ミュンヘンからの帰路は早かった。街を出るのに再び遠回りした。ナヴィに打ち込んでおかないと駄目だ。それが無ければ久しぶりに三時間を割ったと思う。途中飯を頬張ったりお茶を入れたり、室内灯を点けて走行車線をゆっくり走り、コップを助手席の奥から拾うのに苦労したり、セーターを着たりでくつろぎ走行だったが、なぜか平均速度は110㎞を超えていた。嘗てザルツブルクからの帰りに時速140㎞を出して500㎞を四時間以内で帰宅したことがあった。しかし最近は交通量が違って夜中でもあまり飛ばせない。しかし久しぶりの土曜日の夜はトラックがない分空いている。冬タイヤの制限があってもしばらくは時速210㎞で巡航を何回か出来た。それでも燃費もそれほど落ちなかった。やはり空いているのが一番で、そして省エネ走法をここ暫くミュンヘン往復で練習してきたので、新車を買えばもっと早く走れる筈だ。先数キロの道路状況と制限速度を予め情報入力して、ハイテクハイビームを加え、新しい眼鏡を買えば間違いなく帰宅が早くなる。
なによりも今回は零時過ぎ頃の降雪が予想されて、それも二三時間予想よりも遅れたことから、無風の乾いた中を快走した。それでも予定通りチューリッヒの方に向かっていたら大変なことになっていたかもしれない。ルイージが降りてくれたお蔭である。35フランぐらいの寄付はどうでもよい。イタリア人指揮者は、亡きアバドを含めて、今後ともあまり信用しないようにしたい。お勉強代である。その点ムーティは結構堅いなと思う。
今回はカーテンコールに最後までいたので車を出したのは21時20分前だった。バイバイの後でももう一度引き出し、回数も多く「タンホイザー」に次いで長かった。昨年の冬の「指輪」はお誕生日式典があったので長かったが、繰り返しの数は少なく、今回は「タンホイザー」の時よりも残った人が多かった。特に淡白な平土間席も多く、その時点で後の回数は、会場の係りの人と同様に、略予想が付いた。結構頑張っていたのはバルコンの上あたりで、通常はあまり数がないが、おばさんが固まっていたのでカウフマンファンかとも思ったがそうでもなかったようで、ご本人の視線もあまりそちらには向いていなかったようだ。天井桟敷は数人の根暗の若目の男性や結構年配の女性も粘っていた。出し物の「フィデリオ」も新制作の初日シリーズではないので客層も少し違ったかなと思った。初日シリーズに比べて少なくともペトレンコ指揮のそれにはあまり慣れていない人もいるようで、あれだけ出てくるのを知らなかったような人が戻っても来ていた。
斜め後ろには27日の券を公式サイトで買って貰って、更にバレーの券まで買い上げて貰ったおばさんがいた。休憩中に若い女性と話していた時に捕まえて再会の挨拶をした。妹さんが券を使って感動していたということで、「初日からまた練ってきていてよかった」と話した。バレーも本当に喜んでいた。88ユーロの席を20ユーロならば、それは価値があっただろう。一寸した「テアターゲマインデ」である。流石にミュンヘンは、詰まらないところで声を上げる爺さんもいれば、やはりその層が分厚い。当日も娘さんを連れた親子連れもいて、新制作シリーズとは異なる普段着の聴衆も多かった。
マフラーを取りに行った通用口の窓口でも確か劇場で見たようなおばさんがいた。東欧系の人の様だったが楽師さんの関係かで券を取りに来ていたようだがすんなりと行かないようだった。あれだけの層が厚くて人数がいても何となく見かけたような人が増えてきた。これも平素の再演だからだろうか。マンハイムなどの雰囲気を知っていると本当に羨ましく思う。中からは舞台でも挨拶するアーティストマネージャーの女性も出てきた。あれが都市文化だ。世界に誇るだけでなくて、その文化都市の中での芸術的な営みが違う。バッハラー支配人が語るように、「そのもの」を求めて訪れる聴衆の文化共同体である。
