | 音
残り二新制作作品のみ 2019-02-01 | 雑感