パン屋から出てくると地元の公安局の人が話しかけてきた。店の前の歩道には乗り上げるなということで、やはり地元の人から苦情が出たのだろう。道路を狭めて駐車するということになる。それ以上に放射冷却の通り、バイオウェザーの影響で15分ほどの乗車時間に五回ほど事故が起こりそうになった。どれも皆が意気っていて不注意と陽射しの強さに集中力が無くなっている状態だった。さぞかし今日は事故多発しているに違いない。このような日は運転しないに限る。皆が狂っているので避けようがない。
バーデンバーデンの新支配人スタムパへのインタヴュー記事がバーデンの新聞に出ている。そろそろ徐々に語り始めないとプログラム発表になってしまう。幾つかの点で興味ある発言をしている。先ず個人的な音楽の繋がりとしてベートーヴェンのLPに言及していて、リヒテルにクルト・ザンデリンクが付けた三番ハ短調の協奏曲だ。これだけではなんら意味はなさないが、偶然にもランランが弾いて初共演のペトレンコが振る予定だった曲だ。偶然かもしれないが、更に重要な発言をしている。
「演奏者を含む芸術家との対話に尽くしていて、私たちはバーデンバーデンではベルリナーフィルハーモニカーと協調が大変幸運だ。オペラ界からの人とペトレンコがフィルハーモニカーを率いることになる。内容的に何をするかについてはキリルと私の間で高度な一致を見ている。」と話す。
これはどのように読もうが可成り立ち入った言い方をしている。先ず呼び捨てしていることからも当然ながら今までの準備期間で二ケタ回は会談若しくは打ち合わせをしているということだろう。もう一つ注目したいのは、オペラ界からの人がフィルハーモニカーにも影響を及ぼすような言い方だ。勿論演出家である訳だろうが、そこまで立ち入る演出家って誰だろう?クリーゲンブルクならばそこまでは前に出ない。管弦楽にまで影響を与えそうな演出家は?確かに論外としてもミュンヘンの「フィデリオ」の演出も可成り音楽に影響を与えるものだ。そして歌手からのフィードバックも受けているような話しぶりとすると、私が知る限りクラウス・グートぐらいしか思い浮かばない。彼の演出は、表面上は穏やかそうだが、実際は音楽的にもかなり影響するだろう。
しかし質問は、「歴史的上演若しくはレジーテアター、名作オペラそれとも新作?」で、それには直接答えずに上のように反応している。勿論芸術家には作曲家や作詞家も含まれるが、そこに演出家らしきが入るとなると全く答えにならない。初めからリームの新作などということは今までのこの復活祭からしてありえないので、レジーテアターの方へ傾倒するということだろう。そこで昨年のペトレンコのインタヴューを思い出そう。
そこでペトレンコは演出に合わせた演奏にも言及していて、可能性があるならば自身で何時かやってみたい気持ちがあることも語っていた。謂わば既にプロジェクトが動いていて大物演出家と対話があったとみるのが自然ではなかろうか?スタムパの方は今シーズンから浪人をしていて実際には、今までコンタクトの薄かったオペラ界の人材とコンタクトを取り始めていた筈だ。
その次の質問「ドルトムントの聴衆はバーデンバーデンとは違う訳で、考えを転換させなければいけないか?」に、「ここの方が多様性が拡大して、どのように聴衆に語り掛けるべきかが問われている」として「どのプログラムで」と答える。「その遺伝子が助けになり、音楽家を引き寄せるように聴衆をも引き寄せるバーデンバーデン。」となる。
もうここまで聞けば、前任者とは知的程度も全く異なるのは分かるのだが、実際にどのような判断を下してくるかは分からない。そもそも前任者は同じ知能程度の指揮者に推されるような支配人だったが金儲けは上手かった。だからそのゲルギーエフの貢献はここでも評価していて、これも私と同じだ。
もしここに示唆されているベートーヴェンの「フィデリオ」を入れてみると、グート演出なら丁度いい具合に新しく尚且つ名作を上演出来る。気になるのは、ミュンヘンが今シーズンの「フィデリオ」最終公演として、先があるかのように書き加えたことで、そうなると誰が指揮しても主役二人はミュンヘンに留まることになる。復活祭には三年前にバーデンバーデンでも歌ったようにマルリス・ペーターセンのレオノーレはどうだろうか?可成り画期的な上演になる。さてどうなるか?
