靴紐を直した靴で走った。締りが強過ぎて厳しかったが走っているうちに緩んできたようだ。それでもハードテューニングには遠い。応急処置には変わらない。週明けからまた冷えて、喉ががらがらしてきた。先週の散髪も堪える。それでも陽射しがあったので苦しみながらもぼちぼちと走ってきた。運動をしなければ熱が出ていたかもしれないが、久しぶりに汗を十分に掻いた。それだけで満足だ。
明け方悪い夢を見た。気になっているここ数か月音沙汰の無い女性のことだ。病で倒れてどうなっているかとても心配しているのだが、夢では何処からかその消息を知って、連絡をすると第二子を出産して他所の街で暮らしているということだった。勿論私はそのような思いがけない無礼に落胆するのだが、なによりも健康だと知って、恨み交じりに泣き笑いするのである ― まるで藤山寛美の泣き笑いの松竹新喜劇である。恨み節も収まらずワンワンと泣きながら幕が閉まって、目が覚めた。未明から色々と忙しがったので二度寝も叶わずパン屋に出かけたのだった。
ベルリンの放送交響団が日本公演に出かける。最も由緒のある放送交響楽団だが我々西側の人間は壁の向こうのことであまり馴染みがなく、壁が崩壊してからも何となく胡散臭かった。更に先ごろまではポーランド人かドイツ人か東側の人間か何かわからないようなヤノウスキー爺さんが監督をしていて更に胡散臭くなっていた。そしてそれ以上に胡散臭いウラディーミル・ユロフスキーというユダヤ系ロシア人二世指揮者が監督になった。しかしこの指揮者はミュンヘンのペトレンコの後任に決まっていて、とても感心が高まった。またこの人の楽団のスポンサーにNABU野鳥の会がなるようにバードウォッチングばかりしていそうな人物なのだ。その人が「アルペンシンフォニー」について語り指揮するのだから、たとえ平地のベルリンの人でも興味を持つだろう。またその説明がいい。夜明けから日没までのそれを人生の始まりと終わりだとこの指揮者は理解して、描かれる登山シーンはアレゴリーだと言い切る。勿論風呂場のリヒャルト・シュトラウス演奏になる訳がない。来週の金曜日の放送が楽しみになった。通の音楽ファンは、ミュンヘンの放送管弦楽団などを聴いている暇はないのである。そして前半にはNABUが委嘱したらしい鳥の囀りの音楽が演奏される。二日後の日曜日には日本ツアーの練習を兼ねて諏訪内晶子のソロでブラームスが前半に演奏されるようだ。それは仕方ないとしてもプログラムとしての値打ちは大分下がる、更に日本公演では旅費を節約するのは仕方がないがアルプス交響曲は取り払われ惨憺たるプログラムが並んでいる。
Vladimir Jurowski über die "Alpensinfonie" von Richard Strauss
フランスからの二日続けての放送は価値があった。日曜日は「オテロ」全曲、月曜日はベルリンでの「フィルハーモニカーシーズンオープニングコンサート」で、双方とも録音録画等を所持している。だからその内容は重々知っている。それどころか実演を含めて何種類もの演奏を知っている。それでも生中継以降初めて聴く放送であった。価値があったのは、前者の生録音のストリーミング放送に入っていた雑音が無いことと、後者のラディオ生放送録音を音飛びさせてしまったからで、改めて聴いて録音する価値があった。
先ず前者は、生放送時よりも、いつものように音響上のバランスが整っていてとても安心して聞けた。要するに音響的な新鮮感よりも音楽的な結実にゆっくりと耳を傾けられた。更に生放送ではオンタイムで休憩が入るが、殆ど続けざまで放送されたことで、とてもコムパクトであり、出来上がり感が気持ちよかった。毎度のことであるがペトレンコ指揮の初日は緊張などもあり管弦楽団が上手に演奏できないことが多く、いつも物足りなさも感じるのだが、年数が経って聴き直すとその完成度の高さに驚くことが殆どである。それ程日間隔があいていないが、11月末の初日のその程度の高さを改めて確認することになった。そして疑心暗鬼だったフランスからのストリーミングも僅かな音抜けの中断はあったが、概ね高品質で音量を上げると可成りの音場を感じることだが出来た。
OTELLO: Trailer | conducted by Kirill Petrenko
OTELLO: Video magazine
後者のコンサートの方も、アナウンス通りに、最初の「ドンジュアン」からして聴きごたえがある。後の演奏からすると始まりはとても不安定で上手く行っていなかったが、手元にある生中継録音の音飛びが無いので落ち着いて評価可能となった。そしてその録音自体は、生中継のバランスからするとどうもミキシングが変えられているようで、遥かに興味深い音が聞ける。この日の演奏はデジタルコンサートホールで映像が見れるのだが、やはりこのラディオ放送のミキシングは大変完成度が高い。恐らく、DCHのアーカイヴは生放送時のオーディオを必要な所だけ編集してあるのだろうが、こちらはバランスが異なるように感じる。
Strauss: Don Juan / Petrenko · Berliner Philharmoniker
