バイエルンの放送局で放送された「ヴァルキューレ」の批評が出ている。そもそもラトルがなぜこの曲を振りたがるか分からないと、皆と同じことを言う。実際に散らかし放題で、管弦楽ばかりに拘って、歌はやらせ放題だと批判される。我々サイモン・ラトルファンからすると今更と思い、放送管弦楽団がこのようなプロジェクトに公共料金を払う意味が問われる ― それどころか映像も放映され、「指輪」プロジェクトは新ホールに持ち越されるというから恐ろしい。
一幕や三幕のハイライトに差し掛かると前のめりになり、こうしたコンサート形式の上演に、交響楽団に求められる精度に至ることが無く、お手本のペトレンコ指揮座付管弦楽団に及ばないとされる。歌手陣においても二幕で僅かしか歌わないクールマンのそれ比するだけのものはなかったとされる。
管弦楽団の楽器群がその行先を失っているのが、そのアインザッツ同様に総奏でも聞かれたたとされる。そこまで書くならば、なぜこの交響楽団がこうなっているかについて少なくとも示唆すべきだ。この書き手の名前は憶えがあるが、突込みが足りない。
客演ということはあるが、ラトルの指揮は当然のことながらしっかりしている。歌手が途方に暮れて歌い難くとも、管弦楽団はアンサムブルがしっかりしていればベルリンのフィルハーモニカーとまではいわないまでもそこそこの演奏が出来て当然なのである。
昨年引いた新しいネット回線が止められている。それどころか違う回線の電話も閉鎖されている。原因は、全て独テレコムにあって、どうも新回線の銀行引き落としが出来ていなかったようだ。警告書が届いて初めて気が付いた。だから先週の木曜日頃に引き落としの同意書をボンの本局に送ったが、処理できていないのだろう。いつものことながら請求書とその回線閉鎖で顧客の善良な市民を怒らす。それしか回線がないならば困るが、ラディオ放送ぐらいは古い回線でも録音できると思うので構わない。順番待ちまでしてテレフォンセンターで苦情するつもりもない。先ずは様子を見よう。そもそも関係の無い電話回線を止めて、問題の回線を活かしていることがおかしい。使い勝手が悪いのは新回線に合わせたNASストレージにしているからそれを使うにはいちいち切り替えなければなにも記録できないことだ。
日曜日はオランダからの放送があった。それを紹介して、特にそこでのコンセルトヘボーでの「英雄の生涯」は期待していた。なぜかというと、日本でも活躍していた指揮のロート氏は元手兵だったSWF放送管弦楽団で全集を録音していて、その紹介に放送で語っていたからだ。それによると「カラヤンやティーレマン指揮の湯船の鼻歌は間違いだ」という意見で、それは間違いなく正しい。それでもあのコンセルトヘボーでどれほどSWFのようなシャープな演奏が可能かどうかが疑問で、聞いてみたかった。それでも前半のエマールの「皇帝」などちっとも聴きたくもないものがあって、適当に考えていたら、またまた指揮者のロート氏が登場した。放送は一月末の録音なので恐らく本日ケルンでの演奏会もあってケルン近郊の自宅にいたのだと思う。前回「ディゾルターテン」でいいねを貰った時も同じような状況だった。この人も私の呟きファンではないかと思うぐらいだ。フライブルクに住んでいたぐらいだからプファルツにも一定の印象を持っている人かもしれない。
そこまでは普通で、更にリツイートしてくれたお蔭で、情報が不完全で更なるスレッドを開けないと分からなかったのだろう、フランスのおばさんが「今日か?何時?」と尋ねてきた。放っておいてもよいのだが、ロート氏本人にも質問していることになって、こちらも言いだしっぺなので、急いで14時と答えておいた。暫くすると恐らくそのコンサートに出かけていたオランダの親爺が14時15分だと正確な時刻を書き添えた。調べて分かっていたが、いつもその放送を聴いているのではないので餅は餅屋の情報で助かった。
演奏は案の定「皇帝」はあまり聴く価値もないばかりか、良くもこのピアニストをインレジデンス演奏家に選んだなと、この楽団の人選などはいったいどういう組織でやっているのだろうと改めて思った。お待ちかねの「英雄の生涯」は中々面白かった。やはりああいう風に演奏することで楽劇と交響詩との間にある創作過程の端々を知ることが可能となる。
それなりに満足していると、先ほどのオランダ親爺がグレートコンサートと書き込みをしてきた。いいねだけは二つ付けておいたが、暫くしてからロート氏がそれまでリツィートしていた。結構熱心にSNS活動をしている人だと分かる。コンセルトヘボーも後任探しがまだ決定していないのだろうから、客演する人は皆色気を持つのは当然だろう。少なくとも打診ぐらいは受けたいと思うのが人の常だ。当然地元で熱烈に応援してくれる人は力になる。一時のメディア戦略によるマスの時代がこの業界では異例で、コツコツとどぶ板選挙のような活動をするのが大切である。
