Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

老朽化したイェーテボリ

2019-10-06 | 
冷える、風邪を引いたのかもしれないが、冬籠りしたくなる。流石にヤッケ無しには外出できなくなった。どうしてこう寒くなって来たのかよく分からない。例年ならば冬籠りの準備は始めるが夏時間が終わるまでは暖房を我慢する。しかし今年は寒い。体調はあるかもしれないが、どうなのだろう。

仕方が無いので普段着のシャツを替えた。古いものは洗濯して直ぐに靴磨きになる。新しい方はまだ生地がしっかりしている。幾らかは暖かさが違うだろう。普段着のセーターももうシーズン使ってやろうかと思うが、肘が破れているので中間にしか着れない。新しいものも下ろしたいが、カシュミアなので直ぐに破れる。もう一つ新しいものを確保してからにしたい。寝間着も長袖にした上に、ガウンも厚いものに替えた。これ以上は暖房しかない。

スエーデンのイェ-テボリからのストリーミング中継を観た。同地の交響楽団を女性歌手のハニンガンが振るというものだ。後半は浄夜で始まったが、選曲も冴えないが演奏は更にロマンティックなだけで冴えなかった。指揮の技術は差し置いて、この女流歌手が後期ロマン派の曲から自身の得意な二十世紀後半の音楽への嗜好が分かるようでいけなかった。あれだけ歌える人で、今後とも新曲を献呈されることの多い歌手だと思うが、その音楽的な思考はなにかネオロマンティズムの様でとても古臭い。

いい指揮者が伴奏している限りはそうした致命的な弱点は見えないのにこうして指揮活動することであからさまとなる。とても残念だ。確かに知名度や増大する女性指揮市場の中で回りも押して本人も乗る気になったのだろうが、現在幾らお座敷が掛かっても、どんどんと優秀な女性指揮者が出てくる中であの程度では可能性はないだろう。

シュトュルツマンとか歌手出身の女性指揮者はいるが、自分自身が嫌でオペラもあまり歌っていない様ではオペラ指揮者にもなれないとすると、一体何をしたいのか分からない。振り歌いも、他の指揮者もやり掛けていて、それだけではどうしても限られる。兎に角、無駄なことはせずにもう少し歌手の活動を広げて貰いたいと思うばかりだった。

予想外に価値があったのは、スポンサーのヴォルヴォが身売りしてからどうなっているかと思ったが、流石に老朽化していて寿命は短いが、同国一番の交響楽団としてまともに演奏していそうな感じがしたことで、ある程度の指揮者が振れば結構演奏するのではないかと思わせたことである。ケントナガノやエステラルダ、デュダメル辺りは振っているようだが、また機会があれば近いうちに中継を観てみたい。



参照:
ラトルファンの嘆き 2019-09-10 | 音
脚光度ピカイチの女性 2019-08-08 | 女
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