Beethoven: Symphony No. 7 / Petrenko · Berliner Philharmoniker
参照:
放送管弦楽団あれこれ 2019-02-09 | 雑感
花火を打ち上げる奴 2019-01-01 | 暦
明け方悪い夢を見た。気になっているここ数か月音沙汰の無い女性のことだ。病で倒れてどうなっているかとても心配しているのだが、夢では何処からかその消息を知って、連絡をすると第二子を出産して他所の街で暮らしているということだった。勿論私はそのような思いがけない無礼に落胆するのだが、なによりも健康だと知って、恨み交じりに泣き笑いするのである ― まるで藤山寛美の泣き笑いの松竹新喜劇である。恨み節も収まらずワンワンと泣きながら幕が閉まって、目が覚めた。未明から色々と忙しがったので二度寝も叶わずパン屋に出かけたのだった。
ベルリンの放送交響団が日本公演に出かける。最も由緒のある放送交響楽団だが我々西側の人間は壁の向こうのことであまり馴染みがなく、壁が崩壊してからも何となく胡散臭かった。更に先ごろまではポーランド人かドイツ人か東側の人間か何かわからないようなヤノウスキー爺さんが監督をしていて更に胡散臭くなっていた。そしてそれ以上に胡散臭いウラディーミル・ユロフスキーというユダヤ系ロシア人二世指揮者が監督になった。しかしこの指揮者はミュンヘンのペトレンコの後任に決まっていて、とても感心が高まった。またこの人の楽団のスポンサーにNABU野鳥の会がなるようにバードウォッチングばかりしていそうな人物なのだ。その人が「アルペンシンフォニー」について語り指揮するのだから、たとえ平地のベルリンの人でも興味を持つだろう。またその説明がいい。夜明けから日没までのそれを人生の始まりと終わりだとこの指揮者は理解して、描かれる登山シーンはアレゴリーだと言い切る。勿論風呂場のリヒャルト・シュトラウス演奏になる訳がない。来週の金曜日の放送が楽しみになった。通の音楽ファンは、ミュンヘンの放送管弦楽団などを聴いている暇はないのである。そして前半にはNABUが委嘱したらしい鳥の囀りの音楽が演奏される。二日後の日曜日には日本ツアーの練習を兼ねて諏訪内晶子のソロでブラームスが前半に演奏されるようだ。それは仕方ないとしてもプログラムとしての値打ちは大分下がる、更に日本公演では旅費を節約するのは仕方がないがアルプス交響曲は取り払われ惨憺たるプログラムが並んでいる。
Vladimir Jurowski über die "Alpensinfonie" von Richard Strauss
フランスからの二日続けての放送は価値があった。日曜日は「オテロ」全曲、月曜日はベルリンでの「フィルハーモニカーシーズンオープニングコンサート」で、双方とも録音録画等を所持している。だからその内容は重々知っている。それどころか実演を含めて何種類もの演奏を知っている。それでも生中継以降初めて聴く放送であった。価値があったのは、前者の生録音のストリーミング放送に入っていた雑音が無いことと、後者のラディオ生放送録音を音飛びさせてしまったからで、改めて聴いて録音する価値があった。
先ず前者は、生放送時よりも、いつものように音響上のバランスが整っていてとても安心して聞けた。要するに音響的な新鮮感よりも音楽的な結実にゆっくりと耳を傾けられた。更に生放送ではオンタイムで休憩が入るが、殆ど続けざまで放送されたことで、とてもコムパクトであり、出来上がり感が気持ちよかった。毎度のことであるがペトレンコ指揮の初日は緊張などもあり管弦楽団が上手に演奏できないことが多く、いつも物足りなさも感じるのだが、年数が経って聴き直すとその完成度の高さに驚くことが殆どである。それ程日間隔があいていないが、11月末の初日のその程度の高さを改めて確認することになった。そして疑心暗鬼だったフランスからのストリーミングも僅かな音抜けの中断はあったが、概ね高品質で音量を上げると可成りの音場を感じることだが出来た。
OTELLO: Trailer | conducted by Kirill Petrenko
OTELLO: Video magazine
後者のコンサートの方も、アナウンス通りに、最初の「ドンジュアン」からして聴きごたえがある。後の演奏からすると始まりはとても不安定で上手く行っていなかったが、手元にある生中継録音の音飛びが無いので落ち着いて評価可能となった。そしてその録音自体は、生中継のバランスからするとどうもミキシングが変えられているようで、遥かに興味深い音が聞ける。この日の演奏はデジタルコンサートホールで映像が見れるのだが、やはりこのラディオ放送のミキシングは大変完成度が高い。恐らく、DCHのアーカイヴは生放送時のオーディオを必要な所だけ編集してあるのだろうが、こちらはバランスが異なるように感じる。
Strauss: Don Juan / Petrenko · Berliner Philharmoniker
Beethoven: Symphony No. 7 / Petrenko · Berliner Philharmoniker
参照:
放送管弦楽団あれこれ 2019-02-09 | 雑感
花火を打ち上げる奴 2019-01-01 | 暦