参照:
音が鳴り響く環境の考査 2015-04-01 | 音
広島訪問と米日関係のあや 2016-05-16 | 歴史・時事
一幕や三幕のハイライトに差し掛かると前のめりになり、こうしたコンサート形式の上演に、交響楽団に求められる精度に至ることが無く、お手本のペトレンコ指揮座付管弦楽団に及ばないとされる。歌手陣においても二幕で僅かしか歌わないクールマンのそれ比するだけのものはなかったとされる。
管弦楽団の楽器群がその行先を失っているのが、そのアインザッツ同様に総奏でも聞かれたたとされる。そこまで書くならば、なぜこの交響楽団がこうなっているかについて少なくとも示唆すべきだ。この書き手の名前は憶えがあるが、突込みが足りない。
客演ということはあるが、ラトルの指揮は当然のことながらしっかりしている。歌手が途方に暮れて歌い難くとも、管弦楽団はアンサムブルがしっかりしていればベルリンのフィルハーモニカーとまではいわないまでもそこそこの演奏が出来て当然なのである。
昨年引いた新しいネット回線が止められている。それどころか違う回線の電話も閉鎖されている。原因は、全て独テレコムにあって、どうも新回線の銀行引き落としが出来ていなかったようだ。警告書が届いて初めて気が付いた。だから先週の木曜日頃に引き落としの同意書をボンの本局に送ったが、処理できていないのだろう。いつものことながら請求書とその回線閉鎖で顧客の善良な市民を怒らす。それしか回線がないならば困るが、ラディオ放送ぐらいは古い回線でも録音できると思うので構わない。順番待ちまでしてテレフォンセンターで苦情するつもりもない。先ずは様子を見よう。そもそも関係の無い電話回線を止めて、問題の回線を活かしていることがおかしい。使い勝手が悪いのは新回線に合わせたNASストレージにしているからそれを使うにはいちいち切り替えなければなにも記録できないことだ。
日曜日はオランダからの放送があった。それを紹介して、特にそこでのコンセルトヘボーでの「英雄の生涯」は期待していた。なぜかというと、日本でも活躍していた指揮のロート氏は元手兵だったSWF放送管弦楽団で全集を録音していて、その紹介に放送で語っていたからだ。それによると「カラヤンやティーレマン指揮の湯船の鼻歌は間違いだ」という意見で、それは間違いなく正しい。それでもあのコンセルトヘボーでどれほどSWFのようなシャープな演奏が可能かどうかが疑問で、聞いてみたかった。それでも前半のエマールの「皇帝」などちっとも聴きたくもないものがあって、適当に考えていたら、またまた指揮者のロート氏が登場した。放送は一月末の録音なので恐らく本日ケルンでの演奏会もあってケルン近郊の自宅にいたのだと思う。前回「ディゾルターテン」でいいねを貰った時も同じような状況だった。この人も私の呟きファンではないかと思うぐらいだ。フライブルクに住んでいたぐらいだからプファルツにも一定の印象を持っている人かもしれない。
そこまでは普通で、更にリツイートしてくれたお蔭で、情報が不完全で更なるスレッドを開けないと分からなかったのだろう、フランスのおばさんが「今日か?何時?」と尋ねてきた。放っておいてもよいのだが、ロート氏本人にも質問していることになって、こちらも言いだしっぺなので、急いで14時と答えておいた。暫くすると恐らくそのコンサートに出かけていたオランダの親爺が14時15分だと正確な時刻を書き添えた。調べて分かっていたが、いつもその放送を聴いているのではないので餅は餅屋の情報で助かった。
演奏は案の定「皇帝」はあまり聴く価値もないばかりか、良くもこのピアニストをインレジデンス演奏家に選んだなと、この楽団の人選などはいったいどういう組織でやっているのだろうと改めて思った。お待ちかねの「英雄の生涯」は中々面白かった。やはりああいう風に演奏することで楽劇と交響詩との間にある創作過程の端々を知ることが可能となる。
それなりに満足していると、先ほどのオランダ親爺がグレートコンサートと書き込みをしてきた。いいねだけは二つ付けておいたが、暫くしてからロート氏がそれまでリツィートしていた。結構熱心にSNS活動をしている人だと分かる。コンセルトヘボーも後任探しがまだ決定していないのだろうから、客演する人は皆色気を持つのは当然だろう。少なくとも打診ぐらいは受けたいと思うのが人の常だ。当然地元で熱烈に応援してくれる人は力になる。一時のメディア戦略によるマスの時代がこの業界では異例で、コツコツとどぶ板選挙のような活動をするのが大切である。
参照:
音が鳴り響く環境の考査 2015-04-01 | 音
広島訪問と米日関係のあや 2016-05-16 | 歴史・時事