写真屋が病気という事でまだ再開しない。一週間遅れとなる。仕上がりが早いなら問題はないが、さてどうしようかと考える。
週末に税務関連の資料纏めを終えて投函した。八月末を目標としていたが一月遅れた。六月ごろから始めていた筈だが予想以上に手に付かなかった。仕方がない。何とか終えただけでも良しとしよう。昨年は12月まで掛かってしまったのであった。税金だけは強制執行されるのでなにも手を下さずにおくことが出来ない。
アウトグラムを貰いに行くか行かないかの話しが出ていた。嘗ては行ったことがあるが直ぐに行かなくなったことを考えていたら興味深かった。演奏会や劇場上演の核になるようなことがそこにあったからだ。勿論個人的に知り合った人などには一言書いて貰うことがあるが、その殆どは所謂著作権者である。つまり創造した人で演奏者などではない。だから価値があるないではないが、演奏家などとはまた別な接触があるという事が最も大切な体験なのである。
何時頃からそのように意思が変わったかと言うと、やはり日本でも音楽専門のホールが出来るようになった頃からである。ロンドンの新しいホールに関しても次期バイエルン州音楽監督ユロスキーなどがインタヴューに答えているが、音質などはその中心にあるものではない。やはり音楽専用ホールが出来てから舞台と聴衆の関係が変わった。
その典型は、ワインヤード型のコンサートホールであったり、従来のオペラ劇場特徴でもあったろう。従来の日本に典型的だった多目的会場などは客席と舞台の関係が遠く、拍手に於いても客席は最後まで暗くして、あるで映画館の様な雰囲気があった。しかしワインヤード型になると舞台と同じように明るく、舞台を包み囲むように距離感も近くなり、双方向への接触が密になった。
ワインヤード型の人気はその音響よりもこの関係が大きかったのだろうが、シューボックス型でも舞台と客席の関係が特に音響的にもシームレスなルツェルンの会場など視覚以上に密接なホールも存在して、明らかに歴史的なホールよりも明るく開放的な空間が提供されている。
オペラに関しては、やはりミュンヘンに通うようになってからとてもその劇場空間を経験するようになった。あれ程の大劇場でも双方向の接触が盛んで、実際に天井桟敷の通の一群がそのカーテンコールの長さを左右するような劇場空間の意味を知るのである。
実際に知己の間でもないのに熱心なファンが楽屋に訪ねて接触してもあまり意味が無い - バーデン・バーデンの新支配人スタムパのように用件があれば価値があるが。それよりも価値があり、こうした演奏会や劇場空間の共有という接触こそがライヴパフォーマンスの核であるという事は明らかなのである。
それで一人の聴衆と舞台との接触とのあまりにもの危うさを感じる向きがいるかもしれないが、もしそうした杉良太郎流し目を信じない向きは少なくとも自らの周りの聴衆との接触をもう少し真面目に考えてみるべきではないかと思われる。決して舞台と一対一の関係である必要もないという事で、舞台と客席が非対称であるかどうかよりも、重要なのはインターアクティヴであるという事である。
参照:
聴衆との盛んな応酬 2019-04-25 | 文化一般
芸術ゲマインシャフト 2019-04-22 | 文化一般
週末に税務関連の資料纏めを終えて投函した。八月末を目標としていたが一月遅れた。六月ごろから始めていた筈だが予想以上に手に付かなかった。仕方がない。何とか終えただけでも良しとしよう。昨年は12月まで掛かってしまったのであった。税金だけは強制執行されるのでなにも手を下さずにおくことが出来ない。
アウトグラムを貰いに行くか行かないかの話しが出ていた。嘗ては行ったことがあるが直ぐに行かなくなったことを考えていたら興味深かった。演奏会や劇場上演の核になるようなことがそこにあったからだ。勿論個人的に知り合った人などには一言書いて貰うことがあるが、その殆どは所謂著作権者である。つまり創造した人で演奏者などではない。だから価値があるないではないが、演奏家などとはまた別な接触があるという事が最も大切な体験なのである。
何時頃からそのように意思が変わったかと言うと、やはり日本でも音楽専門のホールが出来るようになった頃からである。ロンドンの新しいホールに関しても次期バイエルン州音楽監督ユロスキーなどがインタヴューに答えているが、音質などはその中心にあるものではない。やはり音楽専用ホールが出来てから舞台と聴衆の関係が変わった。
その典型は、ワインヤード型のコンサートホールであったり、従来のオペラ劇場特徴でもあったろう。従来の日本に典型的だった多目的会場などは客席と舞台の関係が遠く、拍手に於いても客席は最後まで暗くして、あるで映画館の様な雰囲気があった。しかしワインヤード型になると舞台と同じように明るく、舞台を包み囲むように距離感も近くなり、双方向への接触が密になった。
ワインヤード型の人気はその音響よりもこの関係が大きかったのだろうが、シューボックス型でも舞台と客席の関係が特に音響的にもシームレスなルツェルンの会場など視覚以上に密接なホールも存在して、明らかに歴史的なホールよりも明るく開放的な空間が提供されている。
オペラに関しては、やはりミュンヘンに通うようになってからとてもその劇場空間を経験するようになった。あれ程の大劇場でも双方向の接触が盛んで、実際に天井桟敷の通の一群がそのカーテンコールの長さを左右するような劇場空間の意味を知るのである。
実際に知己の間でもないのに熱心なファンが楽屋に訪ねて接触してもあまり意味が無い - バーデン・バーデンの新支配人スタムパのように用件があれば価値があるが。それよりも価値があり、こうした演奏会や劇場空間の共有という接触こそがライヴパフォーマンスの核であるという事は明らかなのである。
それで一人の聴衆と舞台との接触とのあまりにもの危うさを感じる向きがいるかもしれないが、もしそうした杉良太郎流し目を信じない向きは少なくとも自らの周りの聴衆との接触をもう少し真面目に考えてみるべきではないかと思われる。決して舞台と一対一の関係である必要もないという事で、舞台と客席が非対称であるかどうかよりも、重要なのはインターアクティヴであるという事である。
参照:
聴衆との盛んな応酬 2019-04-25 | 文化一般
芸術ゲマインシャフト 2019-04-22 | 文化一般