Ludwig van Beethoven “Leonore” (Marlis Petersen & René Jacobs • Freiburger Barockorchester)
参照:
Interview mit Benedikt Stampa: Exklusiv, ja. Elitär, nein!, Badische Neueste Nachrichten vom 4.2.2019
都市文化を再考する 2019-02-05 | 文化一般
邪魔になるZDFクルー 2018-11-07 | 文化一般
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音
バーデンバーデンの新支配人スタムパへのインタヴュー記事がバーデンの新聞に出ている。そろそろ徐々に語り始めないとプログラム発表になってしまう。幾つかの点で興味ある発言をしている。先ず個人的な音楽の繋がりとしてベートーヴェンのLPに言及していて、リヒテルにクルト・ザンデリンクが付けた三番ハ短調の協奏曲だ。これだけではなんら意味はなさないが、偶然にもランランが弾いて初共演のペトレンコが振る予定だった曲だ。偶然かもしれないが、更に重要な発言をしている。
「演奏者を含む芸術家との対話に尽くしていて、私たちはバーデンバーデンではベルリナーフィルハーモニカーと協調が大変幸運だ。オペラ界からの人とペトレンコがフィルハーモニカーを率いることになる。内容的に何をするかについてはキリルと私の間で高度な一致を見ている。」と話す。
これはどのように読もうが可成り立ち入った言い方をしている。先ず呼び捨てしていることからも当然ながら今までの準備期間で二ケタ回は会談若しくは打ち合わせをしているということだろう。もう一つ注目したいのは、オペラ界からの人がフィルハーモニカーにも影響を及ぼすような言い方だ。勿論演出家である訳だろうが、そこまで立ち入る演出家って誰だろう?クリーゲンブルクならばそこまでは前に出ない。管弦楽にまで影響を与えそうな演出家は?確かに論外としてもミュンヘンの「フィデリオ」の演出も可成り音楽に影響を与えるものだ。そして歌手からのフィードバックも受けているような話しぶりとすると、私が知る限りクラウス・グートぐらいしか思い浮かばない。彼の演出は、表面上は穏やかそうだが、実際は音楽的にもかなり影響するだろう。
しかし質問は、「歴史的上演若しくはレジーテアター、名作オペラそれとも新作?」で、それには直接答えずに上のように反応している。勿論芸術家には作曲家や作詞家も含まれるが、そこに演出家らしきが入るとなると全く答えにならない。初めからリームの新作などということは今までのこの復活祭からしてありえないので、レジーテアターの方へ傾倒するということだろう。そこで昨年のペトレンコのインタヴューを思い出そう。
そこでペトレンコは演出に合わせた演奏にも言及していて、可能性があるならば自身で何時かやってみたい気持ちがあることも語っていた。謂わば既にプロジェクトが動いていて大物演出家と対話があったとみるのが自然ではなかろうか?スタムパの方は今シーズンから浪人をしていて実際には、今までコンタクトの薄かったオペラ界の人材とコンタクトを取り始めていた筈だ。
その次の質問「ドルトムントの聴衆はバーデンバーデンとは違う訳で、考えを転換させなければいけないか?」に、「ここの方が多様性が拡大して、どのように聴衆に語り掛けるべきかが問われている」として「どのプログラムで」と答える。「その遺伝子が助けになり、音楽家を引き寄せるように聴衆をも引き寄せるバーデンバーデン。」となる。
もうここまで聞けば、前任者とは知的程度も全く異なるのは分かるのだが、実際にどのような判断を下してくるかは分からない。そもそも前任者は同じ知能程度の指揮者に推されるような支配人だったが金儲けは上手かった。だからそのゲルギーエフの貢献はここでも評価していて、これも私と同じだ。
もしここに示唆されているベートーヴェンの「フィデリオ」を入れてみると、グート演出なら丁度いい具合に新しく尚且つ名作を上演出来る。気になるのは、ミュンヘンが今シーズンの「フィデリオ」最終公演として、先があるかのように書き加えたことで、そうなると誰が指揮しても主役二人はミュンヘンに留まることになる。復活祭には三年前にバーデンバーデンでも歌ったようにマルリス・ペーターセンのレオノーレはどうだろうか?可成り画期的な上演になる。さてどうなるか?
Ludwig van Beethoven “Leonore” (Marlis Petersen & René Jacobs • Freiburger Barockorchester)
参照:
Interview mit Benedikt Stampa: Exklusiv, ja. Elitär, nein!, Badische Neueste Nachrichten vom 4.2.2019
都市文化を再考する 2019-02-05 | 文化一般
邪魔になるZDFクルー 2018-11-07 | 文化一般
アイゼナッハの谷からの風景 2017-07-17 | 音