日本からの呟きを見ていたら消去されていた。理由は法律に抵触するのでドイツでアカウントが消去されたというものだ。内容はそれ程のものではなかったと思うが、アカウント名からしてクライズライターと恐らくナチか東独の社会統一党でしか使われない言葉を名乗っており、そのアイコンを見るとなんと総統らしき写真が載っている。勿論ドイツ国内では禁止どころか訴追されかねないが、更に怖いのはユダヤ人組織である。日本でも有名になったヴィーゼンタールセンターなどを筆頭にそれこそモサドまでが世界中に網を張っている。マンの「ファウストュス博士」の人物像ではないが呵責容赦ない追求である ― 私のような横着な人間でも確認したが敢えて写真の部分は消す。そんなものを晒しても誰も喜ばない。
そもそもその手の連中が何を呟こうが無知を曝け出しているようなもので耳を傾けるに値しないのだが、無知が無知を呼ぶような構造がSNSの世界で、ホワイトハウスからの呟きが最もその頂点にいるかと思うと殆ど正夢だろうかと頬を抓らなければいけない。それにしてもそもそもああしたカウント名を付けて何を主張したいのだろうか?タブー破りの面白さなのか、ちっとも面白くないのである。とても趣味が悪く幼稚なだけである。誰も見たくはない。要するに黒いコートを羽織った露出狂のオヤジと変わらない。
特に芸術、更に音楽関連などになるとユダヤ系の人の活躍無しには一流の催し物は成り立たない。何が言いたいかと言えば、無関係であるからなどと言えるのは余程の鎖国された島国の人か孤立している人なのだが、そういう人種に限ってこうした無配慮な言動が目立つのである。所謂スピナーと呼ばれる人種だろうか。
先日車中のラディオで、シナのドイツ企業買占めの話しが出ていた。ドイツ工業協会理事の声明だと思ったが、同時に本国の景気の鈍化からそもそも買占め数が減ってきているというのである。恐らくその方が正しいのだろうが、そもそも生産拠点や貿易の問題ではなく、技術への興味から盛んな買占めに走っていた訳だから、技術さえ移転してしまえばあとはお払い箱である。そうしたことから寧ろ社会的にはシナへのアレルギーはまだ今後広がるのではなかろうか。
先日のヴァイオリニストのカプサンではないが反応が思わぬところから来ると、どうしようかなと思っているストリーミングプログラムも紹介した責任で聴かなければと思うことが少なくない。メトからの中継は、「青髭」と「イランタ」を組み合わせたプログラムで、最初に後者を未知のソニア・ヨンツェヴァの歌で聴きたかった。四月には一月のメトに続いてバーデンバーデンでデズデモーナを歌うからだ。そもそもMeTooガッティ指揮だから券を購入していなかったが、メータ指揮で歌うことになり興味津々だ。それもチャイコフスキーのオペラとなると嘗て大屋政子プロデュースで食中り状態のロシアオペラをこの辺りで正常に戻したいのだ。メトデビューの指揮者は先ごろまでペトレンコの後々任としてコーミッシェオパーで振っていたナナーシという名のある人だ。勿論この二作品の組み合わせと後半の「青髭」をフィンレーが歌うとなっては外せない生中継である。そのように紹介したら本番前にフィンレーがいいねをしてきた。もう殆ど私の呟きのファンではないかと思わせる。番組は風邪気味とアナウンスのあったヨンツェヴァなどで無事始まって、それを聴いて録音する価値はあったと喜んでいると、休憩時間にそのフィンレーとイディト役のドイツ人のデノーケという歌手が出てきていた。
私などはメトからの中継もNHKで殆ど聞いたことが無く、今のようなこのライヴ感覚は夢のようにしか思えない。それだけでなく実際にインターアクティヴな関係が築かれるとすれば、考え方を変えなければ話しにならなくなってきている。なるほど日本などの地理的にも島国にいることからすればニューヨークは一寸異なるのかもしれないが、ここからすれば海の向こう側で時差六時間はそれほど遠くはない。
そして「青髭」の管弦楽が良く鳴っていて、指揮者の実力もあるのかもしれないが驚くほどである。なるほど監督のネゼサガンが振ればこれぐらいはと思うが、これだけ座付楽団が鳴らせるところは無いと思った。やはり監督が言うようにメトが世界一の座付で、フラデルフィアは世界一の管弦楽団というのもそれほど間違ってはいない。そしてお待ちかねのフィンレーの歌はハンガリー語のニュアンスは評価できないがとても良かった。所謂銭をとれる歌手で、まだまだキャリアーも相当するギャラも上るかもしれない。そして相手役も全然悪くはなかった。この辺りがメトの実力でそれが次から次への演目でそれぐらいの歌手が続いている。ロンドンのコヴェントガーデン劇場とは違うのは当たり前かもしれないが、これがオペラの殿堂だ。
