Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

とても参考になるLP

2019-10-17 | 
宿の予約を確認した。そろそろキャンセルすべきものをリストアップする。先ずはクリスマスのベルリンで、これは「ミサソレムニス」ならば出かけようと思ったものだ。三泊で195ユーロで、無料キャンセルは29日までで、月始めごろにキャンセルしよう。その次は来年第二週のベルリンでの三泊で124.50ユーロで、キャンセルはクリスマスまでだが、これも来月始めに決断。態々出かけないでいいなら一番安上がりだ。

もう一つ体調が優れない。歯根の影響も考えられるので先ずは歯の洗浄の予約をとろう。左の鎖骨が圧される。肩を痛めた関係がありそうだ。圧迫感が気になる。心臓が肺かも疑われるところだが、背中側には圧迫感はないが、ここ一月ほどの胸部から下腹までの膨満感も気に食わない。

歯根以外にも色々と考えることはあるのだが、なんとなくストレス性のものではないかと感じた。例年の様に何だかんだと言っているが、結構長い期間ストレスを受けていて、健康なものも不健康になるだけの要因はあった。

十年ほど前にも心臓の辺りが痛くなっていたがあれは完全にストレスだった。今回もそのように感じるのは、リースリングの酸が少し沁みる感じとアルコールも少し食道に感じる感じが若干潰瘍気味にも感じるからである。子供の時の様に胃に感じないのは当時の様な暴飲暴食をしないことと、胃に負担を掛けるような重い米などを食していないからだと思う。

カラヤン指揮の1957年録音のブルックナーの交響曲八番を聴いた。週末のヴィーンからの中継が酷かったから、フィラデルフィアからの放送録音を比較した。更にベストチョイスを選べという事で、何枚かあるこの交響曲のLPからこれを選んだ。理由は記憶に比較的問題の無い録音の印象があったからで後年の同じ組み合わせでのカラヤンサウンドのものよりはいいのは確認してあった。そしてざっと聴いてとても感心した。丁寧なアーティキュレーションを恐らくまだフルトヴェングラーで弾いていたような楽員が何人か乗ってつけていて、その余韻もあり、何よりもまだ1963年以降のフィルハーモニーでの演奏の影響が全くなかった。これは今フルトヴェングラー以前のサウンドを考えるときにとても参考になる。

実はそれだけでなく、例えばファイヤーリッヒなどと表情が書かれているところの扱いが、週末のぼんくら指揮者とは大違いでとても上手に指揮している。そして、語らないで通すかと思ったキリル・ペトレンコがカラヤンについて「オペラでの長い経験をその後のコンサート活動に生かした」という評価を思い浮かべた。まさにそのような表情の付け方は劇場的である。ペトレンコが劇場で二十年間以上も過ごした不遇の二十年間と、フルトヴェングラーのカリスマ性とは異なり、ウルムからアーヘンへと下積みを重ね、ナチの権力を利用しつつ、今度は戦後の公職追放後40歳を過ぎてからのベルリンへの就任を重ねた意味はそこにある。とても具体的な例をそこに聴く。恐らくペトレンコもこの録音を聴いていると思う。



参照:
歴史的独楽器配置の箱 2018-09-05 | 文化一般
胃がん風に表れる夏の疲れ 2017-08-15 | マスメディア批評
コメント
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