ミュンヘンのヘラクレスザールからの中継前半を観た。後半はブラームスの交響曲四番の出だしだけ流して切った。なんといってもしばらくお休みだったバイエルン放送協会の交響楽団指揮者ヤンソンス氏の健康状態を知りたかった。
六月頃から引退へと圧力が掛かっていて、最後に出ていた時は身体が傾いて殆どドクターストップのような状況だった。そして今回は国内ツアーを挿んで、カーネーギーホール演奏会も予定される一連のスケデュールである。最初に休めば全ては自動的にキャンセルとなって、事実上引退勧告となったと思う。だから意地もあってヤンソンス氏は出て来た。
交響楽団にとっては痛し痒しで、最早批判も辞さない態勢となっている。そしてその指揮自体も往年のドライヴも無く、それでも指揮者自身の言うように還暦過ぎてからが指揮者の成熟が感じられない。せめて健康ならば何かが期待できたのだろうが、今や見る影もない。
当然のことながら交響楽団の演奏は、特に弦楽陣を筆頭に下手である。嘗てのクーベリックの頃からその弦楽陣には、態々対抗配置にするほどの技は無かったのだが、今や通常の配置でも他の放送管弦楽団と比較して秀逸なところが全く見られない。なるほど、どの放送管弦楽団も半公務員の様で入るとなかなか辞めないので老朽化が進む。ざっと顔ぶれを見ると殆ど若い奏者が入っていない。それだけでも現在このバイエルンの放送交響楽団の水準が落ちているのが可視化されている。
前半がリヒャルト・シュトラウスだったでけに、同じミュンヘンの座付管弦楽団をキリル・ペトレンコが振ったらと考える足元にも及ばない。音色や声との合わせ方のみならず技術的にも程度が低い。ロリン・マゼール指揮時代をどう評価するかにもよるが、恐らく現在最低の水準にあることは間違いないであろう。このままこの指揮者が居座ればさらに悪くなることは目に見えている。
お目当ての歌手サラ・ヴェゲナーの歌は、流していて殆ど聞いていないが、休憩時間に流れたインタヴューは秀逸だった。ブレゲンツでペトレンコ指揮で聴いた時に感じた「なぜあれほどの声を持っている人があまり活躍していないか」の疑問に全て答えていた。そのそも様々な変化のある歌を目指していて、一つの領域でキャリアーを積んで市場に定着するという事を避けていたという。だから現代作曲家のハースなどに曲を献呈されて、先ほど日本公演をキャンセルしたようにホリガーとの共演など二年ほどやって、「八分の五拍子や図形楽譜などもう嫌」、また別にまたバッハなどを歌う。元々コントラバス弾きで、指揮もしていて、自身の楽器経験からも歌う時に同時にコントラバスを聴いているという。
そして驚くことに今回のプログラムもディアナ・ダマラウのキャンセルを受けて「あああと叫んで」、それなら即座に歌いたい歌えるとなって、わずか二時間ほど準備をしただけらしい。依頼を受けて、それをカメラの前で歌うというのもとんでもない自ら言うように「狂ったほど」の度胸と自信である。普通の歌手で無い事がよく分かった。つまりホリガーなどの我が道を行くで、メインストリームの音楽とは関係ないところから距離を置いたとなる。
それにしてもヤンソンス氏の顔色が悪かった。年代に応じて足取りがしっかりしていただけにその真っ青な顔を見て怖くなった。まるでゾンビである。心臓が悪いとああなるのかと思った。なるほど心臓移植を待つ子供の顔色もあのような感じだ。再手術も出来ないようだから症状が改善することは無いのだろう。そして指揮もあれしか出来ないとなるとやはり辞めた方がいい。名誉職的な立場で時々振る位の方が健康にも芸術的にいい結果が出るのだろうが、やはり収入が落ちることが耐えられないのかもしれない。事務所や家族の関係もあって自分自身では決断できないのだろう。
参照:
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
心安らかに眠りに就く時 2019-06-03 | 雑感
六月頃から引退へと圧力が掛かっていて、最後に出ていた時は身体が傾いて殆どドクターストップのような状況だった。そして今回は国内ツアーを挿んで、カーネーギーホール演奏会も予定される一連のスケデュールである。最初に休めば全ては自動的にキャンセルとなって、事実上引退勧告となったと思う。だから意地もあってヤンソンス氏は出て来た。
交響楽団にとっては痛し痒しで、最早批判も辞さない態勢となっている。そしてその指揮自体も往年のドライヴも無く、それでも指揮者自身の言うように還暦過ぎてからが指揮者の成熟が感じられない。せめて健康ならば何かが期待できたのだろうが、今や見る影もない。
当然のことながら交響楽団の演奏は、特に弦楽陣を筆頭に下手である。嘗てのクーベリックの頃からその弦楽陣には、態々対抗配置にするほどの技は無かったのだが、今や通常の配置でも他の放送管弦楽団と比較して秀逸なところが全く見られない。なるほど、どの放送管弦楽団も半公務員の様で入るとなかなか辞めないので老朽化が進む。ざっと顔ぶれを見ると殆ど若い奏者が入っていない。それだけでも現在このバイエルンの放送交響楽団の水準が落ちているのが可視化されている。
前半がリヒャルト・シュトラウスだったでけに、同じミュンヘンの座付管弦楽団をキリル・ペトレンコが振ったらと考える足元にも及ばない。音色や声との合わせ方のみならず技術的にも程度が低い。ロリン・マゼール指揮時代をどう評価するかにもよるが、恐らく現在最低の水準にあることは間違いないであろう。このままこの指揮者が居座ればさらに悪くなることは目に見えている。
お目当ての歌手サラ・ヴェゲナーの歌は、流していて殆ど聞いていないが、休憩時間に流れたインタヴューは秀逸だった。ブレゲンツでペトレンコ指揮で聴いた時に感じた「なぜあれほどの声を持っている人があまり活躍していないか」の疑問に全て答えていた。そのそも様々な変化のある歌を目指していて、一つの領域でキャリアーを積んで市場に定着するという事を避けていたという。だから現代作曲家のハースなどに曲を献呈されて、先ほど日本公演をキャンセルしたようにホリガーとの共演など二年ほどやって、「八分の五拍子や図形楽譜などもう嫌」、また別にまたバッハなどを歌う。元々コントラバス弾きで、指揮もしていて、自身の楽器経験からも歌う時に同時にコントラバスを聴いているという。
そして驚くことに今回のプログラムもディアナ・ダマラウのキャンセルを受けて「あああと叫んで」、それなら即座に歌いたい歌えるとなって、わずか二時間ほど準備をしただけらしい。依頼を受けて、それをカメラの前で歌うというのもとんでもない自ら言うように「狂ったほど」の度胸と自信である。普通の歌手で無い事がよく分かった。つまりホリガーなどの我が道を行くで、メインストリームの音楽とは関係ないところから距離を置いたとなる。
それにしてもヤンソンス氏の顔色が悪かった。年代に応じて足取りがしっかりしていただけにその真っ青な顔を見て怖くなった。まるでゾンビである。心臓が悪いとああなるのかと思った。なるほど心臓移植を待つ子供の顔色もあのような感じだ。再手術も出来ないようだから症状が改善することは無いのだろう。そして指揮もあれしか出来ないとなるとやはり辞めた方がいい。名誉職的な立場で時々振る位の方が健康にも芸術的にいい結果が出るのだろうが、やはり収入が落ちることが耐えられないのかもしれない。事務所や家族の関係もあって自分自身では決断できないのだろう。
参照:
宇宙の力の葛藤 2019-05-20 | 音
心安らかに眠りに就く時 2019-06-03 | 雑感