Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

こじんまりとした日常

2019-10-24 | 生活
幾つかの案件が済みそうだ。一先ず祝杯でも挙げようかと思っていたら、シクジリに気が付いた。身分証明書の写真に古いものを渡してしまった。気が付いた時には遅かった。水曜日は半ドンであるから、まだ書類は手元にある筈だ。何とか明日一番で取り換えて来たいが、さてどうなるか?ネットを調べると半年内となっている。これは駄目だ。若く見せようと思ったのではないが、完全にやり直しならば、また金が掛かる。今回は写真に手古摺る。幸い明日は晴れそうなので、走る前に写真を持って行って何とかしよう。

車の方は、最大の問題だった排気管の方は何とかなったようで何よりだ。それの為に一年待った。それ以外に前輪のバネが折れていると分かった。嘗ても折れたのでそうだろうと思った。こちらは問題なく部品が入る筈だが、それでも金曜日までお預けとなった。車のレンタル料は構わないが、兎に角車検を通して欲しい。

他の案件も並行して進めて行かなければいけないのだが、これだけ詰まらないことに右往左往していると進まない。やはり新しい眼鏡を準備しなければいけないだろう。歯医者の予約もまだとっていない。しかし自分の写真を見ても確かに今よりは十年若いのだが、自分であって違和感はない。寧ろ新しい写真を見て違和感があった。受け取った方はどちらがどっちかそれほど分からなくても当然かもしれない。

まあ日常生活なんてそんなもので右往左往しているのが普通なのかもしれない。大きな問題を一つ抱えて、にっちもさっちもいかない状態よりも幸運である。明日心置きなく森の中を走れればそれだけで満足しよう。

作曲家で指揮者のハンス・ツェンダーが亡くなった。個人的にはいつものことで前後に並んで左側にフランスの作曲家デュテュ―ユ、その右側にツェンダ―、その後ろに私が座った。演奏された曲は二人の作曲した弦楽四重奏曲で、演奏者はアルテメミス四重奏団だと記憶する。ハイデルベルクの大学の旧講堂での演奏会だった。

あとはSWFの副コンサートマスターをしていた人から聞いた指揮者としての評価ぐらいである。指揮者としての実力は評価されていたようだが、指導者としての人格は薄かったようで、それほど評判は良くなかったが、ブーレーズの様に客演して一人の奏者をつるし上げにするようなことはしてはいなかったとは思うのだが、よく分からない。

因みに指揮回数は、ブーレーズ35回、ツェンダ―94回、マデルナ6回、シュトックハウゼン9回、ヒンデミット4回と、断然多い。

その作風を聞けば、こうした外見とか評判に違わないので、それほど気宇の大きな作品を創作している訳でもなく、BRのノイホルト氏が書くように、1972年の日本旅行で能や禅や寺院に魅了されてというのもよく分かる。身体も小柄だったが、こじんまりした雰囲気の人で、隣に座っていたデュテュ―ユの方が大物に見えたその通りである。



参照:
ラムプが切れて冬支度 2016-10-07 | 暦
ドナウエッシンゲン祭管弦楽 2019-10-21 | 文化一般
コメント
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