Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

薄氷上の騎行の芸術活動

2020-08-27 | マスメディア批評
ノイエズルヒャー新聞がコロナ禍での文化活動を考察している。病人の為の費用が加わると、その催し物の費用を計算するSNSから口火を切っている。ルツェルン音楽祭のヘフリガー支配人が同紙のインタヴューに答えたことへのコメントである。そのミニフェスティヴァル決定までへのプロセスであり、訪問者保護とをその秤にかけての決断が、その投稿者には信じられなかったという事だと書く。

研究家や専門家、当局よりもよく分かっているというのは先ず無視。多くの主催者は、衛生環境を整えて、入出場をしっかりマネージメントして、更にマスクの有無を検討してテレコテレコのチェス盤状に聴衆を入れて行くというのは長く主張され続けていた。しかしそれを超えて、南ドイツ新聞の「ザルツブルクは文化のイシュグルになる」との予言には、どの責任者も関心が無い。

そこで「音楽会場には絶対の安全などはない」とする議論は正しい。それはスーパーであってもバスであっても日常の身近にあるもので、人生こそが唯一の危険としてもいい。しかしである、芸術家の絶え間ない、そのものの喪失を癒すような若しくは日常からの逃避をさせてくれるような行動的な投入によって、その危険性がもはや釣り合わなくならないのか?

この禍の真っ只中において「文化とは」をコムパクトに表現するとすれば、「なくてはならないより良い生活の要素」であり、それと同じくして批判的な鏡として、「ただ娯楽的に消費されるだけ」の文化であってはならないという事とする。

三十年戦争後の勝利の踊りやそして1945年後のドイツにおける文化は、覚醒させられそして癒されるに欠かせないものであった。それが生きるための糧とされるものだ。

ここスイスに於いて、このコロナ禍において、他の欧州諸国の様に守り抜かねばならないものでは無い。五月にキリル・ペトレンコ指揮でベルリナーフィルハーモニカーが無人のホールで演奏したのが中継された時、それがライヴであるかどうかという事が皆身に沁みた。ザルツブルク音楽祭がその水準で以って二つのオペラを上演した時の業界の固唾を飲むのは聞き落とされるものでも無かった。

その途端各地で表現されたように、芸能では避けることも儘ならないルーティンや多くの断層がそこに生じ、それ以下でもないことが生じた。それ故に各方面で、その集中した中での尋常ではない特別な芸術が生じる。

そこでコンサート会場や劇場なども当面は変更を余儀なくされる状況での計画を立てなければならず、そこで新たな場を使っての創造力が試されている。

ここでは、経済の事に関しては口を噤み、その芸術性に関しての出納表を見ると現在のところは様々だ。ザルツブルクの様に戦闘的に存在を表明するところはまれで、バイロイトの様にリーダー無しで暴走して、目前の計画しか立てられない。

シュレスヴィッヒ音楽祭の様に柔軟に処した音楽祭はスイスにはなく、ワクチン待ちであると此の侭2021年の前半を越えて待ちの状態が続くだろう。

だから大きなものでは工場のホールとかに場所を変えて、また小さなものでは演奏者と聴衆が目を合わせながらとかいう可能性の追及をやってみるべきだ。

しかしそうした大変な試みに価値があるかどうかというのが最初の問題提議だ。もしそうした軽率な合奏団や聴衆から大きな感染が出た時、そのコンタクトから調査をするという計画はその通り一つではあろう。そしてそこからのイメージの損傷は、当事者を越えて業界全体へと、遥かに厳しいものとなる。

勇気とやり通すことはなるほど名誉で、それは当事者にとっての生き残りでもある。しかしウイルスは、他の業界をも巻き込んで対抗するかのように焦土化させる。個人的な安全と芸術的な必要を秤に架けるときには、聴衆は少なくとも冷徹であり得る。

既にそれは、多くの人はそうした冒険には制限を設けていることに表れている。それらの公演の入場削減された席が当日になってもあるというのは新たな事であり、ルツェルンでもその九割以下の入場者に留まっている。自らの安全を真剣に顧みるというのは前記の投稿者一人だけではない。

芸術の正統性に価値を置くという者は、人生の高きも低いきも全てを包括的に、ザルツブルクでのノーリスク、ノ-アートに寄与するだろう。ザルツブルクの指導部が「薄氷の上を行く」とする騎行のカルカチュアーにである ― 「危険無しに芸術は無い」。



参照:
Kultur geht nur mit Risiko, Christian Wildhagen, NZZ vom 26.8.2020
ルツェルンからの報告  2020-08-22 | マスメディア批評
矛盾のザルツブルク音楽祭 2020-08-12 | マスメディア批評
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