会場係のオヤジさんが、この人ともなにかを話した覚えがあるのだが思い出せない、車いすの婆さんの場所を確保するために特別に動いていたが、「ヨーナス・カウフマンを聴きに来ましたか」と婆さんに話しかけて、「僕も聴いたけど、良かったよ」と語るのだ。ああいう人が結構詳しいのだ。そして初日シリーズには王家もやってくる。劇場の前にはプロの物乞いも時々機嫌よさそうに話しかけてくる。
近代劇場文化も都市文化の一つであり、恐らく食文化などもそうだろう。以前は高級コンディトライやデリカテッセェンなども消費文化の一つでしかないと思っていたが、少し違う面も見えてきた。いつものようにダルマイーアでトルテを購入しようとしていると、いかにも外国人労働者風の痩躯の中年男性と八歳ぐらいの娘がガラス越しにトルテを眺めていた。どれにしようかと選んでいるのだ ― それがまたあの有名なユダヤ人収容所映画La vita è bellaの主役のお父さん似なのだ。その外見だけでなにか心打たれるのだが、どうぞ先にと待とうとすると、「先にどうぞ」とこちらに譲る。娘にゆっくりと選ばせたいのだ。そしてこちらの勘定が済む頃にもう一人の店員が対応するのを見ていた。なぜか「ナッツがそのまま入っているのか」に拘っていた。店員は「クリームですよ」と答えた。なぜかなと思って様子を窺がっているとそのロベルト・ベニーニと再び眼が合った。「やっぱりほら歯に、分かりますよ」と想像して話しかけた。こちらはそうなるともう空想が止まらない。大きなトルテもそれほど高くはないが、それでも家族で一食を賄えるほどの価格になり、晴れの日感は間違いなくある。きっと娘の誕生日か何かにおばあちゃんが訪ねてきていて、その婆さんが入れ歯をしているのだなとまで考えてしまった。こういう光景が街角で違和感なく普通に見られるのも大都市だからで、マンハイムにはない。観光客ばかりの街でもない。こうしたものも含めて都市文化であると理解するまでにそれほど時間は掛からなかった。
La Vita è Bella (1997) - Arezzo nazista (1945)
La Vita è Bella - Barcarolle (Jacques Offenbach - da Les contes d'Hoffmann)
La vita è bella - Buongiorno principessa
参照:
MeToo指揮者に捧げる歌 2019-02-03 | 文化一般
ハムブルクの夜の事 2019-01-30 | 女
なによりも今回は零時過ぎ頃の降雪が予想されて、それも二三時間予想よりも遅れたことから、無風の乾いた中を快走した。それでも予定通りチューリッヒの方に向かっていたら大変なことになっていたかもしれない。ルイージが降りてくれたお蔭である。35フランぐらいの寄付はどうでもよい。イタリア人指揮者は、亡きアバドを含めて、今後ともあまり信用しないようにしたい。お勉強代である。その点ムーティは結構堅いなと思う。
今回はカーテンコールに最後までいたので車を出したのは21時20分前だった。バイバイの後でももう一度引き出し、回数も多く「タンホイザー」に次いで長かった。昨年の冬の「指輪」はお誕生日式典があったので長かったが、繰り返しの数は少なく、今回は「タンホイザー」の時よりも残った人が多かった。特に淡白な平土間席も多く、その時点で後の回数は、会場の係りの人と同様に、略予想が付いた。結構頑張っていたのはバルコンの上あたりで、通常はあまり数がないが、おばさんが固まっていたのでカウフマンファンかとも思ったがそうでもなかったようで、ご本人の視線もあまりそちらには向いていなかったようだ。天井桟敷は数人の根暗の若目の男性や結構年配の女性も粘っていた。出し物の「フィデリオ」も新制作の初日シリーズではないので客層も少し違ったかなと思った。初日シリーズに比べて少なくともペトレンコ指揮のそれにはあまり慣れていない人もいるようで、あれだけ出てくるのを知らなかったような人が戻っても来ていた。
