Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

最初の二年の経過

2019-10-07 | ワイン
ベルリンのアバド指揮の初期の録音放送が面白かった。二種類あって、本編は選出直前のベルリナーフェストヴォッヘでの演奏だった。そしてに余白に1992年の定期からの中継録音。どちらも初めて聴くものである。興味のありどころは、カラヤンサウンドから二三年でどの様に変わったか、変えたかの再確認である。この番組自体が、現在行われている同様の作業との比較で企画されているのは間違いない。

BGMで流しただけでも、ブラームスの和弦がそのものカラヤンのそれでそこに若干メリハリがついているに過ぎない。それを解体したのが三年後の録音だ。因みに92年にフランスプロをルツェルンで生で聴いているので後者のそれは実感としてどこかに残っている。

そしてカラヤンサウンドだから素晴らしい演奏をしているかと言うと、既に当時のフィルハーモニカーは世界の頂点からは大分後退していて、下手である。自慢の弦も駄目で、木管などもアンサムブルが駄目になっていた。コッホとかライスターの定年前なのだろうが、もはや細かな新しいことは出来なくなっていたのだろう。同じことしかできなくなった弦楽器には失望するが、その後のクスマウルらの新体制でもサウンドが変わったほどには技術的には上昇しなかった。

音楽自体は長年のカラヤン体制から解放された風通しのよさも感じるが、同時に新たなアンサムブルとして出来上がっていなくて、現在のロンドン交響楽団よりも悪いかもしれない。アバド指揮の音楽はそれで魅力なのだが、どうも彼には専属のシャイーの様なアシスタントが必要だったのではないかと今更の如く思う。

それ故に後任にサイモン・ラトルに期待されたわけで、その分では成功したとも言えなくはないだろう。少なくともラトル指揮のフィルハーモニカーは再び頂点の領域へと戻ったので、その功績は音楽的にも小さくはない。繋ぎにそのあとにヤンソンズを担ぎ出そうとしたのも決して分からないではない。

夜中にボストンからの中継を録音しておいた。明け方気が付いて装置等の電源を切った。何時もの様に二度寝になったので、朝7時には眼が醒めずに、8時ごろから雨雲レーダーを見て様子を窺がった。先ずは9時からのニューヨークフィルの放送を録音しておきたかった。そしてベットで流れる音を少し聞いていた。ポール・デュカ「ラペリ」をブーレーズが振ったもので、昨年のルツェルンでの名演と比較可能なものはこれしかないと思っていたからだ。想像した通り、演奏はペトレンコ指揮のベルリナーフィルハーモニカーの演奏に到底及ばなかった。難しいので、その後にもあまり取り上げていないのではなかろうか。クリーヴランドでやっていたらどうなのだろう。

週末は、かの有名なシャルツホーフベルクのリースリングを開けた。なぜ有名かと言うとエゴン・ミュラーと言う醸造所が甘口ワインとして世界的にマーケッティングをしているからだ。しかしドイツワインの消費は殆ど辛口なので、特産の甘口は海外特に極東へと高価に輸出される。しかし、そのワイン地所自体は辛口を丁寧に造ればそれだけの価値があるとして、ファンフォルクセム醸造所がグローセスゲヴェックス化を目指して出しているワインである。一区画だけグランクリュ指定で、これは通常にPCクラスとして造られている。

2016年は決して良い年でないので、瓶詰め二年経過したので開けてみた。最初は残糖が気になったが、苦みやメンソール系の香味もあって、食事には問題が無かった。ボンゴレに続いて翌日の血のソーセージには文句無しだった。酸も若干薄いが、もう二年ほど寝かして熟成も試してみたい。現時点ではまだ開くフローラルな要素も確実に堅く閉じていたので楽しみである。但し十年寝かしてというようなリースリングでは無かった。



参照:
次元が異なる名演奏 2019-04-15 | 文化一般
これもリースリングの神髄 2016-01-06 | ワイン
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