Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

メディア賞ならずショー

2019-10-18 | マスメディア批評
疲れた、三時間ほど車を走らせただけだ。毎日百キロほど仕事場に通っている人がいるが考えられない。どんなにいい車があっても、渋滞すれば駄目だ。現時点では自動運転で楽しても精々寄せるぐらいで完全に休めることは無い。時間が無駄である。

ミラノでの新制作「死の街」を車中聴こうと思ったがコピーが間に合わなかった。アスミック・グリゴーリアンの生を聴いたので、この録音でのマリエッタを聴くのが楽しみになった。相手役はこれまた人気のフォークトで、中継された時は「サロメ」でのグリゴーリアンの印象しかなかったので、その延長でしか考えていなかった。寧ろザルツブルクでのインタヴューなどでデビューにも拘らず自信溢れる話しぶりが気になっていたのだが、今からするとさもありなん。更にバリー・コスキーのベルリンでの「オネーギン」の映像は観た覚えがあり、なるほどあの尻かと印象を新たにした。
Eugene Onegin - Aria de la Carta - Asmik Grigoryan (Tatyana)


正直なところロメオ・カステルッチの個人的セックス趣味の演出には売れたがりの色も見えて、更に「サロメ」であるから裸踊りが普通なのだが、それをパンツ一丁としたところも逆に気に食わなかった。このコルンコールトの作品も「サロメ」と並んで、マルリス・ペーターセンと同じ役を数か月以内に競演することになり、どうしてもこちら側も比較対象としてしまう。先ずは、グリゴーリアンの歌をじっくりと録音で聴き返したい。
Strauss: Salome from Salzburg Festival


車中では一幕二幕位を先ずは聴いて、帰宅後に楽譜を開こうかと思っていた。既に生放送を聴いているので、記憶は薄いながら、あれやこれや想像してみるワクワク感はない。こうなれば最早耳で何回か馴染んで全体の流れを掴んでから楽譜を確かめる。その場合、歌詞も粗筋も確かめる必要はない。必要が出て来たときに調べればよい。
Die tote Stadt - Trailer (Teatro alla Scala)


既に、録音したものをWAVにして、アンドロイドにコピーした。楽譜もコピーした。今回は初めての作品という事で丸一月以上の時間的余裕がある。しかしミュンヘンの初日に出かけるので作品と楽曲はこれで完全にものにしなければいけない。「サウスポール」の時の様に世界初演ならば比較するような演奏も無くて勝手気ままに評価できるのとは大違いで、同時に定着している出し物ではないので作品の評価も試みなければいけない。流石に夏休み終わりの泥沼では無理である。

エコークラシックの後のオープスの授賞式の様子を飛ばして観た。興味深かったのはイゴール・ヨヴェットの演説でハレでの犠牲者に捧げられたそれは立派なショーになっていた。全てが出来上っていて、流石にメディア賞ならずショーだと感じた。ゲルハーハーなどがもたもた感があって、場違い感の強いサラ・ウイルスなどが逆に身近に感じた。初めから出て来れないことが分かっていてのヤンソンス氏のヴィデオメッセージも内容が無かったが、フォークトも「マイスタージンガー」代表という事でお話しだけで、ランランもヴィデオ出演だった。バーデンバーデンの新支配人スタムパらがオーガナイズしているのにあまりにも内容が無い点では嘗てのエコーよりも悪くなっているのではなかろうか。政治的に反AfDになっていただけだ。



参照:
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
気が違ったサムプリング 019-05-29 | テクニック
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