斜め後ろには27日の券を公式サイトで買って貰って、更にバレーの券まで買い上げて貰ったおばさんがいた。休憩中に若い女性と話していた時に捕まえて再会の挨拶をした。妹さんが券を使って感動していたということで、「初日からまた練ってきていてよかった」と話した。バレーも本当に喜んでいた。88ユーロの席を20ユーロならば、それは価値があっただろう。一寸した「テアターゲマインデ」である。流石にミュンヘンは、詰まらないところで声を上げる爺さんもいれば、やはりその層が分厚い。当日も娘さんを連れた親子連れもいて、新制作シリーズとは異なる普段着の聴衆も多かった。
マフラーを取りに行った通用口の窓口でも確か劇場で見たようなおばさんがいた。東欧系の人の様だったが楽師さんの関係かで券を取りに来ていたようだがすんなりと行かないようだった。あれだけの層が厚くて人数がいても何となく見かけたような人が増えてきた。これも平素の再演だからだろうか。マンハイムなどの雰囲気を知っていると本当に羨ましく思う。中からは舞台でも挨拶するアーティストマネージャーの女性も出てきた。あれが都市文化だ。世界に誇るだけでなくて、その文化都市の中での芸術的な営みが違う。バッハラー支配人が語るように、「そのもの」を求めて訪れる聴衆の文化共同体である。
会場係のオヤジさんが、この人ともなにかを話した覚えがあるのだが思い出せない、車いすの婆さんの場所を確保するために特別に動いていたが、「ヨーナス・カウフマンを聴きに来ましたか」と婆さんに話しかけて、「僕も聴いたけど、良かったよ」と語るのだ。ああいう人が結構詳しいのだ。そして初日シリーズには王家もやってくる。劇場の前にはプロの物乞いも時々機嫌よさそうに話しかけてくる。
近代劇場文化も都市文化の一つであり、恐らく食文化などもそうだろう。以前は高級コンディトライやデリカテッセェンなども消費文化の一つでしかないと思っていたが、少し違う面も見えてきた。いつものようにダルマイーアでトルテを購入しようとしていると、いかにも外国人労働者風の痩躯の中年男性と八歳ぐらいの娘がガラス越しにトルテを眺めていた。どれにしようかと選んでいるのだ ― それがまたあの有名なユダヤ人収容所映画La vita è bellaの主役のお父さん似なのだ。その外見だけでなにか心打たれるのだが、どうぞ先にと待とうとすると、「先にどうぞ」とこちらに譲る。娘にゆっくりと選ばせたいのだ。そしてこちらの勘定が済む頃にもう一人の店員が対応するのを見ていた。なぜか「ナッツがそのまま入っているのか」に拘っていた。店員は「クリームですよ」と答えた。なぜかなと思って様子を窺がっているとそのロベルト・ベニーニと再び眼が合った。「やっぱりほら歯に、分かりますよ」と想像して話しかけた。こちらはそうなるともう空想が止まらない。大きなトルテもそれほど高くはないが、それでも家族で一食を賄えるほどの価格になり、晴れの日感は間違いなくある。きっと娘の誕生日か何かにおばあちゃんが訪ねてきていて、その婆さんが入れ歯をしているのだなとまで考えてしまった。こういう光景が街角で違和感なく普通に見られるのも大都市だからで、マンハイムにはない。観光客ばかりの街でもない。こうしたものも含めて都市文化であると理解するまでにそれほど時間は掛からなかった。
La Vita è Bella (1997) - Arezzo nazista (1945)
La Vita è Bella - Barcarolle (Jacques Offenbach - da Les contes d'Hoffmann)
La vita è bella - Buongiorno principessa
参照:
MeToo指揮者に捧げる歌 2019-02-03 | 文化一般
ハムブルクの夜の事 2019-01-30 | 女