参照:
「ナチは出て行け」の呟き 2019-02-07 | マスメディア批評
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事
そもそもその手の連中が何を呟こうが無知を曝け出しているようなもので耳を傾けるに値しないのだが、無知が無知を呼ぶような構造がSNSの世界で、ホワイトハウスからの呟きが最もその頂点にいるかと思うと殆ど正夢だろうかと頬を抓らなければいけない。それにしてもそもそもああしたカウント名を付けて何を主張したいのだろうか?タブー破りの面白さなのか、ちっとも面白くないのである。とても趣味が悪く幼稚なだけである。誰も見たくはない。要するに黒いコートを羽織った露出狂のオヤジと変わらない。
特に芸術、更に音楽関連などになるとユダヤ系の人の活躍無しには一流の催し物は成り立たない。何が言いたいかと言えば、無関係であるからなどと言えるのは余程の鎖国された島国の人か孤立している人なのだが、そういう人種に限ってこうした無配慮な言動が目立つのである。所謂スピナーと呼ばれる人種だろうか。
先日車中のラディオで、シナのドイツ企業買占めの話しが出ていた。ドイツ工業協会理事の声明だと思ったが、同時に本国の景気の鈍化からそもそも買占め数が減ってきているというのである。恐らくその方が正しいのだろうが、そもそも生産拠点や貿易の問題ではなく、技術への興味から盛んな買占めに走っていた訳だから、技術さえ移転してしまえばあとはお払い箱である。そうしたことから寧ろ社会的にはシナへのアレルギーはまだ今後広がるのではなかろうか。
先日のヴァイオリニストのカプサンではないが反応が思わぬところから来ると、どうしようかなと思っているストリーミングプログラムも紹介した責任で聴かなければと思うことが少なくない。メトからの中継は、「青髭」と「イランタ」を組み合わせたプログラムで、最初に後者を未知のソニア・ヨンツェヴァの歌で聴きたかった。四月には一月のメトに続いてバーデンバーデンでデズデモーナを歌うからだ。そもそもMeTooガッティ指揮だから券を購入していなかったが、メータ指揮で歌うことになり興味津々だ。それもチャイコフスキーのオペラとなると嘗て大屋政子プロデュースで食中り状態のロシアオペラをこの辺りで正常に戻したいのだ。メトデビューの指揮者は先ごろまでペトレンコの後々任としてコーミッシェオパーで振っていたナナーシという名のある人だ。勿論この二作品の組み合わせと後半の「青髭」をフィンレーが歌うとなっては外せない生中継である。そのように紹介したら本番前にフィンレーがいいねをしてきた。もう殆ど私の呟きのファンではないかと思わせる。番組は風邪気味とアナウンスのあったヨンツェヴァなどで無事始まって、それを聴いて録音する価値はあったと喜んでいると、休憩時間にそのフィンレーとイディト役のドイツ人のデノーケという歌手が出てきていた。
私などはメトからの中継もNHKで殆ど聞いたことが無く、今のようなこのライヴ感覚は夢のようにしか思えない。それだけでなく実際にインターアクティヴな関係が築かれるとすれば、考え方を変えなければ話しにならなくなってきている。なるほど日本などの地理的にも島国にいることからすればニューヨークは一寸異なるのかもしれないが、ここからすれば海の向こう側で時差六時間はそれほど遠くはない。
そして「青髭」の管弦楽が良く鳴っていて、指揮者の実力もあるのかもしれないが驚くほどである。なるほど監督のネゼサガンが振ればこれぐらいはと思うが、これだけ座付楽団が鳴らせるところは無いと思った。やはり監督が言うようにメトが世界一の座付で、フラデルフィアは世界一の管弦楽団というのもそれほど間違ってはいない。そしてお待ちかねのフィンレーの歌はハンガリー語のニュアンスは評価できないがとても良かった。所謂銭をとれる歌手で、まだまだキャリアーも相当するギャラも上るかもしれない。そして相手役も全然悪くはなかった。この辺りがメトの実力でそれが次から次への演目でそれぐらいの歌手が続いている。ロンドンのコヴェントガーデン劇場とは違うのは当たり前かもしれないが、これがオペラの殿堂だ。
参照:
「ナチは出て行け」の呟き 2019-02-07 | マスメディア批評
Go home & never come back! 2017-08-24 | 歴史・時事