(承前)演出に関しては新聞評に沢山の紙面を費やしていたが、指揮者については限られていた。そのロレンツォ・ヴィオッティの指揮に関して書き留めよう。そもそも指揮者ヴィオッティの名前は父親の名前として馴染みがあって、また妹さんのホルン奏者もミュンヘンの劇場の奈落でデングラーの横に座っているので馴染みである。またこの指揮者の名前は日本での登場などでも名前を聞いていたが、まだ29歳という事で興味を持っていた。プロフィールを読むと、フランクフルトでは、デッカー演出「ウェルテル」でデビューして、彼のキリル・ペトレンコ指揮クーリーゲンブルク演出で新制作された「トスカ」の再演をしている。そして今回は新制作デビューだった。
TOSCA Oper Frankfurt
ペトレンコの後を継いで振っているだけでも凄いが、あんな歌手で新制作を任されたヴィオッティと、二カ所で監督を務めてフリーになっていた39歳の中堅ペトレンコとの扱いの差は大き過ぎる。改めて如何にペトレンコが冷遇されて来ていたかを思い出させる。
2014年12月にベルリンでの客演でのマーラー交響曲6番をキャンセルした。その直後に元気な姿での「影の無い女」を聴いた。今こうして考えると、あれ程の才能で自負心があっても、その後のインタヴューの様に選ばれるとは思っていなかったのかもしれない。そうした不遇な環境を自覚していていて、自らも劇場指揮者としてしかキャリアーが掴めないと半ば諦めていたのかも知れない。実際にあれ程客演をしても本気で興味を持っていたのは他にはシカゴ交響楽団ぐらいっだったようにも思える。
なぜ長々と不遇のペトレンコについて語るかと言えば、このヴィオッティが恵まれているだけでなく、ペトレンコとは反対に最初から管弦楽に素晴らしい演奏をさせるからである。今当時の「トスカ」とか「パレストリーナ」の録音を比べても今回の本番二日目のヴィオッティ指揮程見事な音は出していないだろう。勿論ミュンヘンでもベルリンでも同じようにペトレンコ指揮で求められることはとても程度が高いので、初日での完成度が問われることになる。確かにヴィオッティは器用で、フランクフルトの座付楽団を何回か聴いた中で一番良かった。
Giacomo Puccini: MANON LESCAUT, Oper Frankfurt
なるほど批評にもあるように、三幕の合唱の場面は網とは言いながら策の中に入っている合唱団と指揮との間での疎遠な感じは聴衆にもあって、技術的に解決されなければいけなかったかもしれない。見ていた場所からは指揮は完全に見えなかったのだが、少なくともペトレンコの様に舞台の上に親切にキュー出ししたりすることは無くて、管弦楽に精一杯という感じはあった。あれは指揮の技術とか動きの良さだけでなくて、あれはあれで大変見事なことなのだなと改めて感じる。
開演前のオリエンテーリングに出てきて解説するヴィオッティも偉いと思うが、またプログラムに書いてある同じ聞き手からのインタヴューも読むと、この指揮者の考えもよく分かる。特にヴァリズモであることで、その音楽の書き方に言及しているが、そのドイツ語の表現限界もあるのだが、もう一つ現場的に話して欲しかった。具体的には音楽的に階段の上り下りの音化とかはあっても、終幕の重要な和声的な逸脱面でも具体的に端的に話す能力若しくはポイントを指摘するまでの力が無い。
こうしたことを総合すると、この若い指揮者の将来も見えてくる。参考にしていたシノポリ指揮の演奏では和声の移り行きの表徴が素晴らしかった反面、ヴィオッティにおいては自らプッチーニにおける印象派からの影響を述べつつも寧ろメリハリだった楽想の変化の移り行きの表現の方に巧さがあって、一般的なイタリアオペラの伝統に則っていると思われる。謂わばパトレンコ以降世代と言うか、あそこまでペトレンコがオペラでやるとなると影響を受けない若手の指揮者など存在しないだろう。
特に感じたのは、一拍目への間の取り方で、あれはあまり他の指揮者では経験していなかったが、ドイツ語圏では管弦楽が一呼吸おいて所謂重いのと同じ効果をつまり呼気の間なのだろうかと思う。それも違和感を与える程のことは無くて、巧さしか感じさせなかったのはやはり能力なのだろう。一方この指揮者の音楽への対峙の仕方を見ると演奏会指揮者ではないとも感じた。(続く)
参照:
嗚呼と嗚咽が漏れる 2019-10-12 | 雑感
33年ぶりのマノンレスコー 2019-10-10 | 生活
再びオパーフランクフルト 2019-10-09 | 生活
TOSCA Oper Frankfurt
ペトレンコの後を継いで振っているだけでも凄いが、あんな歌手で新制作を任されたヴィオッティと、二カ所で監督を務めてフリーになっていた39歳の中堅ペトレンコとの扱いの差は大き過ぎる。改めて如何にペトレンコが冷遇されて来ていたかを思い出させる。
2014年12月にベルリンでの客演でのマーラー交響曲6番をキャンセルした。その直後に元気な姿での「影の無い女」を聴いた。今こうして考えると、あれ程の才能で自負心があっても、その後のインタヴューの様に選ばれるとは思っていなかったのかもしれない。そうした不遇な環境を自覚していていて、自らも劇場指揮者としてしかキャリアーが掴めないと半ば諦めていたのかも知れない。実際にあれ程客演をしても本気で興味を持っていたのは他にはシカゴ交響楽団ぐらいっだったようにも思える。
なぜ長々と不遇のペトレンコについて語るかと言えば、このヴィオッティが恵まれているだけでなく、ペトレンコとは反対に最初から管弦楽に素晴らしい演奏をさせるからである。今当時の「トスカ」とか「パレストリーナ」の録音を比べても今回の本番二日目のヴィオッティ指揮程見事な音は出していないだろう。勿論ミュンヘンでもベルリンでも同じようにペトレンコ指揮で求められることはとても程度が高いので、初日での完成度が問われることになる。確かにヴィオッティは器用で、フランクフルトの座付楽団を何回か聴いた中で一番良かった。
Giacomo Puccini: MANON LESCAUT, Oper Frankfurt
なるほど批評にもあるように、三幕の合唱の場面は網とは言いながら策の中に入っている合唱団と指揮との間での疎遠な感じは聴衆にもあって、技術的に解決されなければいけなかったかもしれない。見ていた場所からは指揮は完全に見えなかったのだが、少なくともペトレンコの様に舞台の上に親切にキュー出ししたりすることは無くて、管弦楽に精一杯という感じはあった。あれは指揮の技術とか動きの良さだけでなくて、あれはあれで大変見事なことなのだなと改めて感じる。
開演前のオリエンテーリングに出てきて解説するヴィオッティも偉いと思うが、またプログラムに書いてある同じ聞き手からのインタヴューも読むと、この指揮者の考えもよく分かる。特にヴァリズモであることで、その音楽の書き方に言及しているが、そのドイツ語の表現限界もあるのだが、もう一つ現場的に話して欲しかった。具体的には音楽的に階段の上り下りの音化とかはあっても、終幕の重要な和声的な逸脱面でも具体的に端的に話す能力若しくはポイントを指摘するまでの力が無い。
こうしたことを総合すると、この若い指揮者の将来も見えてくる。参考にしていたシノポリ指揮の演奏では和声の移り行きの表徴が素晴らしかった反面、ヴィオッティにおいては自らプッチーニにおける印象派からの影響を述べつつも寧ろメリハリだった楽想の変化の移り行きの表現の方に巧さがあって、一般的なイタリアオペラの伝統に則っていると思われる。謂わばパトレンコ以降世代と言うか、あそこまでペトレンコがオペラでやるとなると影響を受けない若手の指揮者など存在しないだろう。
特に感じたのは、一拍目への間の取り方で、あれはあまり他の指揮者では経験していなかったが、ドイツ語圏では管弦楽が一呼吸おいて所謂重いのと同じ効果をつまり呼気の間なのだろうかと思う。それも違和感を与える程のことは無くて、巧さしか感じさせなかったのはやはり能力なのだろう。一方この指揮者の音楽への対峙の仕方を見ると演奏会指揮者ではないとも感じた。(続く)
参照:
嗚呼と嗚咽が漏れる 2019-10-12 | 雑感
33年ぶりのマノンレスコー 2019-10-10 | 生活
再びオパーフランクフルト 2019-10-09 | 生活